2006年5月28日

あまり知られていない嶋正利さん

私たちが日常何気なく使っているパソコンですが、誰が作ったか知る人は少ないのです。・・・・・そうです。最近IPODで注目され人気があるアップルコンピュータの創始者であるウォズニアックです。彼らは世界で最初にパーソナルコンピュータという用語を使用しました。ところが、彼らのパソコンもまだまだ原点があったわけです。話は長くなりますが、ICの製造メーカーである米国のインテルはよく知られていますが、当時はまだ中小企業であり、数少ない優秀な技術者の集まりだった頃のことです。当時の日本のIC製造技術は未熟で全てアメリカに頼っていることが常だったわけです。そのインテルに電卓の回路設計図を持ってIC注文した会社がありました。日本ビジコン社という特殊な電卓を販売していた会社でした。その中の設計者の一人にこのアマチュア無線家(JA2BDZ)である嶋正利さんがいたのです。彼は静岡の出身であり、静岡高校を経て東北大学の理学部化学科に進みました。当時の就職は大変であったために思うようにいかず、チャンスを待っていたところに大学の卒研の先生から声がかかり、電卓会社に入社しました。化学系の学生なので写真エッチングが重要となるIC製造には関係が深い技術だったわけです。

その会社で開発した回路設計図のアイディアには世界で始めて先進的な技術の元が盛り込まれていたわけです。本人たちはそんなに重要性を認識していなかったようですが、インテルの主任技師であるホフがその発想にヒントを見出し、共同研究となったわけです。世界で始めての小さなコンピュータチップ4004の誕生でした。早速1970年に、米国の電気学会であるIEEE(アイトリプルイーと読む)でこの技術を発表しましたが、当時の産業界の反応は冷やかなものでした。その理由は、コンピュータとしてはあまりにも機能がみじめで、実用化すら危ぶまれ、単に趣味の世界しか期待されていなかったわけです。インテルの技術屋はまったく違いました。それもそのはず、インテルという会社は私が調べた範囲ではびっくりするほどの人材が揃っていたわけです。早く言えば、トランジスタを発明したショックレーが率いる米国ベル研究所(ベル研)の技術者たちが作ったフェアチャイルド社やその関係者が立ち上げた会社だったのです。このことは、単に人数ではなくて、本当に頭のいい優秀な技術屋が数人いる会社の方が将来性があるという良い例です。

1970年に嶋さんとホフの二人で学会発表した論文は徐々にアマチュア無線家たちにより実験されてハムの間で話題となり、このCPUを利用した記事が次々と雑誌に掲載され、やがて他のICメーカーもこれに追従しました。肝心の特許は、インテルが持っていたので使用できず、他の考え方で生まれたのが、モトローラ社の6800やモステクノロジーの6502だったわけです。特に6502マイクロプロセッサは直ぐにワォズニアックとスティーブの二人によりコンピュータ「アップル?」に載せられました。これがアップルコンピュータ社の誕生でした。あまり長くなるので、また次回にしますが、ここでは、嶋さんがアマチュア無線家であったことは覚えてください。
参考文献として、嶋さんの母校である静岡高校時代の紹介記事のサイトを示しておきます。嶋 正利さんのことがよくわかるサイトです.

参考記事:https://www.weblio.jp/content/%E5%B6%8B%E6%AD%A3%E5%88%A9

2006年5月 1日

ブッシュプレスマン モデルC(報道記者用カメラ)

Buschpressman.jpg所有:TOMIOKA Takumi

昔の報道用カメラには、こんな大きな本体が使用されていました。報道記者は記事にするのにこんな大きなカメラとフラッシュを持ちながらニュースを探し歩いていたわけです。 このころに有名になったのが、いわゆるスピグラというカメラで正式な名称をスピードグラフィックと呼んでいました。 ここで取りあげた写真はスピグラが全盛期になる前のブッシュプレスマンとうカメラです。当時(終戦直後)は、このようなカメラは一般人には購入が不可能で特殊な仕事に就いている人の特権でした。もちろんフィルムはフィルムパックというもので殆んどが10枚撮りでした。

 

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