2007年5月30日

ハムが交わす「73」の由来

これはアマチュア無線家しか分からないかも知れませんが、アマチュア無線の交信の最後にほとんどの人達が「ベストセブンティスリーさようなら」という挨拶で交信を終了します.話は少しそれますが,最近発売されたソフトバンクの携帯電話の機種に「ノキアN73」というのがあります.おそらくこの機番もノキアの社長の意向だと思いますがその辺は次回の記事とします。ここでは「73」の出所を書きたいと思います.アマチュア無線用語には「59」や「88」など数字を使用したものがよくありますが今回は一番分かりにくい「73」に絞ります.

私が中学校の頃の話です.その頃の科学雑誌といえば「初歩のラジオ」や「子供の科学」が子供たちには人気がありました.当時,すでにアマチュア無線を楽しんでいた私にはいつも「子供の科学」を見るのが楽しみでした.今は記憶が薄くなりましたが,この「73」のことだけは印象に残っております.なぜならば、そのページにはその意味を表すイラストが描かれていたからです.そのイラストとは,ちょうど南北戦争において一人の兵士が鉄砲を片手に死んでいく象徴的なものでした.そのイラストの中に,「73」「73」・・・・と記入されていたわけです.当然,そのページは当時の雑誌の特集で「アマチュア無線」を取り上げたものでした.そこには,こんな紹介記事がありました.

その兵士は ,南北戦争に参加していた無線通信担当の兵士で,「73」は当時の戦争における兵士が使用するコード番号だったわけです.すなわち,自分が相手にやられてしまった時には,モールス信号でこの「73」を連打し,自分の状況を仲間に知らせる約束事として使われていた番号だったわけです.その南北戦争では,他にも色々なコード番号があり,特に通信兵の間では常識的なものだったわけです.中学生の時代には,あまり難しく考えずに気にすることも無く読んでいましたが,あれから何十年かが過ぎていますが,最近になり私が購入したソフトバンクから出ているノキア製のN73を見て当時のことを再び思い起こしてしまったようです.

なぜノキア製の携帯電話にこの機番が使用されているかは,また別の機会に書こうと思います.

近代写真界の創世

ここ数年のことですが,デジカメが安くなり一気に写真ファン(カメラファン)が広がったように思われます.昔の写真といえば正しく写ることすら珍しかったわけですから私のように子供時代から写真を楽しんでいる人達には衝撃としか言えません.ではいつごろからこんなに写真を一般社会が見れるようになったかです.今日はそのことを書いてみます.

まず,その前に、カメラの歴史の話をしなくてはなりません.当時(戦後間もないころ)のカメラは,ほとんどが手札判といってフィルムパックという金属製のケースに12枚が入っていました.あるいは,少し後になりブローニーフィルムというロールタイプが発売されました.そんな状況の中,ヨーロッパではライカが発売されたりで日本のカメラメーカは戦国時代に突入したわけです.要するに,ヨーロッパのコピーカメラをそれぞれのメーカーが作りあい競争したわけです.そこで生まれたのが,当時の西ドイツのツアイスイコン社から出ていたイコンのコピー判でした.ニコンS型です.しかし,このニコンS型はあまりにも良く出来ていたので日本のカメラ関係者を驚かせたものでした.しかも,レンズは戦争用機器で定評があったニコンのレンズ付であり描写力には引けを取らないものでした.このニコンSが発売されたり,その他多くの35ミリ判カメラが発売され一気に日本の写真界に火がついたわけです.誰しも手軽にカメラを扱いまた写真を撮りだめることにもなりました.

当時の写真界では,戦前から流行であった肖像写真がほとんどであり,今で言うスナップなどは皆無だったわけです.当時は戦争が盛んな時代で、戦争に参加する若者が正装して立派な写真を残しておくことは誰もが認める必須条件だったわけです.いつ命を落としてもせめて肖像写真が仏壇に飾られる・・・・そんな思いで若者は自分の写真を残し戦地に旅立ったわけですね.

そんな時代にあって、「名取洋之助(なとりようのすけ)」という写真家が当時のヨーロッパ写真界の影響を受けて自由に生活写真を取りだめ発表しました.それを,なるべく多くの一般人に紹介しながら写真の持つ記録性を証明しました.写真は肖像写真ばかりではなく,こんな風に生活を記録することも重要であるのだということをです.そこで当時は集団を創ったりして近代写真の先駆者として努力したわけです.そのころの影響を受けたのが,「木村伊兵衛」さんで彼はフランスの「アンリカルチェブレッソン」などとよく似た写真を撮り、東京の町や人物写真を主体に35ミリカメラのライカで生活写真をスナップすることに専念しました.また,同じ頃に「土門拳」さんもよく似たスナップ写真をメインとしており,彼の写真は,ある社会問題をテーマとした少し思想が入ったもので,当時の新聞などを騒がしたものでした.あるいは,「三木淳」さんもそうでした.彼らはいずれも当時世界的に有名だった米国の写真誌「ライフ」の特別契約写真家であり,ライフの表紙などを飾ったものでした.

そんな頃,「名取洋之助」さんが岩波書店に働きかけてはじめたのが,「岩波写真文庫」です.日本で最初の写真を主体とした書籍です.このシリーズは当時の多くのテーマを特集しており,古い書籍を所蔵する図書館にはまだあるはずです.このようにして,近代写真がはじめり,後に日本では多くの写真団体が誕生して,現在ではあらゆるジャンルの写真が氾濫するようになりました.参考になりましたでしょうか?

1つ重要なことを書きます.当時から少し後に,「名取洋之助」さんは岩波文庫から「写真の読み方」という本を書き上げています.これから写真を真剣に勉強するには最も近道であり,なぜ写真を残さなければならないかが分かりやすく記載されています.機会があればどこかで探して読んでみてください.では今度は、日本に生まれた写真雑誌のことでも書くことにしますので楽しみに.

2007年5月28日

健康的なアマチュア無線

アマチュア無線の楽しみ方にも色々なジャンルがあります.例えば家の中に居ながら見知らぬ外国の人と話したり、あるいは外国でなくとも趣味を同じとする近県の人と長話で時間を過ごすなど人それぞれです.昔からアマチュア無線は趣味の王様と言われ、外国などではステータスの1つとして通用していたほどです.それほど、楽しむには技術とお金が必要だったわけです.ところが日本ではどういうわけか比較的年齢が低い方々にもそれが広がり現在のアマチュア無線社会が出来てしまったのです.それをターゲットとした商法が盛んになり,今日では世界のトップメーカーと言えばほとんど日本のメーカーが占めているほどです.

良いか悪いかは別として,アマチュア無線にも最近になりコンピュータがミックスされ,電波を使わない交信方法も多々開発されて,徐々にその愛用者数を増やしております.要するに,昔と違い自作の無線機で実験的に試しながら交信するというようなスタイルでは無くなってきたということです.しかし,どれをとっても室内で寂しく一人でコトコトと趣味を楽しむには変わりありません.そこで推奨したいのは,年に数回でもいいのでアマチュア無線を野外で楽しむことです.

今の時期が年中で最もその効果が大です.新緑のころ若葉が芽を吹きながら、威勢良く酸素を吐き出しています.その中でアマチュア無線で楽しめる健康的な遊びにフォックスハンティングという競技があります.この競技はアマチュア無線では古くから楽しまれている競技であり,フォックスと呼ばれる小電力発信器を林の中に隠し,皆んなで探し当てるもので,探し出すまでの時間も競技対象になるので結構あせり感が出て、ちょっとしたスポーツです.また,同時に,隠された場所を探し出すには受信機のアンテナに工夫を加えたり,アンテナを回したりで頭を使って推理しなければなりません.これぞ知的スポーツゲームです.

受信のみであり,アマチュア無線の免許などは要らず,例えば大会によってはFMラジオで参加することも可能です.もっと詳しく調べるには

http://www.jarl.or.jp/Japanese/6_Hajimeyo/6-1-ta-2.htm

です。

一度のぞいて下さい。他にもアマチュア無線の記事が一杯です。