2020年2月19日

いまだ暗号資産と呼ばれる仮想通貨

 主だった各国政府がデジタル通貨の検討に入って盛んに研究をしているようである。ここ数か月に起きている新型コロナウィルス感染の拡がりが研究を加速させているのが原因かもしれない。

 ところが仮想通貨に関しては未だに慎重な動きであり代替通貨として許可になるには時間が掛かりそうである。元々仮想通貨は種類が多く、その価格変動も大きく、投資の対象である金(ゴールド)と似ている。毎日変動するために日本政府は「暗号資産」という名称で呼ぶようである。価格を予測出来ない危険な資産に当たるということである。いづれ研究がなされて比較的落ち着くようなものになれば通貨としての道が期待できるかもしれない。米国フェースブック社が計画している「リブラ(Libra)」もその一種である。

 ウィルス感染に非常に危険なのは現金の受け渡しであるが、テレビなどでは一向に危険性を報じていない。誰の手に渡っていたかもしれない現金は誰が考えても最も感染しやすいものであるが、いまだに無意識にやり取りを繰り返している。その点、現金に触ることの無い、クレジットカードや電子マネーほど安全なシステムはないと思う。日本国民もようやく電子マネーの便利さに慣れてきたようで、現金取引がほとんどない中国に近づきつつある。中国は良いと決まったらやることが早い。

 また、ヨーロッパでもデジタル通貨が進んでおりスエーデンの銀行のほとんどが現金は取り扱っていないようである。当たり前であるが、日本ではネット銀行は現金を取り扱わない。現金の移動があれば即座にメールにて連絡があり、指先一本で記帳された情報を確認できる。
最近、ゆうちょ銀行もネット取引を進めており盛んに宣伝をしているが恐らく政府の指導と思われる。
昨年からのクレジットカード推奨といい、ゆうちょ銀行の残高確認サイトといい匂いがしてならない。

私の場合、便利にしているのは、
●ジャパンネット銀行
●ソニー銀行
●ゆうちょ銀行

●スイカカード
●ナナコカード
●ペイペイ
●ペイパル

固定資産税や自動車税も携帯電話からペイペイで読み取ると即座に納付できる。

 何でもそうですが、新しいシステムには慣れることが必要で、しばらく慣れてくると手放せなくなるものです。以前、ATMが出現したころに危険性を感じて絶対に使わない人がいましたが、便利さを知った現在は使ってない人は居ないほどです。

2020年2月 7日

二軒茶屋餅を食べてみよう

DSC00241.JPG
 伊勢には多くの餅があります。特に人気が高いのが「赤福餅」です。店を構えている場所にも恵まれていて昔から大人気です。車で伊勢に入られると国道23号線を南下して名古屋方面に15分ほどで右手には「へんば餅」も有名です。返馬と書き、昔は伊勢神宮の近くには入れなかったのでしょう。本店は旧参宮街道にあり若いころ時々お邪魔したことがあります。

 また写真の餅もよく知られており古いころから伊勢市民に親しまれているお餅の「二軒茶屋餅」です。こだわりをもって昔ながらの包みが印象的です。中身のあんこも極度に甘くなく優しい味です。
ひとことで言えば、きな粉餅です。

DSC00239.JPG 現在は、二軒茶屋餅角屋本店というお店で古い建物をそのまま残している。この写真は10年ほど前に撮影したので現在はどのようになっているか分からないが再度お邪魔する機会を作りたい。

2020年2月 5日

そろそろ懐かしく思えるJR東京駅八重洲口

DSC05867.JPG

DSC05881.JPG

DSC05917.JPG
 この風景を撮影したのは2007年3月29日午後5時15分ごろなので、既に13年が経とうとしています。2000年のミレニアム(千年紀)を境にして東京大変貌が始まり、東京駅周辺に限らず都内のいたるところで建設工事が続きました。もちろんしばらくは続くようですが今年のオリンピックは一つの区切りでもあります。

 この写真は、JR東京駅に当時の大丸百貨店が入っていた時のものです。誰しも一度は目にした風景ですが、令和を迎えた今では時代を感じるビルでもあります。3枚目の写真で分かるように、この頃には両サイドの高いビルはほぼ建設されていました。(写真では右ビルのみですが)

 この3枚の写真は日常誰しも撮影可能なものです。何の技術も必要としません。最近のデジタルカメラは失敗が無く100パーセントが使用できるからです。

 写真撮影のコツを言います。
 カメラに慣れていない人が撮る場合、自分の写したい対象を画面の中心となるように配置しますが、そうではなくて画面全体にわたり構図を決めることです。初心者が人物を撮ると中心に顔がきていることが多く、足が切れてしまったりします。
 出来上がった写真を眺めるように、撮影時からカメラを動かしてゆっくりと構図を決定します。これだけで人に伝える内容が充実するのです。

 もう一つは、撮影日時を記録しておくことです。正確な撮影日時が分からない記録写真は価値が半減します。せっかく昔の貴重な写真が出てきたけど、いつどこで撮影したか分からないでは困ります。記録としては説得力に欠けます。

 このように何でもない風景ですが、ちょっとした習慣にすると何年もあとで大きな価値を生むことがあります。しかも、それは他の人があとから同じ場所を撮影してもマネのできないことなのです。

 特に大きく変遷する場所は駅前です。皆さんも身近な駅前の風景を4方向から撮影して残しておかれることをお勧めします。一枚の写真が持つ情報量は記憶を思い起こすには十分です。

2020年2月 4日

中村良夫さん無くして今のホンダは有り得ない

DSC06996.JPG
 今でこそ世界のホンダと言われていますが、実はその裏で支えた技術者と経営者が居ました。経営に関しては藤沢武夫さんですが、今回は中村良夫さんの話です。

 東京大学航空学科で学び戦時中は軍の飛行機製造工場である「中島飛行機」や陸軍航空技研で飛行機の設計に取り組み、戦後は、富士産業、トヨタ自動車(何と一日だけで退社)、日本内燃機関(くろがね)を経て、最後は1958年に本田技研に入社して自動車設計をするかたわら、レース好きの本田宗一郎さんの援助などをしてレーシングカーの開発にも従事されて、ホンダの名を一気に世界中に広めたF1グランプリに挑戦されていました。

DSC06994.JPG

 話は戻りますが、中島飛行機は終戦後には社名を「富士重工業」として多くのヒット商品を販売しています。ラビットというスクーターも当時は簡易移動車両として人気がありました。その後に、再び社名を「スバル」に変更して、今や絶好調の自動車会社です。
ここで分かることは、スバルもホンダも元をたどれば飛行機の設計者が開発してきたメーカーです。飛行機は当然のことながらエンジンとプロペラを直結する技術であり高回転で回ります。
そのために、国産のFF車両はスバルとホンダが最初に開発した車でした。トヨタはFRにこだわり開発が遅れましたが、結局のところ現在では燃費と構造の簡単なFF車が主流となっています。

 本田宗一郎さんの陰に隠れてしまい、取り上げられることが少ない人生でしたが、世界の著名なレーサーやレース関係者で中村さんを知らない人は居ないでしょう。

 昨年からホンダはF1にも本腰を入れているようです。やはりレース好きの本田さんが起こした会社なので当然かもしれませんが。

ホンダレースの歴史 (左をマウスでクリックする)本田技研サイトに飛びます。

DSC06995.JPG
時間があれば、一度読まれてはいかがでしょうか。きっと技術のホンダの原点が見えてきます。