2011年9月27日

シュナイダーから学べるレンズの知識

symmar.jpg撮影:TOMIOKA Takumi
(iPhoneを使用)

シュナイダー社製
ジンマー135mm/F5.6

ドイツのカメラメーカーが日本のカメラ会社に大きく影響を与えたのはよく知れた事実です。戦前からもライカなど日本に輸入され、それらを真似た優秀な日本製のカメラも多くキャノン4Sbなどが有名でした。日本も技術が無かったわけではありませんが、なんと言ってもドイツの光学技術にはかなわなかった時代でした。

ライカを製造していたエルンスト・ライツ社の他にも、イコン社・シュナイダー社・フランケアンドハイデッケ社・カールツァイス社数えればきりが無いほどです。その中でも、多くのカメラ会社にレンズを提供していたのが、シュナイダー・クロイツナッハ社です。この写真は、当時だけではなく現在でも人気が高いジンマーレンズです。シュナイダー社の有名なレンズの一つですが特に大判カメラ用の物です。ジンマーを始め、スーパーアンギュロン・クセノター・クセナーなどが有名です。

このジンマーレンズは多くの風景写真家や人物写真家に好まれ、これを使うためにわざわざ「リンホフスーパーテヒニカ」という本体を購入して撮影をするプロ写真家が多いのです。例えば、山岳写真家の白川義員(しらかわよしかず)さんや風景写真や女性写真で有名な篠山紀信(しのやまきしん)さんなどです。あの大きな機材を背負いつつ世界の名山を残した白川さんの作品集は有名です。

では、なぜここまでシュナイダーレンズに拘ったかを考えてみます。

確かに日本のレンズも優秀で解像度などは負けていないものが多かったし、ニッコールレンズなどは世界的にも知れ渡っていたわけです。しかし、それはモノクロ写真の時代の話であり昭和40年代に始まったカラー写真では、断然とシュナイダーレンズが上でした。
プロ写真家は写真を撮影して商品にして雑誌社や印刷屋に売り込むわけで決して自己満足で仕事をするのではないからです。当時の印刷業界では、今ほど技術が発達していなかったのでカラー印刷には、特に原版が影響したわけです。レンズはジンマーでありフィルムはコダック社のエクタクローム、これが彼らの常識だったわけです。他のレンズを使用すると原版に濁りや色バランスが崩れて印刷の仕上がりにも影響が出たくらいです。そんなことからプロ写真家の定番セットになり、多くの写真家の間でシュナイダー社のレンズやカールツァイス社のレンズに人気が集中しました。

そんな時代も終り、今ではデジタル処理が可能です。たとえフィルムで撮影した写真もコンピュータ処理によりどうにでも最高を作り上げることが出来るわけです。

最近プロ写真家の間ではキャノンのデジタルカメラが特に人気があります。キャノンにはニコンと違い多くの電子技術屋が居ます。事務機器で培った電子技術と昔からのキャノンレンズの組み合わせが古い技術に固執したニコンの技術を追い抜きました。この写真のレンズは、トプコンのホースマンで使用しているもので座板にはコパル#0というレンズシャッターが装着され、そこにジンマーレンズを取り付けて使用しています。たまたま、整理していたら出てきたので昔を思い出しながら書いてみました。

2011年9月26日

限られた高周波エネルギを効率良く使用する

HC500-02.jpg  アマチュア無線では自分の所有するトランシーバーを使用して電波を発射することが可能です。このことは営利を目的とした放送局と同様の運用です。違いがあるとすれば趣味でそれを楽しむというわけで、技術的には放送局と変わりません。しかし、アマチュア無線にもレベルがあり小電力しか出せない局と小さな放送局と変わらない大出力の局が居ます。

しかし、送信機で作った高周波エネルギも効率良く放射しないとどれだけパワーを入れても妨害電波の根源になるだけです。普通アマチュア無線では、写真の様なアンテナカプラーを使用して電波をアンテナに送り出します。これをマッチング(整合)と言いますが、この機器の良否で電波の飛び具合に影響を与えるのでしっかりとした物を使用すべきです。アースをしっかりと取り、しかもSWR計を見て調整しながら使用するバンド周波数でアンテナに高周波エネルギをつぎ込みましょう。
HC500-03.jpg これは30年以上も前に購入した東京ハイパワー製のアンテナカプラーですが、しっかりした部品が使用されており安心して接続出来ました。前面パネルのダイヤルを交換してありますが、それには理由があります。もともとアンテナカプラーは電波を出しながら素早く調整する必要があるために2つのバリコンは軽く動くようになっております。しかし、この軸受に使用されている部分が玉軸受(ベアリング)タイプになっており熱で自然に回ってしまうのです。調整した最初はいいのですが熱が出てくると少しづつ微妙にズレます。

そこで思い切って、バーニヤダイヤルに変更して防止してあります。
少し手早く回す必要がありますが、目盛りが付いているので慣れてくるとバンドごとの校正表も作れて快適な運用が出来たものです。これも30年以上前のことですが、最近のリグでは全て内蔵した物が出回っており便利になりました。しかし今思えば、アンテナと送信機の整合が理解し易い時代でもありました。
撮影:TOMIOKA Takumi

ペンタックスがリコーに買収される

pentax01.jpg旭光学工業は1919年に誕生したカメラ界の老舗です。2002年にペンタックスという社名に変わるまで、ずーっとアサヒペンタックスという名前で親しまれてきました。その会社も業績不振に陥りホヤに買収され、今度は今年7月にカメラ事業部をリコーに買収されました。リコーも大きな事務機メーカーですが、昔はリコーが出したカメラなどマニアの間では誰も振り向かなかったものでした。そのリコーも時代がデジカメに変化し最近では多くのヒット商品が生まれ、ペンタックスに追いついてしまったというわけです。


この写真は、PENTAX SV という機種の上部に専用露出計を装着したものです。この頃のカメラは、光を測定する機構は無く別に露出計を使用するか、または人間の経験により絞り値とシャッタースピードをセットする必要があったのです。要するに露出計が指し示す測定値を絞りリングとシャッターリングに手回しでセットするわけです。当然、速写では間に合わず微妙な露出の変化にはとても追従することが出来なかったわけです。

ペンタックスという社名は初めから使用されたわけでは無く、この会社が世界で始めて一眼レフカメラを発売した時には、旭光学工業の名前から「アサヒフレックス」ということで売り出しました。それまでのカメラは2つのレンズを持った2眼レフだったわけです。ここで、使用された一枚の鏡(レフレックス)がヒントとなり、それまでに無かった画期的なカメラが生まれたわけです。

pentax03.jpg最初の一眼レフでは、撮影者は上部に位置するファインダーに真上から眼を近づけて逆に写った像を見ながらシャッターを切りました。当時は、像が逆に写るのは当たり前だったので不便と知りながら仕方の無いことだと諦めていたわけです。そんな中、旭光学は像の正立化に成功しました。そこで使用されたのが5角形をしたプリズムです。今では当たり前ですが、ファインダーに眼を近づけるとちゃんとした正立像が見えたのでした。そんな訳で使用していたプリズムからペンタックスという名称が生まれたわけです。古典ギリシャ語で5はペンタと言います。その後には社名まで変更となりました。

pentax02.jpg長かったペンタックスの名称もしばらくは使用されると思いますが、やがては聞かれなくなるでしょう。
産業界ではちょっとしたヒット商品により、会社の業績に差が出るので怖いことです。旭光学の築いてきたカメラ技術は最先端のものでした。技術よりも宣伝力で左右される困った時代に突入です。

これまでに消えたカメラメーカーは沢山あります。ミノルタカメラ事業部がソニーに買収されたのも大きなニューズとなりました。ブロニカ工業も消えてしまいました。今度消えるメーカーが何処になるかが心配ですね。

撮影および所有:TOMIOKA Takumi

キット製作が、いかに楽しいかを当時は皆んなが知っていた

doujiku2.JPG鉱石を小さな細いケースから取り出し、大きさを調整して再び中に入れる。使い古しの石鹸箱に配線し鉱石ラジオなるものを製作したことがある。当時は理論など全くなかったが雑誌「子供の科学」が教えてくれた。組立てや分解を繰り返しながら、部品の名称や実体配線図を覚えた。しかも、まったくあせりは無かった。当時は、何と言っても時間があった。こんなことでもしないと一日が退屈で仕方がなかったのである。昭和35年ごろの小学校時代のことである。近くに住んでおられたアマチュア無線家の家には、わけの判らない高級受信機「トム」が置いてありゆっくりとダイヤルを回したが、ほとんど何も聞こえて来なかった。
やがて、アマチュア無線という電波を出す趣味を知る。免許が無かったので当時は高一中2受信機の自作を目指したが、田舎だったために部品入手に1年半ほど経過した。いきなりトリオから「9R59」がキットで発売されたが¥15000ほどもする高価なキット製品で当時は子供の手に負えない品物であった。

doujiku3.jpgそこそこの給料から、米国ヒースキット製品を購入した。当時はソニーが代理店をやっていて、高価なものについては分厚い日本語の解説書と共にキット販売されていた。ヒースキットに目覚めたのはその頃であり、米国ハムがうらやましかった。ドルが360円固定の時代であったのでキットと言えどもかなりの小遣いをはたいて製作に取り組んだものである。ヒースキットの製品は素晴らしく、今思えば完璧なキットであり順番に組立てれば誰も同じ製品が完成することだ。もちろん半田付けの技量は関係するが、調整方法にも丁寧な解説を施し、ページ全てがわかりやすい図解入りである。


doujiku4.jpgここで紹介する、同軸切替器も市販品とは違った自作の良さが期待出来たし、30年以上も経った今でもピカピカで問題なく使用している。

2011年9月21日

オリンパスの名を広めたPEN

pen03-small.jpg東京に戦前からあった高千穂製作所は当時は顕微鏡などを製作する光学機器メーカーであったが、ズイコーレンズと名付けられた高解像度レンズをマミヤシックスなどに提供するようになり、カメラ界でも知れ渡っていった。のちにギリシャ神話からヒントを得たオリンパスが社名に採用されて今に至っている。

太平洋戦争後の日本はカメラ戦国時代と言われ多くの国産品としてヨーロッパのカメラを模索した多機種が発売されていた。それらは戦争により技術を磨き上げた会社も多かった。
オリンパス工業がその社名を一気に高めたのは、何と言ってもPENである。香川県の田舎から東京の早稲田大学機械工学科に進んだ米谷美久(まいたによしひさ)さんは熱心なカメラマニアであった。当時は高価で手が出なかったはずのライカを若い時に使うほどのカメラ好きであり金銭的にも余裕があった。カメラ会社であるオリンパス工業に進み、すぐに上司から課題を与えられた。誰もが手軽に使用できて安いカメラという課題条件は厳しかったが何とか克服して生まれたのが1959年発売のオリンパスPENである。

pen01-small.jpgこのカメラには、当時のカメラには無かった画期的な機能が備わっていたのである。
ひとつはフィルムを半分にして撮影するハーフサイズという発想である。当時の35mmカメラのサイズは幅35mmフィルムに合わせて撮影枠は横36mm縦24mmであった。その半分のサイズにしてやればフィルムを半額で使える(当時はフィルムと現像代も馬鹿にならない時代)。誰もが考えつかなかったアイディアである。しかし、このサイズを採用するには、レンズの性能が重要であったが幸いとオリンパスカメラはシャープな切れ味で定評あるズイコーレンズを使っており、彼はさらにこれを解像度の上がるテッサータイプで構成した。こうすれば何とかハーフサイズでもフルサイズに対抗できる。
さらに、フィルム巻上げ機構であった。当時の35mmカメラは大きなレバーで巻き上げる方式を採用していたので機構的にも歯車が多く必要で、ボディへの収まりも悪かった。米谷さんは親指の腹で巻き上げる方式でほとんど目立たないものを考案した。しかも安価である。
このことが見事に的中して翌年にはオリンパスPENーSを発売した。この写真は当時発売されたものであり、今でも問題なくシャッターが軽く切れる。レンズシャッターなのでシャッター音もほとんど無くスナップには快適である。

pen02-small.jpgのちになり、米谷さんはオリンパスカメラを絶対的なものとした、一眼レフカメラOM-1を開発している。このカメラにも米谷さんの拘り機構が随所に採用されて興味深い。もちろん当時発売されていた一眼レフカメラに比較すると2割ほど小さく感じられたし軽かったものである。手持ちの箱から探し出し手入れが済んで時間があれば、いずれここで紹介したい。
撮影:TOMIOKA Takumi

2011年9月19日

ヒースキットHW-9 トランシーバー

米国HW-9-1.jpgヒースキット社のキットはアマチュア無線に限らず多くの機種が自作品愛好家のために発売された。しかし、とても人気があったにもかかわらず既に遠い昔に発売を中止した。このHW-9は最終版とも言えるもので1989年に販売されたものである。当時、日本で手に入れるには東京秋葉原にあるT-ZONEから購入しなけばならず、現在のように円高ではなかったので結構な値が付いていた。

CW専用でもあり、特に送信出力はバンド平均で3Wしか出ない。いわゆるQRP機種である。正面から眺めるとHW-8とイメージが違っており、ヒースキット特有のコスミックブルーではなく、うすい茶色である。ヒースキットの後半機種にはこの色が使われていた。

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中心にある大きなダイヤルをゆっくり回すと下の方で盛んに電信信号が受信できるが選択度はイマイチである。一応、選択度の切り替えスイッチが付いているので切り替えるとはっきりと差がわかる。キット製品ならこんなものかも知れない。ヒースキットの製品には、どれも十分過ぎる分厚い説明書が付いて来る。実体配線図と組立て方法を記述した単一行を順番にチェックするだけで誰もが製作出来るので失敗が無い。やはり購入したユーザーからすれば完成してそれなりの性能が得られないとがっかりするが、調整についてもしっかりとページを割いて説明してあり安心して組立てることが出来る。

 

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HW-9-4.jpg上蓋を外して内部を示したが、プリント基板が整然と並んでいて比較的簡単な無線機である。
左にあるのは専用の電源であり、その上にはトリオのヘッドフォンがある。この機種にはスピーカーが内蔵されていないので受信するにはヘッドフォンか外部スピーカーが必要である。

現在の高性能機種に比較するととてもほめられないが、HW-8と共になぜか親しみが持てるトランシーバーである。

撮影:TOMIOKA Takumi