2019年1月 6日

ニコンが先か?キヤノンが先か?という話

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戦後は沢山あったカメラ製造メーカーも今では数が減り、安定して人気を確保しているのは数社です。その代表的なメーカーはニコンとキヤノンであると言えます。もちろん、この2社はカメラ戦国時代から有名であったことは確かなのですが、その創設時の話をします。

私はニコンS3という復刻版のニコン製品など数種のニコン製品を愛用しています。今でもニコールクラブの会員ですが既に50年以上経ちました。カメラ愛好家の多くはニコン党かキヤノン党と呼ばれた時代がありました。フィルムカメラが全盛だった30年ほど前です。当然、ペンタックスやミノルタファンも存在していたわけですが、なぜかキヤノンとニコンが多かったのです。その理由の一つとして、写真愛好家が愛読するカメラ雑誌に問題があるのです。カメラ雑誌には作品を応募できるコンテスト形式の発表掲載欄があります。そこには、カメラの名称まで記載させています。本来は、レンズとフィルムデータで十分な筈ですがカメラショーの様な野放しの状態です。鮮明に写っている作品を見ると、やっぱりニコンか?などと納得する人が多いのですね。印刷になった時点で、その原画とは程遠い画質となるので丸で関係がないのです。
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話を戻します。大正6年に創業したニコンは日本光学工業株式会社という社名で戦時中は軍へ収める光学製品を主に製作していました。またキヤノンは精機光学研究所と呼ばれている時代のことです。当時はドイツから優秀なカメラがどんどん輸入されカメラ屋の店頭に並んでいたのですが、日本製と言えばほとんどがコピー品であり、そのほとんどは蛇腹の着いたスプリングカメラや2眼レフでした。私も少年時代には安物のスプリングカメラでスタートしたわけですが、とにかくカメラは高価なものだったわけです。そこで、1935年にはドイツ製のライカなどに対抗して精機光学研究所が日本で最初の35mm距離計式ハンザキヤノンというカメラを発売しました。このころの大卒初任給は70円です。そしてハンザキヤノンはドイツ製ライカのほぼ半額の275円でした。この開発には当時に写真卸し屋をしていた近江屋(ハンザ)や日本光学にいた熊谷さんなどの協力で出来上がったそうです。そして販売は近江屋がやっていたのでハンザキヤノンとなったわけです。しかし社内ではキヤノンと呼ばれていたようです。またキヤノンという名前は設計者の中に吉田五郎さんという観音様に熱心な人が居たからだそうです。その後試作機を完成させた吉田さんは、自ら作り上げたカメラに「KWANON=カンノン」という名前を付けられました。これは吉田さんが観音様を熱心に信仰していたことに由来するようです。マークも千手観音、そしてレンズにも、ブッダの弟子であるマーハカサーパに由来する「KASYAPA=カシャパ」という名前をつけたということです。カンノン、クゥワンノン、キヤノンになったのですね。ここで、キヤノンのヤは大文字なのに注意です。キャノンではありません。また、レンズは社員の親戚に日本光学の関係者がおられた関係から日本光学の協力を得てニッコールレンズを着けて販売された合体カメラだったわけです。この頃のニッコールレンズはニッカなどにも提供されており高級品の代名詞のようなレンズでした。
その後に日本光学工業も1948年には距離計カメラニコン1型を発売しています。

試作機ボディの軍艦部(上部)に刻印されている当時のマークです。
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(3枚の写真はホームページから転載)