2010年4月28日

人気番組NHK「あさイチ」へ柳澤さん再び登場

 NHKの人気番組「あさいち」はベテラン有働由美子アナが務める朝の人気番組です。毎日テーマが変る視聴者参加型であり、リモコンのボタンを押して番組中のアンケートに回答することが出来ます。4月28日テーマは「手作り」でした。司会者3名で他に芸能人のイノッチと以前21時のNHKニュースキャスターを務めた柳澤さんです。この柳澤さんですが、湾岸戦争で現地から戦時中の様子をレポートしていた戦争レポーターです。アマチュア無線が趣味で当時は現地からアマチュア無線で日本と交信していたという噂も出ていました。柳澤さんは、JA7JJN 柳澤秀夫さんのことであり、この番組を担当することとなった折の司会者紹介でも「私の趣味はアマチュア無線です」と彼のシャックの紹介ビデオが数分間流れました。多くの人がアマチュア無線の存在を知った瞬間でした。その柳澤さんはニュースキャスター当時に病気でしばらく番組を離れていましたが、再び登場されて今もアマチュア無線にはまっている様子を番組で紹介しました。本人さんもオタクと言ってますから、そんな眼で見られているようです。

 この日、柳澤さんがはずかしそうに取り出したのは、何とパラボラアンテナ付の2.4ギガへのアップバータ送信機であった。アマチュア無線に親しみがある方々なら、これが何であるかは一目見て理解したはずだ。だが、全国放送である早朝のメイン番組にこのリグを紹介したのにはビックリした。

 引き続き、画面は柳澤さんのシャック(無線室)で交信を楽しむ姿を映し出したのである。まさに周囲のゲストからは柳澤さんが相当のマニアに思えたに違いありません。それでも我々アマチュア無線を楽しむ者にとっては願ってもない効果に期待しました。この番組を見て、少なからずアマチュア無線という世界を垣間見ることが出来た人も多かったはずであろう。柳澤さんありがとう。

長野県箕輪町古曽木

<p><a onclick="window.open(this.href, '_blank', 'width=640,height=517,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false" href="http://jr2mhv.weblogs.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2007/04/22/kosogizakura.jpg"><img title="Kosogizakura" height="242" alt="Kosogizakura" src="http://jr2mhv.jp/images/2007/04/22/kosogizakura.jpg" width="300" border="0" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px" /></a> 撮影:TOMIOKA Takumi<br />(4/21/2007)<br />長野県箕輪町古曽木地区</p>

<p>古い桜が多く残る箕輪町での撮影は忙しい。それほど素敵な場所が数多い。桜の撮影ポイントの一つは枝振りの良い木を選ぶことが重要である。まさしくそのことを考えさせる写真がこれである。高さは10メートルほどであるが、こんもりと見えるアングルが意外にも迫力ある写真に仕上がる。この桜の横には高いネットのようなものが邪魔をしているのでカットした形になったが、それでも桜の部分だけは何とか無事に撮ることが可能であり背後にある黒っぽい常緑樹も桜の花びらを浮き立たせている。</p>

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堀江謙一さんは今度も単独航海とのことです

<p>JR3JJEの呼出符号で有名な堀江謙一さんが今度も7月にハワイ島に向けて単独航海をされます。堀江さんと言えば  年前に小さなヨットで太平洋を単独横断に成功して一躍有名になられた冒険家です。その頃から<strong>JR3JJE</strong>ですから随分と早くアマチュア無線局を開局されていたのです。アマチュア無線ではすぐに多くの知り合いが出来て、それぞれが無線を通じて年中通じている錯覚になります。やはり堀江さんも、当時から阪神地方では知り合いも多く出来て彼らのバックアップもあり単独横断に成功したに違いありません。言い換えると、横断中は決して寂しくはなかった筈です。世界中のハムが彼の行動を電波で見守っていました。常にヨットから発信される電波をどこかの局が監視し相互に情報を交換していたわけです。我々の専門誌である「CQ」には毎月のように堀江さんとの交信状況が当時から掲載されていました。当然、まだインターネットが無かったころの話ですけど。</p>

<p>今の堀江さんは世界的に有名な方ですから当然ですが、ニュースでも大きく取り上げられていた頃の堀江謙一さんは、若かったこともあり何となく輝いて見えたものでした。今回  才になられてからの航海ですからそれなりに意義がありますが、同じアマチュア無線家としてはどうか無事にハワイ島に到着されることを祈るばかりです。</p>

<p>同じような話が、アラスカで亡くなった冒険家「植村直巳」さんにも当たります。彼も世界的に有名なハムであり植村さんの冒険には多くのハムが見守りながら北極点到達を果たしました。そこで使用されていた手段は、まだインターネットでは無く、当時非常に盛んだったパケット通信でした。</p>

真夏の英虞湾も一度は撮影してみたいポイントです

<p><a onclick="window.open(this.href, '_blank', 'width=640,height=473,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false" href="http://jr2mhv.weblogs.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2007/08/22/tomoyama.jpg"><img title="Tomoyama" height="221" alt="Tomoyama" src="http://jr2mhv.jp/images/2007/08/22/tomoyama.jpg" width="300" border="0" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px" /></a> 志摩市ともやま台から見た英虞湾<br />(撮影:TOMIOKA Takumi 08/20/2007)</p>

<p>伊勢志摩国立公園は海を主体とした国立公園で全国でも少ない。ここ、ともやま台は英虞湾が綺麗に見えて人気が高い。近鉄鵜方駅前の国道260号線を御座白浜の方に約20分ほど車で走ると途中に右折れの標識がある。その交差点を車で10分ほど走ると終点がともやま展望台なので直ぐにわかる。この日は、連日気温35度を超える真夏日が続いている最中で、車から出るのもためらうほどであったが久しぶりに近くまでやってきたので立ち寄った。</p>

<p>この場所は、カメラマンの間でも人気があり特に夕日が沈む光景はすばらしい。天気が良い夕刻に行くと必ず数人のカメラマンががっちりと三脚を据えて構えている。また、もう1つ別の絶景場所は近鉄鵜方駅手前の小高いところで「横山展望台」がある。同じく、英虞湾が展望できて真珠いかだが浮かぶ志摩独特の風景写真が作れるのでポイントとしてチェックしておくと良い。志摩の風景撮影では下調べをしていかないと時間のロスが多く、移動に費やす時間で一日が終わってしまうこともよくある。今は亡くなられたが、奈良市在住の風景写真家である入江泰吉さんも、昔から近鉄の依頼でここ英虞湾をたくさんポスターなどで紹介された。</p>

新年あけましておめでとうございます。

<p><a href="http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/pdf/kabokujumokumap.pdf"></a><a href="http://jr2mhv.weblogs.jp/photos/uncategorized/2007/12/31/nennga20081.jpg"><img title="Nennga20081" height="224" alt="Nennga20081" src="http://jr2mhv.jp/images/2007/12/31/nennga20081.jpg" width="300" border="0" style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 5px 5px 0px" /></a> <span style="font-size: 0.8em;">写真:</span>TOMIOKA Takumi<br />京都二条城中庭で(03/08/2007)</p>

<p>二条城の中庭にはいたる所に樹木が植えられており、ほとんど一年中で四季の花を楽しむことが出来ます。この写真は昨年訪れた時に撮影したものですが、ポカポカ陽気の中で春の訪れを告げていました。</p>

<p>二条城の入口を入って直ぐに左手を突き当たるまで歩くと少し広場があり、その際です。種類は、カンヒザクラ(寒緋桜)という学術名だそうで、どうやら沖縄の木らしく、沖縄では桜と言えばこれを指すぐらい知られているようです。本州では「ソメイヨシノ」が咲き出すことで桜の開花予想をしますが、この桜はソメイヨシノより早く咲くようで、暖冬であった昨年の冬もあけた頃から咲き始めたようでした。</p>

<p>二条城には、この他にも各所に綺麗な花が見られます。ゆっくりと散歩を楽しみながら庭園などを覗いて見てください。都会の中に居ることを忘れさせてくれる空間があります。車が居ないのでフラフラ歩いてもOKですから。</p>

<p>参考:<a href="http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/pdf/kabokujumokumap.pdf">二条城「花木・樹木マップ」</a></p>

<p><span style="color: #ff0000;">今年も宜しくお願い致します。</span></p>

日本のファミレスを築き上げた三重県出身の男「渥美俊一」さん

今では沢山の店ががひしめきあっているファミリーレストラン「すかいらーく」の話です。

渥美俊一氏が率いる「ペガサスクラブ」というのがあります。いまでこそ大手チェーンの殆んどが加盟する組織ですが、当時(1960年代)はまだその活動は小さく、松阪商人として活躍する渥美俊一が作った活動家の集まりでした。そこの行事で開催されたアメリカ視察セミナーに、「ことぶき食品(のちのすかいらーく)」の横川兄弟が参加したわけです。

1960年代の日本の食堂といえば、「うどん屋」とか「そば屋」が殆んどでいわゆる丼物を食べていたわけです。たまには、街の大きなデパートにはレストランがありましたが、私のような三重の田舎に住む庶民が簡単に入れることもなく、服装でさえ気をつけて行かなければならないほど一般化していなかったわけです。

その米国視察旅行でも、全てが驚きだったようで、帰国後のペガサスクラブでも討論が行われて、日本にも米国のレストラン方式を取り込もうとなったわけです。

それから翌年の昭和45年(1970年)に、横川4兄弟は東京都国立市に「すかいらーく一号店」を開店させました。この年は、日本で初めて開催された「大阪万国博覧会(大阪万博)」の年であり、会場内にはアメリカから参加した「ケンタッキーフライドチキン」も日本国民の前に始めて姿を見せました。ロイヤルホストもそうでした。こうして、この年1970年に一気にアメリカの食べ物に火がつき、翌年には銀座にファーストフード店第一号である「マクドナルド一号店」が三越デパート一階にオープンしたわけです。

こうして外食産業という言葉が徐々に流行をし、次々にチェーン店が生まれました。「どさんこラーメン」は500店を超えていたようです。1972年ごろは3兆円を超える売り上げを記録していました。<br />このようにして最初に生まれた「すかいらーく」は日本のファミレスをリードし続け、現在でもファミレストップの座を確保しているわけです。

この「渥美俊一」は1926年(大正15年)三重県松坂市生まれで「三重一中(現在の津高校)」を卒業しておられます。
参考となるページは

http://www.pegasusclub.jp/atsumi.html

三重の商人は、三井財閥などに代表されるような何か独特のものがあり、最近では大型スーパーのジャスコ会長なども我々三重県人が誇りにしなければならないアイテムなのです。

ソニーα700の使いごこち

sony700top.jpgソニーからα100が発売されて高級デジカメの動向も少しは変わってきたと思っていたら、今度は700を発売した。最近では、この普及型である2機種が同時に発売されソニーも本腰を入れてきた。以前では家電メーカーのイメージが強いソニーではあったがミノルタカメラの技術部を買収してからは、すっかりカメラ屋さんに変わりつつある。それもそのはず、デジカメはソニーが世界に誇る最先端の「画像処理技術」を屈指できる最短の商品でもあるわけだ。何でも手がけるソニーであるが、こと画像処理に関しては他のメーカーを寄せ付けない。特に放送業界では昔からソニーの映像機器が独占していることはよく知られている。


sony700-01.jpg早速このアルファ700を使用してみたので気づいた点を報告します。

全体としてバランスのとれたカメラであり、今までの高級デジカメとは違い、撮影者の使用感を重視した設計である。たとえばボディーですが、ニコンなどの高級機種では非常に重く、若い放送カメラマンなどのプロたちが使用する何かゴツゴツとしたイメージがあった。
このアルファ700にはそれが無く、どちらかと言えば頼りなさそうなデザインである。軽合金で出来た少しひんやりとするボディがよく手に馴染み、両手の中で少し大きな石ころを転がすような感覚である。このことにより撮影に専念することが出来てありがたいのと、何と言ってもゴツゴツとした違和感がほとんど無い。しかも、重さだけはずっしり来るが首にかけていても気にならない程度だ。

この写真はアルファ700トップビューである。黒いストラップは付属のものを勝手に私が取り替えて使用しているもので、ストラップが細いと撮影時にカメラをしっかりと把持できて縦位置や横位置を気にせずに自由に変えれる。どこかのメーカーで細い丈夫な組みひものようなストラップを付属でつけてくれないかと一人で思っているがそんなメーカーは無く、むしろ段々と幅広くカラフルになって来ているようである。

このボディは上から見るとスッキリしていて無駄の無いことが分かる。実際に750枚ほど撮影してみたが大きな突起物がないので転がすように自由にアングルを探せるのが気に入っている。

左のダイヤルはモード切り替えであるが、予め想定される色々なモードが準備してあり、ダイヤルを回転させるだけで、ほとんど最適の設定をカメラが選択してくれる。以前のように撮影者が操作に慣れていなくてもほぼ間違いの無い条件をカメラが選んでくれます。<br />たとえば動きのある被写体であれば、スポーツモードにしておけば、毎秒5コマのモータドライブ設定に自動的に切り替わる。しかも露出もシャッターと絞りを被写体に最適な条件が選ばれてセットされる。むかしフィルム式カメラでキヤノンT90を使ったいたことがあるが、あのときの感覚がこのデジカメで甦ったような気持ちしてくれる 

 私は広角レンズが好きなので広角での撮影がかなり多い。デジカメに広角レンズを付けると焦点距離と写角が合致しない。たとえば写真のようにアルファ700に20mmレンズを付けてみる。そうすると写角は33mmレンズを着けた時に相当する。本来は80度ほど無ければいけないのだが、ファインダーを覗くとがっかりする。かなり狭く感じる。この理由は、現在市販されている多くの高級デジカメの撮像部であるCCD素子は、レンズ規格を定義したものを満たして居らないためである。フィルム式カメラなら35mmカメラは横36mm縦24mmであるから、このサイズのCCDが部品として供給されれば、この問題は解決するはずである。一部の高級デジカメにはフルサイズCCDを採用したものが出てきているから、ソニーのアルファでも時間の問題と思われる。(どうやら来年発売されるらしい)

このカメラを始めて握った時の印象です。一度グリップを握ったら直ぐに分かると思うが、手にカメラが吸い付いたように感じる。持った瞬間、さーと手に収まったのには驚いた。以前だと色々握り回してピッタリ収まる掴み方を探したものである。

今度は撮影された画像について報告です。

ご存知のようにソニーの画像処理技術は世界でも定評があり、多くのビデオ撮影機で採用されている。今回のアルファ700にも最先端の画像処理エンジン(コンピュータ素子)が搭載されており、処理速度が驚くほど早い。しかも、秒速5個まで処理してくれる。各モードでの撮影方法を選択すると撮影者の技量に関係なく最高の画像を記録してくれるのは有難いし、その分、被写体に注意を向けて創作に専念できることである。

sony700-02.jpg700枚ほど撮影して一つだけ気になることがある。オートフォーカス機能での測距離がワイドレンジを選択してしまい、少しでも近くに何かがあると狙った被写体が大きくピンボケとなることが多かった。もちろん中央重点でのフォーカスに固定してやれば解決するのであろうが、まだ完全にマスターしていないので、常に気になることが多い。

またもう少し撮影して、気が付いたことがあればここで報告をすることとします。

京都の秋には詩仙堂

shisendou-aki.jpg秋の京都は特に人気が高い。京都には皆んなが欲しいものが、狭い箱の中に押し込められている。歴史家にとっては貴重な資料庫となり、芸術家にとっては四季折々に変化する豊富なモチーフとなる。そして忘れてはならないのが美味しい地下水を使った京都の料理や食材である。これも秋には特に美味しくなる季節で一年を通じて楽しめるのが京都市内である.

shisendou-aki02.jpg京都の紅葉は、まず高雄から始まる。高雄にある神護寺や高山寺が真っ赤に色づく頃は、まだ市内にあるお寺は少し早い。市内でも比較的高い位置である洛北一乗寺にある詩仙堂には夏と違い多くの観光客が押し寄せる。夏ならばゆっくりと10分庭を眺めることが出来るが、この時期には迷惑になることが多く数分で立ち退く必要がある。

撮影:TOMIOKA Takumi (2008/11/16)

iPhone 使用レポートです

日本ではソフトバンクモバイルから発売され人気が出ているアップル社の製品iPhoneの話です。

もともとこの種の発想は10年以上も以前からモバイル機器に登場していてアップルユーザには既に知られていたのである。米国Palm Pilot社から出ていたPDAがその走りです。残念ながらその会社は既に大手の文具メーカー3com(スリーコム)社に買収されてしまい日本では知る人は少ない。この機器で採用されているトップ画面にはちょうどIphoneと同様のアイコンが画面に出てきます。これが数画面移動できるので今のiPhoneとほぼ同様のものでした。コンピュータ接続により自分のアプリケーションソフトをコンピュータから転送し、個人個人が必要なソフトを楽しめることも出来るものでした。

そんな技術に注目して、これを採用したのが日本のソニーであり、直ぐに発売されたのがソニーのPDAである「Clieクリエ」です。クリエは非常に多くのユーザを育て、日本人にPDAというモバイル機器を定着させたました。もちろん当時シャープにはザウルスもあったが、一気に加速したのがこのクリエの発売でした。それほどクリエは使い勝手が良く、多くの機能に優れており皆がある程度満足する製品であったのです。そんなクリエに、さらに期待することと言えば、電話機能がなかったことでした。日本の携帯電話事情には多くの法的な問題もあり他国に比べると自由でないことが多かったのです。そのためにクリエに簡単に電話機能を搭載することは出来ず、クリエに接続コードで携帯電話をつないでネット環境を楽しんでいたのが実際の話です。ところが通信料金が馬鹿にならないので多くの人はパケット通信料金が一定額である「パケ放題」などで利用する携帯電話環境を使用することとなりました。金銭に余裕がある一部のマニアが毎月何万円もの通信料金を支払いってネットサーフィンを楽しんでいたのである.一般の多くは、小さい画面でキーを上下左右に忙しく動かしながら文字打ちをしたり、画面制御をしていた.

そんな時期に米国アップル社がiPhoneを世に送り出したのである。しかもこの電話機能にはキーボードは無く全ての操作が画面タッチである.最初使い出す前には心配もあったが、実際に製品を手にした数分後には直ぐに慣れて全く問題がなく使用できたのである.画面の切り替えも実にスムーズであり、一本の指で流れるように動かすことが出来る.
今のところ、文字入力についても不快感は無いが、非常に慣れたボタン操作が出来る若いユーザが従来の携帯電話でメールを打ち込むのに比べるとキーボード慣れも関係してか私の場合には遅いと思う.しかし、最高に有り難いのはキー配列が選択できることで、今までの携帯電話同様入力方式とパソコンのキーボード配列を自由に選択できる.

アプリケーションソフトは殆んど自由にダウンロード可能であり、個人個人が独自の機能を選択することが出来るのも無駄が無くてよい.

2010年4月 1日

京都洛北の詩仙堂

sisendou.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石川丈山の作った「京都洛北・詩仙堂」

撮影:TOMIOKA Takumi (2006/7/18)

石川丈山は江戸時代の武士であり文人です。 徳川家康に気に入られて色々と仕えていましたが、ある時に家康と意見が合わなくなり京都に出て学問に専念した人で書道にたけており多くの書が残っております。 非常にセンスがあり漢詩・建築など当時の先進的な美学の達人でした。彼が京都に作ったと言われる「詩仙堂」は人里離れた京都洛北の小高い位置にあり、京都の暑い夏を少しでも凌げる場所です。 詩吟をやっておられる方なら石川丈山はよく知られた人物で「富士山」は特に有名ですね。
7月17から18日開催される京都の祇園祭りは「日本三大祭り」一つです。 今年の祇園祭りは雨の中で開催されて山車を引く若者は全員白い衣服がずぶ濡れで少し気の毒に思えましたが、やっぱり大勢の集まる祭りであり近くで見ると迫力は満点でした。

翌日には、静かな洛北の詩仙堂を訪れてしばらく時間を費やし撮影した中の1枚です。デジカメなので細かいディテールは期待出来ないのですが、静かな夏の隠れ寺の様子が伝わって来ます。紅葉時期なら観光客で全く身動きも取れないほどですが。

ここの庭は、多くの外国人にも人気が高く英国のチャールズ皇太子も訪問されたほどです。小さな部屋に座って庭をジーと見ていると夏の暑さもどこかに瞬間忘れさる程です。また、秋になると、後ろの紅葉が素晴らしくなります。庭をぐるーっと廻ることも出来て、静かなひと時を過ごすことが出来ますので一度訪れて見て下さい。洛北のバス停「一乗寺」を目指して行ってみれば直ぐに判ります。:

NIkon F100を再認識する

 カメラメーカー各社がデジカメに移行し、以前から使われてきたアナログ式(?)カメラにも陰りが出てきた。なるほど精密機械なので経年変化で不具合が生じることが多い。何十年も前のカメラとは違い、アナログといってもコンピュータが内蔵されていて露出などはピカイチで撮影が可能である。ニコンといえばS型距離形式に始まり、最近ではF6が機械式の最終版として発売(2006年)された。しかし、これを最後にニコンは今までの機械式カメラの生産を止めてしまった。(一部は受注生産するらしい) 

 そんな中、私が愛用しているニコンF100もどうやら価値が出てきそうだ。このF100は価格からみれば、ニコンの最高機種ではないのであるが、アマチュアカメラマン難なく使いこなせる使い勝手のいいカメラです。重量も程よくてズッシリ感もあり、シャッターを押したときの振動もほぼ吸収してくれるのでカメラブレも非常に少ない。なかでもシャッター音に無駄が無く、狙った場面を確実にリアルタイムに記録でき、デジカメでは味わえない快適さがある。この写真では、超広角レンズ20mmを装着してあるが、重量バランスが良くて私の好きな一本である。手の中で転がすように操作できる機種は、このF100以外にはあまり無いと思う。他の機種は重さや大きさで私の手には馴染まない。写真を撮っているときには、カメラは自分の体の一部であることが肝心であり、カメラに気を取られるとせっかくの創作意欲とシャッターチャンスを逃がしてしまいそうである。もう二度と製造しないだろうから、大事に使用するつもりであるが、いつまでメーカーがフォローしてくれるかが心配である。ニコンは他のメーカーに比べ、昔のカメラでのアフターも行き届いているが、このような電子デバイス内臓の機種は故障には太刀打ち出来ないところがあり仕方ない。