2016年12月31日

10年前の大阪梅田はどこも工事中

umeda-1.jpgのサムネール画像大阪人が北と呼ぶ梅田駅周辺は年末になると一層込み合う場所である。一番の繁華街であり、何といってもJR大阪駅、阪急西梅田駅などの乗換駅があり、有名なデパートなどが数を連ねる。この写真は、10年前2007年12月24日にJR大阪の歩道橋から撮影した写真である。私は、どこに出かけても記録として残している。特に変化が大きい駅前などは効果的である。誰でも苦労無しに撮れるし、最近のデジカメなら自動的に日時も記録される。撮影に日時の無い写真の記録的価値は半減されるので、カメラの日付は常にチェックが必要だ。そんな事を心掛けて残せば、その写真には自然と価値が付いてくる。変化が激しい場所も意外と誰も残していないことが多い。
 さて、JR大阪駅の周辺が10年で大きく変わった。昔の大阪市内は梅田に限らず、少しイメージが悪かったが、ここ数年で別物と化した。JR西日本と伊勢丹の合弁デパートも新しく出来たし、ヨドバシの周辺もどんどん建て変わっている。
 私が撮影した10年前は、こんな工事中の光景がいたるところに見られた。最近では南に行けば、近鉄百貨店の新ビル「あべのハルカス」も建っている。そろそろ南の工事も始まるような気がする。

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2016年12月30日

意外と知られていない「松浦武四郎」

 「三重県一志郡三雲村というところに生まれたひとりの男が、当時世人から暗黒大陸のように思われていた、北海道の周辺はもとより、その内陸の山川のはてまで縦横に歩きまわり、ついにその土地の名付け親ともなった。」

 これは、淡交社から出ている更科源蔵さんが書かれた「日本の旅人シリーズ14:松浦武四郎 蝦夷への照射」の最初にある幼年時代の節である。

松浦武四郎は、ここ三雲村の生まれ

 三雲村と言えば、現在では私の住んでいる津市の南端、津市三雲町のことである。津市三雲町と言えば、この武四郎のことより、隣の鋼管町にある造船会社「日本鋼管株式会社津工場」がよく知られている。夏は近くに海水浴でいつも賑わいをみせる御殿場海岸もある。現在は今年5月に開催された「伊勢志摩サミット」で三重県はよく知られるようになったが、この本が出版された昭和48年では、近くの人でさえ、松浦武四郎のことを知る人は少なかった。私が当時購入した本が、年末の整理でたまたま別の本を探していたときに出てきたので、今日はこの三重県が産んだ旅人「松浦武四郎」ついて紹介しています。

 今年も残すところ数日、来年のトランプ大統領の動きしだいで日本がどのように変化するのか心配ですが、それとは別に頻繁に発生する地震はそれ以上に不気味に思えます。

2016年12月29日

Heath kit HW101

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HeathKit HW101(SSBトランシーバー)
 
 ヒースキットと言えば、ひと昔前の米国アマチュア無線家に人気があったメーカーです。アマチュア無線本来の「製作する楽しみ」を提供し多くのキット製品を販売してくれました。アマチュア無線だけでなくオーディオのマニアでもよく知られたメーカーです。特にアマチュア無線関係のキットが多く当時は私も多くのものを組み立てたことがあります。
 ヒースキット製品の特長は、その組立解説書にあります。手順を徹底的に示し、番号順に組み立てればどんな複雑なものでも、ほぼ間違いなく完成します。しかも、測定器を使用する調整の仕方まで手順通りでOKです。解説書には短文だけでなく図解で示されているので非常にわかりやすいのです。
 この秋に整理していたら昔のHW101が出てきました。しばらく箱に入れていたので心配しましたが外部電源を接続してみると無事に受信でき一安心。来年は、私の関係するアマチュア無線のイベントで「ヒースキット製品特集」でも計画してはとも考えています。
 ちなみに、ヒースキットを生んだ米国の社長さんは、自家用飛行機キットを売り出すために自分で試験飛行し墜落死され、この会社は現在ありません。

2016年12月28日

キャンプ場で泊まることが多い撮影旅行

 
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白馬村のキャンプ場で (平成27年10月20日早朝)

 風景写真を撮る場合に一番困ることはホテルに泊まれないことです。理由は、食事の時間帯です。撮影場所にはかなり前に着く必要があるのです。また夕景などを撮り終えてホテルに戻ると食事には間に合わないのです。そんなことから、普段はキャンプ場で寝ます。
この日、このキャンプ場は私の独り占めでした。管理人のオジサンたちの話では、あと数日で閉鎖すると言われました。確か外気温度は5度でした。
 考えてみれば、白馬村の10月20日といえば普段は誰も来ない時期です。スキーには少し早いし。それでも、歩いて直ぐの所に共同の露天風呂があり湯も良し温度も適温で最高です。

 山林道を走行するには、このように小さな車が便利です。狭い林道で対抗する時や駐車にも困りません。車高が低いのですが、今までに底スレが問題になるようなことは無く快適にに走っています。この車、1998年製造でとても古いのですがミニ専門の修理屋さんで常に整備しているので快適で未だ故障は皆無です。
 車名は「ローバー ミニ ケンジントン」といってオートマチック車です。事故で亡くなった英国のダイアナ妃の街乗り用に設計されたようです。革シートの座席に座ると車と一体感があり自由に操ることが出来ます。振動を防止するサスも円錐型のゴム製と珍しく、クッションンも抜群です。ショックは6段階調節できるガス入りですが山では中間位置で使用しています。
 あまりスピードを出して運転しませんが燃費も15から17kmあり、高速道路も燃費を気にせず気持ちよく走れます。ただし、燃料はプレミアムガソリンです。 しかし困ることがあります、観光地で停めると中国人観光客に撮影されることです。中国では走っていないのでしょうか。

2016年12月27日

CQマシンを便利に使おう

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 アマチュア無線は電波を利用して知らない人と交信する世界共通の趣味です。昔は、キングオブホビーと言われたこともあり、その楽しさは現在のSNSなど比ではありません。その第一の理由として、アマチュア無線を運用するには国家試験に受かりアマチュア無線用の「無線従事者免許」が必要です。これは、どの国も同様であり、無線局を運用するにはコールサイン(呼出符号)が与えられます。免許申請にはその国の政府が関係しています。日本の場合には総務省※※総合通信局といわれる機関です。免許人は、電波法によりかなり厳しく規定されておるので間違ったことをすれば逮捕されます。やはり、どの国もスパイや情報セキュリティの関係で厳しいのでしょう。例えば、タイ国で運用する場合には、外国語は英語しか使用できません。日本語を使うと捕まります。
 
 この写真にある装置は、CQコンテストマシンというものですが、主にアマチュア無線を使って短時間に出来るだけ多くの局を見つけて交信する数を競う場合に使用するものです。最近の無線機では内蔵されたものが多くなりましたが、記憶できるICレコーダーに限界があり、この装置のような1チャンネル30秒で4チャンネル記憶可能というのは無いと思います。なくても参加できますが、同じ呼出を頻繁にするので声枯れが起きそうになります。ちなみに、「CQ」というのはアマチュア無線用語で「誰か交信して下さい」という意味となり、この局と話をしてみたいと思う人が、CQを出している相手のコールサインを呼び、「こちらは※※です」と言って応答します。それが遠くの国の人ならば感激は大きくなります。
 
 最近では、アマチュア無線が災害時の手段として見直されて少しではありますが増加しているようです。大災害時にインターネットが使えると思っていたら大間違いです。インターネットや携帯電話はほぼ止まってしまって復帰するにはかなりの時間が掛かっているのが過去の現状です。また、アマチュア無線は、登山などで大活躍します。山林や高い山では携帯電話は使用できないために非常通信にアマチュア無線は欠かせません。資格を取るには、簡単な講習会を受けて免許取得でき小学生のハムもたくさん居ます。アマチュア無線の世界では上下関係はありません。たとえ小学生ハムであっても敬称で呼び合うのがエチケットとなっており、交信内容にも各自責任を持っています。
 
 さらに言えることは、アマチュア無線で見つけた交信相手とはお付き合いが長続きします。グランドミーティング(実際に会う)などすれば一生涯忘れない人となりお付き合いが始まることも多いのです。2014年ノーベル物理学賞を受賞した天野 浩さんも中学生時代にはJR2NHMというコールサインを持っておられました。アマチュア無線は人生を通じて楽しめる趣味です。ぜひ皆さんも免許を取得して下さい。

一般社団法人 日本アマチュア無線連盟 (←クリックできます)



2016年12月26日

スーパーアンギュロンがお気に入り

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 写真を撮るときに、なぜか自然と手にする交換レンズがあります。撮影が終わってみれば今日もこのレンズを使ってしまったということです。私は、風景写真しか撮らないので比較的広角レンズを使うことが多くなります。手前から無限大まで広い光景を出来る限り写し込んで遠近感を引き出す手法です。普通のカメラでは被写界深度(ひしゃかいしんど)を深くとるために絞り値を大きくしても限度があります。風景写真では画面の一部にでもピントが外れた部分があると、大きく伸ばした時に不自然で気が抜けた物になりがちです。そのため絞ったうえに「アオリ機構」を使います。要するに蛇腹付のカメラです。その蛇腹が自由に調整でき、レンズの角度や位置を微妙に調整可能なカメラです。
 
 そんなことから、私は写真にあるスーパーアンギュロンという広角レンズが好きです。このレンズはブロニー判のリンホフ23用のものですが、他にも同様の4×5判用もよく使用します。このレンズは昔から憧れのレンズで「いつかはスーパーアンギュロン」と常々思っていました。さて、このレンズにはアンギュロンとアングロン(Angulon )がありました。どれもシュナイダー・クロイツナッハの広角レンズに使われるブランドです。最近では広角レンズはアンギュロンに統一されています。色々と調べると最初の製品はアルブレヒト・ウィルヘルム・トロニエにより設計されたとありました。

 レンズ構成はスーパーアンギュロンは4群6枚となります。MCと付くのはマルチコーティングという処理が施されて透過率が向上させてあります。写真のものはスーパーアンギュロン65mmF5.6MC - アタッチメントはφ67mmねじ込み。イメージサークルφ170mm(F22)。シャッター#0という仕様となります。
 レンズのことより最近心配するのは4×5判用フィルムの製造がいつ終了するかです。保険にブロニー用のリンホフ23もありますがハガキ大のフィルムは撮影する時の楽しさが違います。一枚撮るのに1時間以上掛けていると、現地でよく風景画をスケッチされている人の気持ちがわかります。

2016年12月25日

それはシリコンバレーから始まった

 まだ戦争中だった米国の話です。西海岸には戦争に関係した政府の会社や中小企業がひしめき合い活況でした。アメリカが強かったのもこの地で製造された優秀な飛行機にも関係があるはずです。今でもシアトルなどを拠点とした航空会社や通信機器などを製造するメーカーが乱立しており、有名なボーイング社やロッキード社、また後に、ベル研究所なども西海岸にでき、電話機を発明したのもベル研究所だったわけです。
 やがて太平洋戦争も終り、各社はこの地で新しい産業を求める努力をしました。政府も、これらの企業を心配し、多くの研究所を支援したわけです。そんな環境の中で、カリフォルニアで育った子供や若者は機材の払い下げ品やスクラップを集めて楽しんでいたわけです。よく知られていることですが、世界で初めてダイオードを発明した日本の江崎玲於奈さんやトランジスタを発明したショックレーなどもベル研究所で研究成果を世に発表して、後にノーベル賞を受賞しています。
 また、サンフランシスコの近くには工学で有名なスタンフォード大学もあり、この地域には研究開発の地盤が整っていたわけですね。その頃に育った若者は、多くが起業したりして現在では大企業となっている「HP」や「アップルコンピュータ」があります。HP(ヒューレットアンドパッカード)を立ち上げた2名の技術者(ヒューレットさんとパッカードさん)も当時はスタンフォード大学の学生であり色々なアルバイトをしながら二人で起業したわけです。その頃に西海岸で盛んだった映画産業の大手であるデズニ‐社から映画館用大型アンプの製作依頼があり、それが軌道に乗り、のちには計測器の専門メーカーとして確立されました。今ではパソコンメーカーでも有名ですが、世界で最初に開発したインクジェットプリンターは私のお気に入りで非常に良くできた製品で故障は皆無でした。

 やがて、当時のアメリカ政府が打ち出した経済計画で、この地区はシリコンバレーと名付けられ半導体開発の拠点となり、しだいに多くの中小企業が集まり始めたわけです。いわゆる工業団地の始まりです。シリコンバレーという地名は、ここカリフォルニア州サンタクララ郡のこの地区は海岸近くで谷の形状の地形から名付けられたようで、もちろんシリコンは半導体の原料です。
 
 その中には、世界で初めてマイクロコンピュータを開発した「インテル社」もあり、半導体界はこの工業団地を目指せという風潮が一気に高まり、シリコンバレーは誰しもが知る有名な地名となります。当時のアメリカは東海岸は政治経済と教育の町、また西海岸は田舎であり温かい気候に恵まれた農業地帯というイメージがありました。その中間にあるロッキー山脈を中心とした地区は西部劇映画の撮影地となり、コロラド州などは典型的な西部劇の町でした。今では、アメリカ空軍の町ですが。
 
 話は少し外れますが、元々アメリカは移民の国で、原住民たちが所有していた土地を移民した人たちが彼らを上手くだまして安く買い入れていったようです。アメリカは元々「コロンビア」と呼ばれておりました。ニューヨーク州のマンハッタン島は原住民をだまして当時100ドルで購入したという話もあります。今でも米国はコロンビアという名称が多くで使われており、南米のコロンビアは米国白人の避暑地として開発されたのです。
 
 半導体のメッカであるシリコンバレーには今でも大手のコンピュータ企業が集まり常に世界から注目の集まる場所になりました。・・・・・・アップルコンピュータについての、興味ある話をまたの機会に書くことにします。アップルコンピュータには当時から全ての技術開発を担当していたアマチュア無線家が居ます。もし彼が居なかったら全てのアップル製品は存在しなかったのです。ガレージハウスから始まり超大企業へ成長できる米国の自由主義には感服です。

2016年12月24日

「越前ガニ」 は、ここがお薦め

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撮影:TOMIOKA Takumi 2007年2月24日(民宿うおたけ)

 カニのシーズンです。久しぶりに越前海岸に行きたくなりました。今回は以前訪れた蟹料理の思い出です。私の場合、昔は蟹よりも海老を好んで食べましたが、最近は蟹も比較的好きな食べ物です。 越前ガニは美味しいと聞いていましたが、本物のズワイガニは本当に美味しいのです。出された蟹には越前で獲れたことを証明する黄色のリングが足に巻かれています。これほどまでに、管理をやってこそ「越前ガニ」の価値が出てくるのだと痛感しました。ともあれ、大きな口を開いてパクリと頂き大満足。じゅわーと口の中で広がる香りにも、この店の秘伝とする湯で加減が感じられました。蟹はゆで過ぎは禁物で、なかなか感の要る調理だそうです。パクリの次は、しっかりと肉の詰まった足を、七輪で焼きながら香りを嗅ぎつつ戴くのですが、これがまた絶妙で隅々まで突きたくなるほどで無言で食べ続けました。

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 撮影:TOMIOKA Takumi 2007年2月24日(越前海岸)

 参考にこの店を簡単に紹介しておきますね。高速道路「北陸道」を米原から北に走るとすぐに敦賀インターです。ここを降りて、越前海岸のすぐ際を走る有料道路があります、ひたすら越前海岸に向かって40分ほど走ると、人家が混み合う狭い通りがあります。ここから注意しながら右手を見ると「うおたけ」と書かれた茶色の4階建てビルが見えてきます。民宿なので結構判りやすい建物です。専用の駐車場もたくさんあるので車でも心配いりません。玄関はゆったりとしていてカウンターでのもてなしも感じよくて第一印象はまずまずでした。予約してあったので3階の座敷に通され、料理を見て驚きです。この日は、食事のみの日帰りでした。・・・・・この後は、想像して下さい。

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 撮影:TOMIOKA Takumi 2007年2月24日(道の駅・越前海岸)

 帰路の途中に立ち寄った越前海岸沿いの国道にある「道の駅」です。この日は、春の日差しの中にも日本海から吹き付ける冷たい風を強く感じ、車に乗っていると分からない風も、降りて日本海を眺めているとやっぱり冬を意識してしまいます。銀色に輝く海面からはニュースでもよく聞く、例年の厳しい北陸での生活を直ぐに思い出させるものがありました。何とか都合をつけて再度行ってみたいと思います。

2016年12月23日

しばらく行っていない東京丸の内

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撮影:TOMIOKA Takumi  2004年12月18日(東京駅丸の内近く)

 2004年12月私は東京丸の内に居ました。この頃の東京駅は丸ノ内側や八重洲側も大工事に突入の最中で徐々に工事用ボードが設置された時でした。八重洲の地下にあった大丸の入り口も閉鎖され、ここが将来どんな風景になるのかを想像する人も多かったはずです。その時に撮影した一枚ですが、後方には東京タワーが見えます。スカイツリーで存在が薄くなりましたが東京と言えばやっぱり芝公園にそびえる東京タワーです。あのオレンジにライトアップされたのを見ると「東京に来てる」という感覚がこみあげてきます。下町にそびえて周辺が夜には暗くなるスカイツリーと比べると迫力が違います。あの安定した形状といい、当時の建設の苦労といいどれをとっても東京タワーです。高さばかりではないのです。以前NHKの人気番組だった「プロジェクトX」でも紹介されて私もすっかり東京タワー派になりました。名古屋のテレビ塔も大阪の通天閣も同じ設計者というのもこの番組で知ったわけです。
 今ではすっかり東京駅周辺は変わってしまい、昔の光景を思い出すのが大変ですが、一度ゆっくりと歩いてみたくなりました。2020年の東京オリンピックに向けた工事が始まり、まだまだ変化する東京ですが皆さんも、色々な場所をカメラにおさめることをお薦めします。何十年後にはきっと価値が出て宝物になるような気がします。ただし、撮影日は必ず入れておきましょう。撮影日の分からない記録写真は価値が半減しますから。

初めて手にしたカメラ「コニレット」

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 今はコニカミノルタと会社名が変わり昔の小西六写真工業というイメージからは遠くなりました。当時の小西六はコニカというブランドで競合するフジカと競っておりました。もちろんフジカは富士フィルム写真工業のこです。フィルムもカメラもほとんど同じような製品を製造していました。富士写真工業は「富士フィルム」、小西六写真工業は「さくらフィルム」のブランドで有名です。結局今は富士フィルムが競り勝ち、写真界のフィルムを独り占めにしています。米国のコダック社もフィルム生産を縮小しているので、フィルムカメラを使っている人は富士のフィルムを使うことになります。
 私は、中学校時代に親戚の叔父がカメラをくれました。当時は、子供雑誌の付録についてきた日光写真というもので楽しんでいたものです。太陽光線での印画紙ベタ焼きという感じで決してカメラと言えるものではなかったのです。そんな時に、小西六から出ていたコニレットが手に入り写真への興味が一挙に湧いた記憶があります。当時のカメラは多くが蛇腹式で撮影時にはレンズ部分は手で引き出す形式のものです。写真にあるのは、そのカメラですが「コニレット」という名称でした。フィルムは、24mm×36mmのサイズですがフィルムは35mm幅の穴なしの専用フィルムで、写真屋さんに出すと手焼きプリントで仕上がりました。今考えると非常に単純な構造でしたが、この時、実際にカメラの原理が理解されたように思います。その後に、富士写真が出していた「フジペット」が手に入りましたが、このカメラのフィルムは当時一般的なブロニーフィルムです。
 コニレットの仕様ですが、安物のコニカにはKonitorの50mmF4.5が付いており、シャッターはコパル製のレンズシャッターです。このコパルのシャッターは、この頃から多く使用されておりましたが近年は精工舎のシャッターよりも断然多くのカメラに採用されるようになっております。発売価格は当時の値段で¥5500だったようです。大卒の初任給が1万円そこそこの時代ですからかなりのぜいたく品です。これは腕時計にしても同じことが言えます。日本の時計メーカーとカメラや放送機材メーカーはほぼ世界を独占したように思います。
 そんな訳で、当時のことを思い出させるコニレットは今でも愛着があります。近づけて耳をすますと小さな音でレンズシャッターが動作しているのが分かります。

2016年12月22日

太平洋戦争で使われたBC348J

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 戦争では技術開発がつきものです。世界で初めての実用的なコンピュータもその頃生まれました。手計算でやっていた微分方程式での解析など爆弾の軌跡を計算するためです。米国からいかにして遠くの標的に効率よく命中させたかったわけです。限りある予算ですから当然のことですね。そんな中、コンピュータは生まれました。しかし、当時のものは一部屋に収まりきれないほどの真空管とリレーの集まりを動作させるもので、騒音と熱がすごかったらしいです。とても今では考えられないサイズでした。
 通信機も同様のことが言えます。初めてのモールス通信が南北戦争前に成功し、米国は無線機の開発を盛んにし、陸上部隊では既にかなりの通信が可能だったようです。しかし、戦争で飛行機が使われるようになり搭載する無線機にも小型軽量化が迫られて来たわけです。この写真にある無線機は第2次世界大戦で日本の広島や長崎に原爆を投下したB29戦闘爆撃機が搭載していたもので、BC348Jという機種で比較的軽量の受信機です。戦争が終了して、払下げになり多くのアマチュア無線家もこの受信機で放送を楽しんでいたようです。音質も良くてNHK中波を長時間聞いていても疲れません。思えば子供のころ、真空管ラジオから流れるNHKの放送でニュースや娯楽番組を聞いて生活をしていました。ラジオを持つことがステータスでもあり、せっせと稼いではラジオを手に入れる時代でした。吉永小百合さんが出演していたNHKの連続小説「赤胴鈴の助」や老人に人気があった浪花節、それに「三つの歌」などが夕方になると真空管ラジオから流れて、じーっと耳をすませて聞いているわけです。真空管ラジオですから放送が無言になるときにはブーンというハムが聞こえてきました。誰も話をせずに終わりまで聞くわけです。当時としては、唯一の室内娯楽だったわけです。
 久し振りに、しまっていた348Jを出して電源を入れると問題なく世界中の放送が聞こえました。特に中国や北朝鮮の強力な局や台湾も聞こえます。多くの放送局がインターネットラジオに移り、電波での放送局も今では珍しくなりつつありますが、国の勢力を示すためにどこも活発にやっているわけです。もちろん日本の「ラジオジャパン」は世界でも人気があり、アフリカのガボンから大出力で世界中に発信しています。この348Jでも綺麗に受信出来て結構楽しめます。
 
 こんなラジオも何年も経つと別の価値が出てきますが、メンテナンスが大変です。特にコンデンサが使われているこの当時の機種ではそのことが関係して故障の原因となります。

2016年12月20日

ハッセルブラッド205TCC

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 大阪にあるカメラ屋さんで探し当てたのが1991年に発売されたこのカメラです。レンズはカールツアイスのプラナー80mmF2.8付です。レンズの話はまた別の記事で書きますがここは205TCCの簡単な紹介です。製造会社はスエーデンのビクターハッセルブラッドというメーカーで中判カメラの代名詞とも言われるもので、ドイツのローライと共に世界的に知られています。ローライは当時の西ドイツにあったフランケハイデッケというメーカーが開発した二眼レフ(にがんれふ)です。ともにフィルムは幅が60mmのブローニーフィルムを使用します。このハッセルブラッドは、レンズが一つの一眼レフであり、レフレックス(鏡)を内蔵しており、シャッターが開くと同時に反射ミラーが跳ね上がり光を通す構造で当時としては話題になりました。このカメラに対抗してローライは同型のカメラを製造しましたが、ハッセルの特許を侵せないので、ハッセルが採用したレンズシャッターではなく、フォーカルプレーンシャッターを採用した物でした。しかし、これ以前に日本のゼンザブロニカというカメラは既にハッセルとは異なる構造でフォーカルプレーンシャッター搭載したブロニカSというカメラを発売していました。ブロニカを開発した吉野善三郎さんの名を取ってゼンザブロニカという名称が生まれたわけです。もちろんブロニカはブロニーフィルムから来ています。
 さて、この写真にある205TCCという機種は、ハッセルの中でも後期のものであり、それまでには無かった露出計を内蔵しています。私も500C/Mという機種を使用していますが別に露出計を使用するのでタイミングを無くすことがよくありました。
 1991年発売の205TCCの意味は、「トーンとコントラストをコントロールする」ということで、TTL開放測光スポットメーターを内蔵しており、4種類の撮影モードを持つものです。電子制御布幕フォーカルプレーンシャッターで、34分--1/2000秒。2本のブルーラインが入ったFEシリーズレンズと組み合わせれば色々のモードで撮影可能です。また2本のブルーラインが入ったTCCフィルムマガジンと組み合わせるとマガジン側でフィルム感度のセットが可能となります。少し工夫が必要ですがレンズはCFシリーズレンズ意外にも今までのCシリーズレンズも使用できるようになります。
 私は、この205TCCに220マガジンを装着して使用していますが、24枚も撮影可能でフィルム交換の手間を省けます。残念ながら、ブロニー220は製造が中止されたということであり、冷蔵庫にある50本が無くなると終わりです。120フィルムはまだ大丈夫ですからご心配なく。
 

2016年12月19日

1973年頃のトリオTS-900Sが懐かしい

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TS900-5.jpgのサムネール画像
 昔からアマチュア無線を楽しんでおられる方々には、この機種ほど憧れのリグは無かったと思います。当時は、電離層の状態も良くて世界中のアマチュア無線電波が地球の周囲で活発でした。HF帯というアマチュア無線のバンド(周波数帯)を使用して、国内や海外と比較的簡単に交信出来た時代でした。そんな頃の無線機が、このトリオTS900Sでした。現在ではトリオのブランドは無くてケンウッドという当時使用されていた海外向けブランドに統一されています。アマチュア無線機の最高峰と騒がれて当時は南極昭和基地で運用されていた8J1RLでも使用されていたものです。終段(ファイナル)には4X150Aが使用されて球を直接冷却用ファンで冷やしており、ちょっとしたプロ用機種の様でした。それぞれの回路基板はプラグインユニットが使用されており、修理時において専用の基板を追加して簡単に調整などを行える。
 現在では、DSP技術も進み当時では考えられない優秀なリグが出回っていますが、今でもなぜか愛着が湧き、残しておきたいリグの一つです。アナログのダイヤルに表示されるオレンジのLEDも全体のデザインのバランスを整えている隠れた味に思えます。今では定期的に電源を入れダミーロードを繋いで電波を出していますが、おもにSWL(受信)で使用するようになっています。電源回路のコンデンサをリフレッシュするためのメンテナンスではありますがこれがまた楽しみでもあります。

 数枚の写真で示しましたが、とくにフィルター基板も、それぞれLSB,USB、CWと3個が最初から搭載されておりアマチュア機器としては珍しいものでした。柔らかく聞こえる音質が最近のリグとは違い長時間のSWLにも疲れを感じさせないような気がします。全体的にデザイン重視で開発されたらしく、一部の調整ツマミは後部パネルに配置されています。すこし全面パネルがすっきりし過ぎたようですが、これが何とも使い勝手が良いものです。


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2016年12月17日

日経225平均株価が2万円近くなった

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 日経225平均は上場企業225種の平均株価ですが、この指標が最近では2万円近くなってきました。正確には12月17日現在で1万9401円です。トランプさん、どうなっているのでしょう。この人よく分からないアメリカ人ではありますが、何か大きなことをやりそうで心配やら期待やらで不安半分で理解しています。しかし、考えてみれば、今までの米国というイメージは「何でも一番」という風に伝わっていましたが、オバマ大統領の人道主義から少しイメージが変化したように思えるのです。言い換えれば、トランプ次期大統領で本来の米国に戻るような気がします。
 ところで日経225が大きく値上がりして最高値(さいたかね)を更新というニュースが出るたびに株式市場が益々反応してとんでもない数値を付けるような気がします。アベノミクスに期待というよりも今までの日本企業の実績が正しく評価されていなかったのではないでしょうか。
 ここ数年で日本は世界的に取り上げられることが多くなりました。日本にやって来た外国人も記録的な伸びです。そんな色々な反動が日経225平均の指標にも現れ出したのでしょう。外国人投資家からも注目されているのでさらに大きく値上がりし、日本の持つ実力とバランスが取れるようになった時に自然と落ち着くような気がします。2020年のオリンピック開催までは少なくとも当たるのではないでしょうか。
 言えることは、現時点でポジションを持たないリスクです。株式や投資信託(ファンド)など資産運用の元となる種を早く手に入れて2020年に夢を託しましょう。もうすぐ公開される新システムに期待しています。・・・・・・・・頑張れ「マネックス証券」と「トレードステーション」