2019年6月25日

覚えている方は昭和生まれ

DPE.JPG太平洋戦争が1945年に終り、数年で国内にも徐々に開放ムードが浸透して来ました。終戦当時には全てGHQ(ゼネラルヘッドクオーター)が仮の政府を支配しておりほぼ司令塔だったわけです。
そこで、日本の新憲法の中で天皇を国の象徴とし、一般の国民はその象徴である天皇のもとに国を愛し、自分を高めることに集中しなさいとのことでした。

そしてGHQは日本人の勤勉さ優秀さを十分承知していたので、あえて英語会話教育を取り込まず英語は中学生それも文法・読み書き中心の教育を採用したのです。自由に英語が話せる日本を想像して将来の日本に危険を感じたのでしょう。こうして、戦後の日本に米国の民主主義が徐々に浸透して今ではすっかり米国のコピーの様です。
コカコーラやマクドナルド、スターバックス、ゼロックスなどが日本人の気持ちをすっかり変化させました。

米国の一部に取り込まれなかったのは何よりの救いでした。
戦前の日本国が世界で認められた大国であったことを米国は知っており恐れていたのでしょうね。
戦争に負けるとはこんな事かと、当時の日本人なら思った筈です。

この写真の富士フィルムの看板は、当時日本の写真屋さんには必ず掛かっていたもので一目で分かりました。とは言っても、当時は誰しもが写真を楽しめる時代ではなかったのです。高級カメラは給料何か月分もしたり、電化製品もほとんど無く白黒テレビを欲しくて汗水たらして働いた給料を貯めて買えるものでした。

撮影したフィルムを写真屋さんの店頭で渡すと預かり証は出来上りが4日後が普通でした。

湯布院温泉で有名な大分県由布市にある昭和村で私が撮影した物ですが、他にもドッサリとあり昭和の歴史が体で理解できる場所です。