2009年5月25日

「美山つづら弁当」は変わらない叶匠寿庵の定番

bentou1_2.jpg京都「哲学の道」を歩いて一服するには最高の「叶匠寿庵京都茶室棟」
撮影:TOMIOKA Takumi(2008/03/29)美山弁当

滋賀の和菓子屋が京都で店を出すには相当な苦労があったようである。
もともと、叶匠寿庵の創始者(先代)は滋賀県の外勤務の警官だったようである。それは昭和20年頃のことで、その後に、どうも警察官らしくないと判断され大津市役所の公務員に回されたらしい。以下、参考文献からの紹介記事である。

 市役所では、観光課の係長を経て定年退職の3ヶ月前に菓子屋を始めた。(昭和39年9月創業)その後30数年で年商50億円に成長するが、これは「神話」として今に伝えられている。当時は「みちしるべ」という菓子で、こだわりの高級あずきを使っていた。このことが評判になり、ある時、ベンツに乗って1万円のお菓子を買いにくる人がいた。一ヶ月後、女性2人がベンツで来て、菓子1万円を注文していった。それは松下幸之助の奥さんと正田美智子さん(現在の皇后陛下)のお母様で、何でも、持ち回りでお菓子を買っているとのことだった。
 その後、阪急デパートから出店依頼があり、一旦断ったが4年後に出店、高島屋、三越などへも出店の運びとなったらしい。当時は、三井寺というところに本社と製造部門があったが、手狭となり坂本というところに第2工場が作られた。しかし、交通渋滞で納品が間に合わないことが多くなったので、別の土地を探したがなかなか見当たらず、その当時の滋賀県知事である武村知事(のちに総理大臣)に相談したところ、昭和57年8月に、63,000坪の現在のここの土地を紹介され、58年7月1日に買収交渉が終わったようである。(ここまで参考文献から)

bentou2_3.jpg この土地こそ、滋賀県大津市大石にある「寿長生の郷」(すないのさと)であり、日本でも有数の和菓子工場である。もちろん、食事も出来るし、気の利いた茶室もある。徹底した和文化を追求した美の空間とも言える。駐車場を降りると、そこからはアスファルトも一切無く、砂利が引き詰められており、山全体に広がる小道の傍には、四季折々に異なる樹木が咲き、昔に逆戻りする気持ちが押し寄せる。そのころ私が訪れた時にも、先代さんが丁寧に、ゆっくりと「寿長生の郷」への思いを力説して頂いたことがある。カメラで撮影する私に一枚一枚の撮影で丁寧に被写体について語り、ご自分のコレクションでもある置かれた物や植物に時間を忘れて説明をして頂いたことが印象深い。

 この写真は、哲学の道にある「叶匠寿庵京都茶室棟」で頂いた「つづら弁当」である。予約が必要ではあるが、一日前にでも予約すれば受けてくれるので必ず行ける方は予約をされるほうがよい。食材にもこだわりがあるが、何と言っても食器には、ここ独自のセンスが伺える。配色にも気使いが伝わってくるので、単にカメラのシャッターボタンを軽く押すだけで難なく食欲をそそる弁当を写し込むことが出来た。

cherry 叶匠寿庵京都茶室棟

京都市左京区若王寺2丁目1番地
営業時間 10:00?17:00  定休日 水曜日

2009年5月 9日

30年前のSLブームが再び?

yamagutigou.jpg1979年8月1日津和野駅発行入場券
半分の大きさ(68mm×170mm)
(写真複写:TOMIOKA Takumi)

1979年と言えば日本でやがてSLが消えるということで全国各地でSLファンが急増した頃である。SL(蒸気機関車)が黒い煙を吐きながら悠々と走る姿は、当時まだ多く残っていた田園風景にピッタリとマッチしていたものである。

その頃の自動車道路の状況は、大都市周辺の高速道路は整備され100kmでの走行が普通であったが、山地で囲まれた中国地方のど真ん中を走らせる「中国自動車道」の整備は遅れており、1979年この入場券を欲しさに三重から山口県萩まで走るのに、全線高速とはいかなかった。確か、千代田インターが最終であり、そこから西は2号線へ戻る必要があったのである。そのために、記念号「やまぐち号」の写真を撮るには、相当な努力を必要とした。

現地に到着した頃には、既に発車直後であり、一般道を車で追いかけたものである。そのために、この入場券も津和野駅発行のものしか入手出来なかった。津和野駅に着くと、すでに列車は到着していて、ホームには雄大なピカピカの物体が寝そべっていた。

山口県を走る小郡?津和野は人気の高いC57とC58が使用されていた。両方の車輌ともSLファンには人気が高く、絵になる。そのためにSLファンたちはこのC57を求めて各地で撮影場所を探し歩いたものである。

当時の鉄道写真家といえば、広田尚敬(ひろたなおたか)と言われるほど広田さんは多くの路線での素晴らしいSL写真を残している。それは単にSLの姿ではなく、SLがもたらした当時の日本の情景も写しこんでいて、ある意味貴重な記録写真となっているのである。現在も幅広くご活躍であり、既に息子んさんも若手鉄道写真家として踏み出されている。

そういった広田さんの努力もあり、再び、日本に鉄道ブームが到来して来たようだ。特に、最近はNHKハイビジョンで放送された「全国20000km鉄道の旅」では、人気俳優の関口智弘(せきぐちともひろ)さんが全国を巡回して一気にそのブームがやってきたようである。再放送も頻繁にされておりファンもどんどん増えている。

また、この夏にはJRがD51を走らせる計画があり、今年はそのスピードが加速しそうな気配である。

(参考)
C57
昭和12年にC51形式改良近代化機として誕生し、北陸線、鹿児島線、東北線などの幹線の旅客列車けん引に使用されました。形態は勇美で、「貴婦人」の愛称をもち、国鉄の機関車のうちもっともスマートです。(製造201車輌)

C58
昭和13年に標準中形客貨用機関車として誕生し、輸送量の多いローカル線に使用されました。8620形式に劣らない高速性能と9600形式に匹敵するけん引力を兼ね備えた万能機関車です。(製造427車輌)

2009年5月 3日

ソニーアルファ900とはこんなカメラ

sony90001.jpgソニーの高級デジカメが本格化したと思ったら、すぐに世界でも類の無い画素数でアルファ900を発売した。すでに5ヶ月となる。早めに手に入れて現在ほぼ1000枚ほど撮影したが、レンズは700の時から購入していないので、まだ20mmF2.8の一本である。

このカメラにした大きな理由は、視野が100パーセントでしかも20mmの写角(しゃかく)がそのままで写る。このことは昔からのレンズを使い慣れている人にとっては重要なはずである。
それともう一つ、解像度である。世界で始めての2460万画素とは、フィルムカメラには及ばないが、実用上何らフィルムカメラと変わらない。しかも、こちらはフィルムを使わないので化学反応などの色処理も無く、肉眼で感じたそのものを定着し、途中でゴミやホコリが混ざることも無い。



sony90002.jpgよく見るとアルファ700より一回り大きいが、すぐには気が付かないほどの形状である。ただアルファ900の方が、持ったときにずっしりとして重く感じる。それでも、他社の物に比較するとかなり軽く感じる。

左の写真を見て判ると思うが、上部三角プリズム部分には内臓ストロボが無く、フラッシュは専用の物を付属品として用意している。早く言えば、以前からのカメラのように基本のものだけしか本体には付いてなく、フィルムがCCDに変更されただけというイメージが強い。逆に、こんなカメラを探していた人も多い筈である。

ボディを手に取った時に、すぐに感じることが出来るのは700と同様、手の中で石ころを転がす感覚だ。それほど余分な突起が無くて扱いやすい。操作性も700とほぼ同じで、液晶部分が少し大きくなった程度である。

sony90003.jpg





撮影時のセットも一発でOKであり、目的のマークにダイヤルを回せば最適のモードになり動作する。高級カメラを使い慣れている人には少し物足りないと思うが、これに慣れると、便利さが普通になるのには驚いた。例えば、スポーツもモードに合わせると、シャッター優先の最高速度モータドライブも自動的にセットされる。毎秒、5コマはかなり速写を感じる。

まだツアイスのレンズを装着して撮影していないが、カタログによると可なりのものの様である。今後の楽しみの一つにしたい。