2019年1月20日

レコード盤が懐かしい

20190119 001.JPG一般にレコードと言われていた時代の話です。今はすっかり世の中がデジタル媒体に変わってしまい、この頃の音楽用媒体のことを知る人も少なくなりました。今と同様に新曲が出ると爆発的に売れた曲もありファンの貴重な宝物となっていたものである。
このレコード盤は、当時に人気があったNTV系の連続ドラマ「池中玄太80キロ」という番組のテーマソングを人気女優「杉田かおる」さんが歌っていたもので、「鳥の詩(うた)」という曲である。
このジャケットの撮影は、女性を撮るとナンバーワンの写真家、大竹省二さんが撮影されました。そして、レコード会社は、今は買収されて消え去った「ラジオシティ」というレコード会社です。

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このレコードはシングル盤と呼ばれていて、中心に大きな穴があいておりレコードプレーヤーに置いてモーターで回転させるものであった。アナログ時代にはこういった方式があちこちで採用され、これらを修理する職人技を持った人も多かったのである。今のデジタル職人とは違い、日本やドイツやスイスが誇る技術が映えていた時代である。特に、トーレンスなどの名機は今でも人気が高い。

デジタルが普通になろうとしている現代に、再びレコードが復活されることはないと思うが、過去に発売されたものを大事に再生するファンが増えてきているということである。

部屋を整理していたら昔の懐かしいシングルレコードが沢山見つかり当時の事を思い出しました。

2019年1月18日

BCLファンに人気のNRD505

20180118 001.JPGBCLとはブロードキャスティングリスナーの省略語で海外放送を楽しむ人たちの事を指します。1960年代にはブームとなり熱狂的な愛好者も多くいました。もちろん、まだインターネットが無かった時代です。遠く海外からの放送が聞こえて来ると地球が狭く感じたものです。また、それが日本語放送ならなおさらです。外国の放送局も当時は日本語の時間がありました。米国ではVOA(ボイスオブアメリカ)、英国ではBBC(ブリティッシュブロードキャスティングコーポレーション)、ドイツではDW(ドイチェベレ)、ロシアではモスクワ放送、中国では北京放送、オーストラリアではABC(ラジオオーストラリア)などが特に入感が強くBCL登竜門でも挑戦出来ました。
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そんな海外放送ですが、今では日本語放送は少なくなり隣国からの局しか見つかりません。
しかし、写真のような高級受信機にアンテナを繋ぐとビックリするほどの局が飛び込んできます。
この受信機は、JRC日本無線の物ですが、アマチュア無線用に発売されたものです。
良く似た機種でNRD515がありますが、最初に発売されたこの505の方がなぜか人気があります。高価なものであり発売された台数も少なかったからでしょう。
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受信機の性能は、感度・分解度なども当然ですが普段聞いている時には疲れないのが何よりです。業務用通信機を製造しているメーカーがアマチュア無線向けに販売したものであり、さすがに優秀です。

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日本のNHKも数ある世界の放送局の中では有名で、アフリカのガボンにある送信所や日本国内にある送信所から強力な電波を発信しています。ラジオジャパンという名称で世界にファンがたくさん居ます。私も以前、山田耕嗣さんが作られた「日本短波クラブ」に所属していましたが東京ハムフェアではたびたび山田耕嗣さんとお話が出来て海外放送の魅力を感じながら資料を入手していたものです。

現在は、海外放送はネット配信がされており、いつでも聞けますから一度は聞かれてはどうでしょう。
何か発見があると思います。

2019年1月13日

仮想通貨コインチェック社が正式登録を完了

昨年1月に580億円の仮想通貨を盗まれ、ほぼ一年間の格闘を終え現在はマネックスグループの一員として認知されているコインチェック社ではあるが、ようやく今年2019年1月11日に金融庁は正式登録事業者として許可をした。
マネックスが子会社として発表してからほぼ9カ月のことである。昨年秋から今か今かと期待されてきたが年明け早々プレゼントのように金融庁から発表があり、多くのメディアが飛びついた。

ここ数日は3連休で株式マーケットは休みであるが、明ける火曜日にはかなりの買いが予想される。
昨年秋も売買高トップを連日記録してマネックスとコインチェックの名が一気に知れ渡るようになっている。短い期間で売買する銘柄では無いので長い目で応援してはどうでしょう。

当日、各社が発表した記事のほんの一部を紹介します。
下記の文字列にをマウスでクリックしてみましょう。


2019年1月10日

ビルケンシュトックのスニーカー

20190110 003.JPGドイツの靴メーカーであるビルケンシュトックは高価なサンダルイメージが強く特に意識していなかったが、今使っているニューバランスの軽いスニーカーが古くなり代わりの物を探してみた。

このメーカーは最近になり日本でも知られるようになって来たが、実に240年以上の歴史がある世界的な靴メーカーである。専門店でスニーカーを探して自分に合いそうな軽くてピッタリの物を見つけた。実際に履いてみて履き心地を感じ取り決定した。
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つま先がゆったりとしているのと、軽くて比較的しなやかな靴である。このメーカーはサンダルでも特徴があり中敷き(フットベース)がコルクで出来ていて長く使用すると自分の足底に馴染むことと、一様に平らな中敷きではなく人間の足の裏に沿うように立体的になっていて違和感が無い。
また、何年も履いて底のゴムがすり減ったら底の張替が可能である。
まだ上部が綺麗なのに捨ててしまわなくて良いのは私のポリシーと合致している。
何でもそうであるが長年世話をしていると簡単には放せなくなるものである。

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履きなれた靴は旅行などには欠かせない。ひどいメーカーでは旅行中に靴底が半分めくれてしまった経験があるので靴にはいつも気を使っている。
靴が高いか安いかは付き合いできる年数できまるような気がする。

2019年1月 6日

ニコンが先か?キヤノンが先か?という話

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戦後は沢山あったカメラ製造メーカーも今では数が減り、安定して人気を確保しているのは数社です。その代表的なメーカーはニコンとキヤノンであると言えます。もちろん、この2社はカメラ戦国時代から有名であったことは確かなのですが、その創設時の話をします。

私はニコンS3という復刻版のニコン製品など数種のニコン製品を愛用しています。今でもニコールクラブの会員ですが既に50年以上経ちました。カメラ愛好家の多くはニコン党かキヤノン党と呼ばれた時代がありました。フィルムカメラが全盛だった30年ほど前です。当然、ペンタックスやミノルタファンも存在していたわけですが、なぜかキヤノンとニコンが多かったのです。その理由の一つとして、写真愛好家が愛読するカメラ雑誌に問題があるのです。カメラ雑誌には作品を応募できるコンテスト形式の発表掲載欄があります。そこには、カメラの名称まで記載させています。本来は、レンズとフィルムデータで十分な筈ですがカメラショーの様な野放しの状態です。鮮明に写っている作品を見ると、やっぱりニコンか?などと納得する人が多いのですね。印刷になった時点で、その原画とは程遠い画質となるので丸で関係がないのです。
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話を戻します。大正6年に創業したニコンは日本光学工業株式会社という社名で戦時中は軍へ収める光学製品を主に製作していました。またキヤノンは精機光学研究所と呼ばれている時代のことです。当時はドイツから優秀なカメラがどんどん輸入されカメラ屋の店頭に並んでいたのですが、日本製と言えばほとんどがコピー品であり、そのほとんどは蛇腹の着いたスプリングカメラや2眼レフでした。私も少年時代には安物のスプリングカメラでスタートしたわけですが、とにかくカメラは高価なものだったわけです。そこで、1935年にはドイツ製のライカなどに対抗して精機光学研究所が日本で最初の35mm距離計式ハンザキヤノンというカメラを発売しました。このころの大卒初任給は70円です。そしてハンザキヤノンはドイツ製ライカのほぼ半額の275円でした。この開発には当時に写真卸し屋をしていた近江屋(ハンザ)や日本光学にいた熊谷さんなどの協力で出来上がったそうです。そして販売は近江屋がやっていたのでハンザキヤノンとなったわけです。しかし社内ではキヤノンと呼ばれていたようです。またキヤノンという名前は設計者の中に吉田五郎さんという観音様に熱心な人が居たからだそうです。その後試作機を完成させた吉田さんは、自ら作り上げたカメラに「KWANON=カンノン」という名前を付けられました。これは吉田さんが観音様を熱心に信仰していたことに由来するようです。マークも千手観音、そしてレンズにも、ブッダの弟子であるマーハカサーパに由来する「KASYAPA=カシャパ」という名前をつけたということです。カンノン、クゥワンノン、キヤノンになったのですね。ここで、キヤノンのヤは大文字なのに注意です。キャノンではありません。また、レンズは社員の親戚に日本光学の関係者がおられた関係から日本光学の協力を得てニッコールレンズを着けて販売された合体カメラだったわけです。この頃のニッコールレンズはニッカなどにも提供されており高級品の代名詞のようなレンズでした。
その後に日本光学工業も1948年には距離計カメラニコン1型を発売しています。

試作機ボディの軍艦部(上部)に刻印されている当時のマークです。
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(3枚の写真はホームページから転載)

2019年1月 5日

結局のところMFJ-259Bに落着きそうです

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電波を出すには送信機とアンテナが必要です。せっかく電波を発振しても肝心のアンテナに吸い込まなくては飛びません。途中は同軸ケーブルという太い被覆線で接続しますが、それぞれの整合(マッチング)が非常に大切で、この整合性が悪いとアンテナから戻ってくるのです。
効率良く電波をアンテナに載せ、作った電波の全てをアンテナから放出するのが理想です。しかし、そう簡単には行かず必ず少しは戻されます。
そんな状態を確認するために写真のような測定器を使用してマッチング状態を確認します。
写真の左のメーターでその状態が確認できます。
定在波比 (ていざいはひ、SWR: Standing Wave Ratio)という専門用語で表します
私も色々な測定器を使用したのですが、今はMFJ-259Bを使っているのです。
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理由は操作性が抜群です。特に私が使用するバンド(電波帯)はHF(短波帯)とVHF(超短波帯)がほとんどなので、この機種で十分です。テレビのUHFに相当する430MHz帯では別の機種を使用しますがUHF帯のアンテナではあまり調整箇所がないので殆んど必要が無いのです。

このMFJというメーカーは米国のアマチュア無線家向けメーカーで古くから色々な便利製品を販売しています。外観はキット感覚で高級感は無いのですがアマチュア無線家の気持ちを知り尽くして、こちらが欲しい用品をどんどん出してきます。
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2019年1月 4日

今年も一杯のコーヒーから始まる

20190104 002.JPGまだ田舎にコーヒー文化が無かった子供の頃、東京の親戚から缶に入ったコーヒーの粉をもらったことがある。もちろんインスタントコーヒーなど開発されていなかった時代で東京に住む一般人にも高価なものだったらしい。届いたコーヒーを早速缶切りで開けた時の匂いはとても印象的であり、ちょうど煙草の封を切った時に嗅ぐ仕草だったのを覚えている。
当時は道具も無かったので、日本茶を入れる茶こしに入れて湯を注ぎ恐る恐る味わったことがある。

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あれ以来、日本でもコーヒーを扱う喫茶店が増え続け今では味にこだわる人が多い。
元々日本のコーヒーは当時日本に住んで居た外国人向けのもので、外国人街があった神戸や横浜の港町が発祥地である。そのため大手のメーカーである上島コーヒー(UCC)や木村コーヒーなども戦後のアメリカブームで一気に広まり、1969年に開発した世界初のミルク入り缶コーヒー自動販売機で全国に知れ渡るようになった。
UCCとはUeshima Coffee Co.,Ltd.の略である。

今ではお茶も選択肢が増え、日本茶、紅茶などに加えコーヒー豆の種類も数多い。
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写真の器具は、約40年前に購入したものでハリオの一杯用サイホンである。
小さくても原理は同じなので味も変わらず楽しめる。現行機種なので今でもハリオから入手できる。
本体はプラスチックでなく少し重い合金で出来ていて安定性がある。
時間があるときにはボコボコという音を聴きながらゆっくりと味わえるお薦め品である。
どんな器具も長く使っていると愛着が湧いて放せなくなるし、電化製品と違い故障がないので注意して使えば一生ものである。

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