2018年12月13日

けあらしを見ました

兵庫県豊岡市には城崎温泉があります。城崎温泉は志賀直哉の書いた短編小説で有名な「城崎にて」で良く知られるようになり外国人観光局も非常に多い場所で、この時期は松葉ガニで特に人気がありホテルもほぼ一杯となるようですが。

現在の地名は正確には豊岡市城崎町となります。ここは1300年も続く名湯であり外湯がいくつもあり全てを廻るには何度でも訪れる必要があります。毎回、狭い温泉街を巡り外湯に入ると、人気もなるほどと納得させられます。一度訪問されたらいかがでしょう。

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翌日帰路につく途中で写真の様な風景に出くわしました。「けあらし」と呼ばれている自然現象で、温かい空気と冷たい空気が混ざり合うと生じるもので、分かり易く言えば「お風呂の湯気」と同じです。
この日は、広い川が一面に覆われて不思議な光景でした。運転を止めて路肩から撮影した物ですが、濃い霧が発生した時のように前の車が殆んど判明出来ないほどです。
この写真を撮った時にはかなり消えかかっていましたので様子が伝わらないかもしれないですね。

2018年7月30日

久し振りの風圧、台風12号のコース

昨日の真夜中に三重県伊勢市に上陸した台風12号でしたが、この台風はいつものものとは違いました。何と東の伊勢湾から上陸し西へと進んだのです。私も何度も台風を経験しましたが、知る限りでは初めてです。もちろん風を受ける方向も違います。普段ですと私の家では、ほぼ南風に始まり東風を強く受けます。ところが今回の台風は全方向から強く受け風向きが予測できなかったのです。

自宅の大きなアマチュア無線用アンテナをどの向きに固定しておいたら良いのかにも判断が難しく通過するまで心配で、寝ずに気象庁が発表するデータを調べて大変でした。
津市での瞬間最大風速は45mとのことで、久し振りに感じた風台風でした。
常識破りのコースをたどった台風として記録されるはずですね。

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写真は気象庁のサイトからのものです。

この台風のコースは気象庁が観測を初めてからは一度も経験したことの無いものとテレビで紹介があり、やっぱりと納得したものです。

2018年6月23日

スターバックスコーヒーのこと

米国スターバックスコーヒーが世界で初めて米国以外でオープンさせたのが1996年銀座店である。私が初めて東京都内で利用したのは日本カメラ博物館へ行く途中で見つけた店で、当時はあまり無かったオープンテラス式の簡単なものだった。スターバックスが開店まもないとのことで記念品の販売があり地元の知人へのおみやげとして数個のカップを購入した。当時はスターバックスは国内では珍しかったし、販売されたカップも米国製で、現在の印刷とは違いカップの底に凹凸のある文字の焼き物でした。
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そのオープンスタイルや店内が透けて見える安心感から女性にも人気が高まり一気に全国展開したのだと思う。当時は喫茶店と言えば喫煙場所とも言われるイメージがあり、子供や女性には人気が無かったがスターバックスは思い切って店内は禁煙とした。しだいに世の中で禁煙ムードが浸透してさらに人気が加速したのではないだろうか。

先日、鹿児島市内でスターバックスに入ったが何とイメージがレトロで驚いた。この写真で分かるように既存の建物を利用しているので中に入ると他の店とはまるで違ったが、これも日本のアイディアであろう。そういえば、以前、神戸の北野地区にも同様な古い外国人屋敷を買い取り改修された店があった。スターバックスも色々工夫しながらコメダコーヒーの進撃に耐えようとしている。

このスターバックスのロゴであるが現在は緑色と黒のツートンだが、昔は黒一色だったのです。ロゴのデザインも少しずつへ変化しているのです。

2018年6月15日

さらに高まる鹿児島の魅力

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NHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」の人気が絶好調らしい。もともと西郷隆盛に関心が高い人は多いが、上手くNHKがドラマ化しており九州では各地でPRがなされている。一時の「くまもん」人気のようである。
鹿児島と言えば桜島が有名であるが他にも数多くの観光地があり、どれも歴史に関係しており興味深い。地理的にも韓国や中国に近いので、それぞれの観光地やホテルでそれらしき人を多く見かける。
最近の韓国人や中国人は日本人と区別がつきにくいが、近くでは直ぐに分かる。
新幹線の終着駅「鹿児島中央駅」で降り構内を歩き出すと、早速目につくのが大きな壁ポスターである。プリンター技術が発達し昔の紙に印刷するポスターとは違い、綺麗なポスターが難なく印刷出来るらしい。駅構内で見かける通路の床にもこの手のポスターが貼ってあり、行先を案内してくれている。このプリンターを最初に開発したのは静岡県浜松市に拠点がある「ローランドDG」と聞いている。
電子音楽楽器のローランドのグループ会社で、昔ここの技術者にお世話になったことがある。

来年の大河ドラマはどこの県に的が絞られるのでしょうね。

2018年1月 1日

新年おめでとうございます

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撮影:TOMIOKA Takumi   2016  岐阜県高山市

昨年は世界的にもピリピリした状態が続き、今年はどうなるのかと心配ですが先ずは平和を祈りたいものです。
写真は、岐阜県新穂高温泉にあるロープウェーの山頂駅で撮影したものですが、現地の外気温はマイナス8度と表示されていてカメラのレールに塗ってあるグリスも固くなり焦点を合わすにもツマミが硬くて回りづらくなります。幸い雨も無く曇り空であり、瞬間見える遠方の白山連峰も入れることが出来た。北アルプスはこの頃には軽く雪が積もり真冬まではまだ少し日があるように思いました。
カメラはリンホフ4×5でレンズはニッコール180mmです。フィルムはベルビア50のノーマル現像。
撮影していると中国人観光客の団体が撮影中の私を携帯電話で撮影していて少し迷惑でした。

2017年6月 6日

タイガー計算機が懐かしい

JR九州の湯布院駅を降りると正面には由布岳が見える。両サイドに商店街がある通りを15分ほどまっすぐに進むと観光客で賑わう場所がある。右折してほぼ突き当たる場所に「湯布院昭和村」という施設があり入場料¥500で結構楽しめる。中にはどの部屋にもギッシリと昭和の懐かしい品が展示されており、どれを取っても当時の人気商品である。よくもここまで収集出来たものだと感心した。小物から巨大な鉄人28号人形、映画館の懐かしい看板など全てが本物らしい。私が興味を持ったのは写真の手回し計算機である。確か2つのメーカーが競い合っていてタイガー計算機と日本計算機だったと記憶している。若い時には両機種とも使用していたが、この場所で再び出合って懐かしく眺めた。
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ずっしりと重く金属製であり歯車の塊であった。有効桁数の多い計算にはこれしか手がなかったのである。ざっくりとした計算結果で満足された当時の機械工学ではせいぜい計算尺といわれるヘンミ製のものが使用されていた。もちろん一般では電卓や計算機など存在していなかった時代である。
物理計算などは、これが無いと手計算で有効数字8ケタほどまで紙で書いたものである。
この計算機のお蔭で報告書作成には時間短縮されたので誰もが欲しがったが当時の価格で10万円弱はした記憶がある。今や電卓が100円で買える時代である。品物の価値観が狂って来ている時代だからこそ大切にしたい昭和の一品である。

2017年1月 1日

正月には赤福本店に立ち寄るべき

あけましておめでとうございます

 伊勢神宮の近くに住む人は、初詣でに年越し参りをする人が多い。昨年5月に開催された伊勢志摩サミットを機会に、志摩市ともども伊勢市にはかなりの観光客が増えていると聞きます。またメディアで取り上げる番組も多くなったように思う。伊勢神宮は、内宮と外宮があるが昔から賑わうのは内宮前にある、「おかげ町」という場所であり、ここには古くから赤福本店が構えている。伊勢の赤福餅と言えば昔の人も同じものを食べていたようです。赤福本店の入り口には、年代物のかまどがあり実際に使用されている。この写真のようにピカピカなのが印象的で赤福本店の名物である。

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 ここに連ねる店舗は、建築学的にも面白い工法で興味深い。どこもかしこも同じ家が続く。伊勢市に妻入町屋が多いことの理由として、伊勢神宮の建物が平入であるため、一般の民家が神宮と同じでは恐れ多いと遠慮したためとよく言われる。ここ、おかげ町では、その形がハッキリとわかる。

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2016年12月31日

10年前の大阪梅田はどこも工事中

umeda-1.jpgのサムネール画像大阪人が北と呼ぶ梅田駅周辺は年末になると一層込み合う場所である。一番の繁華街であり、何といってもJR大阪駅、阪急西梅田駅などの乗換駅があり、有名なデパートなどが数を連ねる。この写真は、10年前2007年12月24日にJR大阪の歩道橋から撮影した写真である。私は、どこに出かけても記録として残している。特に変化が大きい駅前などは効果的である。誰でも苦労無しに撮れるし、最近のデジカメなら自動的に日時も記録される。撮影に日時の無い写真の記録的価値は半減されるので、カメラの日付は常にチェックが必要だ。そんな事を心掛けて残せば、その写真には自然と価値が付いてくる。変化が激しい場所も意外と誰も残していないことが多い。
 さて、JR大阪駅の周辺が10年で大きく変わった。昔の大阪市内は梅田に限らず、少しイメージが悪かったが、ここ数年で別物と化した。JR西日本と伊勢丹の合弁デパートも新しく出来たし、ヨドバシの周辺もどんどん建て変わっている。
 私が撮影した10年前は、こんな工事中の光景がいたるところに見られた。最近では南に行けば、近鉄百貨店の新ビル「あべのハルカス」も建っている。そろそろ南の工事も始まるような気がする。

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2011年2月17日

京都御苑の梅林を散歩する

京都の人気は年中とまることなく、それどころか最近外国からの観光客にも勢いがついたのか真冬にも外国人を目にすることが多くなった。昔の外国人観光客といえば、ガイドブックに掲載されたポピュラーな金閣寺や清水寺が多かったけれど、ここに来てマイナーな小さい寺や路地でも外国人に出くわすことが多くなった。観光立国を宣言したとたんに急に人気が出たのも、その効果とみることが出来る。

しかし日本人もあまり行かない穴場がある。それが京都御所(京都御苑)であり、いつも意外と少ない。特別観覧を希望する場合には予約が必要であるが、単に散歩や撮影なら自由なので一度入られると、その広さが確かめられる。車が走らないので散歩やジョギングには好都合でゆっくりと中を一周するとゆうに半時間はかかる。

また、3月になると多くの花が咲き質素な御所の風景が一気に色づくので春の訪れが良く判る。
2月から3月にかけては梅が咲き、並行して桃が咲き出す。本数もかなりのもので散歩していても香りが漂ってくる。

車で出かける場合には西門から入る。そうすれば、駐車した横が直ぐに梅林となっている。東にも駐車場があるが、西のほうが断然広くて空きが多い。


撮影:TOMIOKA Takumi (2009-03-26)京都御苑の中にある梅林

gosyo01.jpg gosyo02.jpgこの写真のように、中には砂利が敷き詰められており少し歩きにくいが、車の心配がないので毎日が歩行者天国である。

もちろん各施設に入るには宮内庁への予約が必要であるが、単に散歩や梅林では予約の必要は無い。

  撮影:TOMIOKA Takumi (2009-03-26)京都御苑の中で

カメラはソニー900に20mmレンズを付けてある。雨上がりなので砂ホコリも無く、路面にもしっとり感があるが、乾いた砂利は真っ白に写るので晴天では止めたほうが良い。

御所の南門から出て東に10分ほど歩くと加茂川が流れており、特にこの時期には堤防両サイドで散歩を楽しむ人も多くなる。ここも車は入れないので安心して歩くことが出来る。

 

 

2011年2月15日

江戸時代のひな人形を見る機会

滋賀県大津市にある和菓子工場「寿長生の郷」では3月になると古いひな人形が展示される。

それも桁違いに古いものなので実際に見る人に驚きは隠せない。
寿長生の郷はこのブログでも紹介したことがありますが叶匠寿庵の本社です。和菓子としては歴史が浅いのですが、高級和菓子としてとても人気が高い和菓子でデパートなどでは購入可能です。
ここで年に一度3月に、雛人形の虫干しが行われていますが、その展示を見る機会があったので行ってみました。
そもそも雛人形は、古く平安時代には貴族の子女たちの遊びで使用されていたようで庶民には縁がなかったらしく、それが江戸時代になり3月3日をひな祭り節句として一般にも拡がりをみせたようです。最近では3月3日(女の節句)と5月5日(男の節句)をまとめて「子供の日」として制定されているわけです。

ここに展示してあった雛人形は、江戸時代「享保」の物で1716年から1734年に使用されたものです。300年弱経っているわけで大変貴重なものですが、この展示室では目の前でじっくりと観察することが出来ます。今の人形のような華やかさはありませんが、保存状態も良く実物見るとビックリです。

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   撮影:TOMIOKA Takumi (2010-03-30)大津市寿長生の郷展示室で 

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sunai02.jpgゆずのシャーベット

 

 

 ゆずのシャーベットはここで食事をすると最後に出てきますが、本当に美味しいものです。ここで出される一品一品にはどれを出されても器が似合っており、しかも時には江戸時代のものがあったりでビックリします。以前、抹茶席で戴いた茶も徳川関係の殿様が江戸時代使用していた茶碗を使って出していますと聞いたことがあります。
3月になれば今年も展示が始まるので一度訪問されては如何でしょうか。

2011年2月 6日

大原の里は寒さが厳しい

sanzenin01.jpg今年は各地から大雪の便りが報告されている。ここ京都大原の里は京都市内から約12キロ離れている静かな里であり、観光で有名な三千院もここにある。

大原三千院はポスターなどではお馴染みの寺院であるが、今年のように大雪となったのは久し振りのようである。この日も一週間前の積雪がかなり残っており、いつもと違っていた。紅葉時期の華やかさは全く感じることができないが、訪問客も少なくかえって静かな寺院の風景を撮るには都合がよい。

ソニー900に20mmを着け小型三脚をローアングルで使ってみる。いつもなら狭く感じる中庭だが、今は広く感じられる。20mmレンズといえども冬の日陰での撮影では開放近くなると手前がボケるので低速シャッターで絞り値を補い丁寧にシャッターを押さなければならない。

 三千院は三千院門跡(もんせき)とも言われる。門跡とは天皇や皇族に関係した人が住職を務める寺院で、とくに天台宗の寺院にはこのような表現がされていることが多い。現に、岩倉実相院にも山門をくぐる時によく見ると「実相院門跡」とある。もちろん大原三千院にも階段を上るときに目に入るのが、この文字である。三千院は天台宗の寺院です。

 撮影:TOMIOKA Takumi     大原三千院(2011-02-05)

 

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撮影:TOMIOKA Takumi 岩倉にある実相院門跡  (2011-02-05)

2011年1月 1日

ニューヨークから戻った龍安寺の襖絵

fusumae-01.jpg撮影:TOMMIOKA Takumi
(京都龍安寺の襖絵)2010-12-19

京都の金閣寺から少し西に行った所にある龍安寺であるが、最近のニュースで話題になっている。
昔から何度も訪れた寺ではあったが、このニュースであらためて隠された襖絵のことを知った。

ニューヨークで開催された絵画オークションに出品されて、743万円で落札したそうである。落札した人は匿名であり寄贈されたようだ。龍安寺には何枚かの襖絵が所蔵されているが、竜の襖絵は一部が公開されたことがある。しかし、この絵は115年もの間、多くの手に渡り今回戻ってきたわけである。

ryouanji01.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (京都龍安寺の石庭廊下)2010-12-19

狩野孝信の作と伝えられ、龍安寺に返還されることになった6面の襖絵。
この作品も、一定期間(多分2月中)公開され再び収納されるらしい。
本物に触れることで味わえる実感を体験されてはどうでしょう。

 

fusumae-02.jpg fusumae.jpgふすま絵は安土桃山時代の絵師、狩野永徳の次男、孝信(1571から1618年)の作と伝えられる。明治初期の廃仏棄釈で財政困難に陥った龍安寺が明治28(1895)年、東本願寺に売却した71面のうちの6面。さらに九州の炭鉱王、伊藤伝右衛門の手に渡り、その後散逸した。6面については2000年に日本人コレクターが競売に出品。別のコレクターの手に渡っていたという。

2010年9月 4日

東京都心は工事中が多い

丸の内工事.jpg 撮影:TOMIOKA Takumi(2010-08-29)
工事中の東京駅丸の内側

東京都心の工事は2000年頃から盛んになり、今なお工事中の個所が多い。この写真は赤レンガ作りで有名なJR東京駅丸の内側ですが、すっかり工事用フェンスに囲まれていてがっかりさせられます。生まれ変わると駅舎は今まで通りステーションホテルとして使用されるようです。2012年完成予定。

東京駅八重洲口.jpg 撮影:TOMIOKA Takumi(2010-08-29)JR東京駅八重洲口

八重洲口も同様、工事中でありかつての大丸デパートは今では姿を消しており、新幹線ホームが丸見えです。新大丸はほぼ右手横に立て替えられて既に昨年から営業を開始しています。以前の光景では必ず中心に八重洲大丸の建物が写り込まれましたが。

スカイツリー.jpg撮影:TOMIOKA Takumi(2010-08-29)
建設中の東京スカイツリー428m時点 

一度スカイツリーを見ようと思い地下鉄の押上駅で下車しました。浅草の近くです。階段を上り地上に出て辺りを見ましたが特に高いものが無かったので、少し探しましたがよく分りません。さらに進んで首を回すと何と工事中のスカイツリーが眼に留まり、これかっと言うことで撮ったのがこの写真です。ニュースや雑誌などでは綺麗な光景が多いのですが、あえて見たままのものです。このように電線が多くあり、すぐ前には関連施設が工事中であり、スカイツリーが428mもあるとはとても感じることが出来ません。

やがて完成すれば、今とは違った見ごたえのある地デジ専用のタワーになることでしょう。

歩行者天国

銀座歩行者天国.jpg 撮影:TOMIOKA Takumi(2010-08-29)
銀座4丁目交差点

そもそも歩行者天国という響きの良い用語は、どうやら1966年に朝日新聞が使 用したのが始まりのようである。1970年当時に自動車の排気ガスが騒がれ、せめ て土日くらいは繁華街において乗り入れを規制して綺麗な町作りをしようとしたの が始まりのようで日本ではここ銀座のものが基準となったらしい。この運動は一時 全国的に広がりをみせ各地に○○天国なる新語を生み出した。
ちょうど東京に仕事に出かけたので久し振りに銀座に立ち寄ったところ、以前とは
違い閑散としていた。それもそのはず今年の夏は猛暑が続き、この日も気象庁は 35度を超える予報を出していたのである。それも観測史上初めてという記録続出 であり、普段は人気がある銀座の歩行者天国もこんな様子である。この場所は銀座 では一番知られている服部時計店のある交差点で「銀座4丁目」と呼ばれ流行歌 にも出てくる。服部時計店も改修工事が終わり工事幕が取り除かれ以前の光景を 取り戻した。

2010年6月28日

ホンダN360×トヨタパブリカ800

N360.jpgのサムネール画像のサムネール画像

1967年に発売されて爆発的な人気を集めホンダの名前が4輪の世界で一気に知れ渡った軽自動車がある。通称「Nコロ」と言われ、当時発売されていた若者向けの週刊誌プレイボーイに記事が紹介された。それまでに人気があったトヨタの国民車「パブリカ800」とは違い、形状も小さくて色も奇抜(最初は真っ赤のみ)で町を走り抜けるスピードの速い小さな移動体というイメージであった。当時は車体が赤い車は消防車以外にはほとんど無かった。パブリカが800cc空冷エンジンであるのに対して、エンジンは4ストローク強制空冷直列2気筒チェーン駆動SOHCで、オートバイ用の450ccエンジンをベースに開発された。ボア×ストロークは62.5×57.8mmのオーバースクエアで、排気量は354cc、最高出力は実に31PS/8,500rpmという、当時としては凄まじい高出力・高回転エンジンであった。この時代、軽自動車のエンジンは2ストロークが主流で、出力も20PS台前半がせいぜいであったことから、4ストロークで31PSを発生するN360のパワーは、もはや常軌を逸した水準であった。最高速度は115km/hを公称し、これも当時の軽自動車として最高レベルであった。

そんな当時、鈴鹿から名古屋に知人のパブリカでドライブしたことがあった。ちょうどNコロが新発売された頃で、まだ街中で見かけることは無かった。ある時、交差点で信号待ちをしていたら私たちの白いパブリカへ挑戦するように並列に真っ赤なNコロが来た。初めて見る車に何だこれはという驚きもあり、しばらく併走することとなったが、何と速いこと・・・・速いこと、とても並んで走ることが出来なくなり、途中で見失うこととなる。

そんな思い出の中、昨日、あるカタログに出会った。当時発売されていた物ではあるが、今まで本物を見るチャンスはなかった。

2010年4月28日

日本のファミレスを築き上げた三重県出身の男「渥美俊一」さん

今では沢山の店ががひしめきあっているファミリーレストラン「すかいらーく」の話です。

渥美俊一氏が率いる「ペガサスクラブ」というのがあります。いまでこそ大手チェーンの殆んどが加盟する組織ですが、当時(1960年代)はまだその活動は小さく、松阪商人として活躍する渥美俊一が作った活動家の集まりでした。そこの行事で開催されたアメリカ視察セミナーに、「ことぶき食品(のちのすかいらーく)」の横川兄弟が参加したわけです。

1960年代の日本の食堂といえば、「うどん屋」とか「そば屋」が殆んどでいわゆる丼物を食べていたわけです。たまには、街の大きなデパートにはレストランがありましたが、私のような三重の田舎に住む庶民が簡単に入れることもなく、服装でさえ気をつけて行かなければならないほど一般化していなかったわけです。

その米国視察旅行でも、全てが驚きだったようで、帰国後のペガサスクラブでも討論が行われて、日本にも米国のレストラン方式を取り込もうとなったわけです。

それから翌年の昭和45年(1970年)に、横川4兄弟は東京都国立市に「すかいらーく一号店」を開店させました。この年は、日本で初めて開催された「大阪万国博覧会(大阪万博)」の年であり、会場内にはアメリカから参加した「ケンタッキーフライドチキン」も日本国民の前に始めて姿を見せました。ロイヤルホストもそうでした。こうして、この年1970年に一気にアメリカの食べ物に火がつき、翌年には銀座にファーストフード店第一号である「マクドナルド一号店」が三越デパート一階にオープンしたわけです。

こうして外食産業という言葉が徐々に流行をし、次々にチェーン店が生まれました。「どさんこラーメン」は500店を超えていたようです。1972年ごろは3兆円を超える売り上げを記録していました。<br />このようにして最初に生まれた「すかいらーく」は日本のファミレスをリードし続け、現在でもファミレストップの座を確保しているわけです。

この「渥美俊一」は1926年(大正15年)三重県松坂市生まれで「三重一中(現在の津高校)」を卒業しておられます。
参考となるページは

http://www.pegasusclub.jp/atsumi.html

三重の商人は、三井財閥などに代表されるような何か独特のものがあり、最近では大型スーパーのジャスコ会長なども我々三重県人が誇りにしなければならないアイテムなのです。

2009年5月 9日

30年前のSLブームが再び?

yamagutigou.jpg1979年8月1日津和野駅発行入場券
半分の大きさ(68mm×170mm)
(写真複写:TOMIOKA Takumi)

1979年と言えば日本でやがてSLが消えるということで全国各地でSLファンが急増した頃である。SL(蒸気機関車)が黒い煙を吐きながら悠々と走る姿は、当時まだ多く残っていた田園風景にピッタリとマッチしていたものである。

その頃の自動車道路の状況は、大都市周辺の高速道路は整備され100kmでの走行が普通であったが、山地で囲まれた中国地方のど真ん中を走らせる「中国自動車道」の整備は遅れており、1979年この入場券を欲しさに三重から山口県萩まで走るのに、全線高速とはいかなかった。確か、千代田インターが最終であり、そこから西は2号線へ戻る必要があったのである。そのために、記念号「やまぐち号」の写真を撮るには、相当な努力を必要とした。

現地に到着した頃には、既に発車直後であり、一般道を車で追いかけたものである。そのために、この入場券も津和野駅発行のものしか入手出来なかった。津和野駅に着くと、すでに列車は到着していて、ホームには雄大なピカピカの物体が寝そべっていた。

山口県を走る小郡?津和野は人気の高いC57とC58が使用されていた。両方の車輌ともSLファンには人気が高く、絵になる。そのためにSLファンたちはこのC57を求めて各地で撮影場所を探し歩いたものである。

当時の鉄道写真家といえば、広田尚敬(ひろたなおたか)と言われるほど広田さんは多くの路線での素晴らしいSL写真を残している。それは単にSLの姿ではなく、SLがもたらした当時の日本の情景も写しこんでいて、ある意味貴重な記録写真となっているのである。現在も幅広くご活躍であり、既に息子んさんも若手鉄道写真家として踏み出されている。

そういった広田さんの努力もあり、再び、日本に鉄道ブームが到来して来たようだ。特に、最近はNHKハイビジョンで放送された「全国20000km鉄道の旅」では、人気俳優の関口智弘(せきぐちともひろ)さんが全国を巡回して一気にそのブームがやってきたようである。再放送も頻繁にされておりファンもどんどん増えている。

また、この夏にはJRがD51を走らせる計画があり、今年はそのスピードが加速しそうな気配である。

(参考)
C57
昭和12年にC51形式改良近代化機として誕生し、北陸線、鹿児島線、東北線などの幹線の旅客列車けん引に使用されました。形態は勇美で、「貴婦人」の愛称をもち、国鉄の機関車のうちもっともスマートです。(製造201車輌)

C58
昭和13年に標準中形客貨用機関車として誕生し、輸送量の多いローカル線に使用されました。8620形式に劣らない高速性能と9600形式に匹敵するけん引力を兼ね備えた万能機関車です。(製造427車輌)

2009年1月16日

20年に一度しか渡れない宇治橋の仮橋

ugibasi.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (2009/01/01)

今年は伊勢神宮で大きな行事がある。現在2013年の遷宮に備えて周囲の建造物の建て替えが行われている。その大イベントが宇治橋渡初め(わたりはじめ)である。宇治橋とは伊勢神宮の中を流れる五十鈴川に架かる橋のことで、神宮へお参りする時には必ずこの橋を渡らないと入れない。もちろん、昔から同じ場所に架けられて現在でも20年に一度交換されている橋のことである。

これらの行事は正しくは神宮式年遷宮(じんぐう しきねん せんぐう)といい、 神宮では、20年ごとに内宮と外宮の正殿など正宮・別宮の全ての社殿と鳥居を建て替え、御装束・神宝も造り替え神体を遷す。式年遷宮の4年前には宇治橋が架け替えられる。これは戦後のことらしくそれ以前は同時に行っていたらしい。

この式年遷宮は690年に始まり、一部無かった時代があったが前回1993年の第61回式年遷宮まで続けられてきている。 今の式年遷宮にあたっては2005年から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、2013年には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。

また、この写真に関係する行事として宇治橋渡り始め式(うじばしわたりはじめしき)が開催されるが、 前回は1989年11月3日に行われ、その20年後ということで今年の2009年11月3日となる。この式は 橋の安全祈願を目的としたもので、式の日には 神領地から選ばれた「渡女(わたりめ)」を先頭に夫、子夫婦、孫夫婦が渡り初めを行い、全国から選ばれた三世代揃った夫婦が続く。

この式典に備えて、2月1日までは旧宇治橋(現在の橋)が渡れるがその後は取り壊しの工事に掛かるため渡れない。その日までは仮橋(かりばし)と宇治橋の両方を渡れるが、これは20年に一度しか見れない光景である。写真はこの元旦に仮橋を撮影したもので、参拝が終った人が帰りにこの橋を渡っていた。

今後しばらくは伊勢神宮内では2013年の遷宮に備えての行事が続くので興味深い。

2008年12月26日

マンガ王国の日本が生み出した新たな文化「コスプレ」

manga01.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (2008/12/23)

天皇誕生日である12月23日、京都にある「京都国際マンガミュージアム」の中庭はコスプレを自由に楽しむ若者で賑わっていた。コスプレとは着せ替え人形のようにして遊ぶ趣味らしいが、これはどうやら日本発の造語であり今や世界中に広がりつつあるらしい。正式にはコスチュームプレーという。以前では一部の人達の集まりであった1974年開催の日本SF大会での仮装大会が発端らしく、当時の人気漫画に登場する人気者を真似た衣装で登場したのが最初であったようだ。その衣装姿が受け、その後色々な人気アニメに登場する衣装が流行し、最近になり秋葉原の「メイド喫茶」という流行語で一気に加速しているらしい。日本のマンガは既に世界の子供たちには人気が高く、一つの産業になっている。そんな日本であるからこそ、いま「コスプレ」という文化を生んでしまった。やがて外国の路上でもこんな衣装を身に着けた若者が風景を変えるはずである。カラオケと同様にコスプレという日本語は一つの文化を作ってしまった。

manga02.jpgコスプレを楽しむ多くは女子である。女子は昔から、お嫁さんに憧れ、大きくなったらドレスを着て・・・・・・という人が多い。だから、この文化も若い女子が中心であるのも納得がいく。アニメの登場人物に成りきった気分で自分と別人を作り出す。考えてみれば、プレーである。

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2008年12月14日

伊那谷にせまる冬の気配

sibukaki.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (2008/11/29)
長野県阿智村

伊那谷と言えば動物写真家宮崎学さんのふるさとである。宮崎学さんのフクロウの写真にはもの凄い迫力があるのは、彼の撮影技法から来ている。電子回路などの技術に明るい人なので、若い頃から伊那谷で育ち何とか伊那谷発のモチーフを探しておられたわけで、その苦労が実り「フクロウ」の宮崎学として他からの追従は無理なほどである。その撮影技法の一つが夜間におけるフクロウの生態を複数のフラッシュを使い撮影し瞬間を連続で捉えるというものである。真夜中の伊那谷を飛び回るフクロウの撮影は宮崎学さんしか撮れないであろう。伊那谷の隅々まで知りつくした宮崎学さんしか準備できないものだ。

そんな宮崎学さんの撮影拠点である伊那谷に行く機会がこの秋あった。確かに谷間である。私が泊まったのは阿智村昼神温泉といって、温泉もすばらしい湯であり、のんびりと数日散歩するには良いところである。デジカメを提げて阿智村で見つけた晩秋をスケッチしてみた。気が付いたことだが柿の木が多い。干し柿になる日も近いのであろう。

 

 

inadanibansyuu.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (2008/11/29)

稲刈りもまだ手で刈り取りをしているらしく各所に乾すための柵が残っていた。農家の入口まで細い道が続いているので撮影しながら気が付いた時には、すでに他人の敷地内にお邪魔しているわけである。話を聞くとそんな観光客も結構いるらしいので安心をしてしまった。

京都とは違った人気配の無い秋の風景であるが、ここはここで時間が戻ってしまったような気がする。ゆっくりと時間が経っているので、おそらく30年前と何も変化が無いと思う。

otiba.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (2008/11/29)

紅葉の写真を撮るときには、ほとんどの人が色付いた木を探しながら辺りをキョロキョロする。しかし、よく見るとその木の下にも紅葉がある。この場所はあまり良くないが、奈良公園などを歩いていると、一面イチョウの葉っぱが敷き詰められた素晴らしい紅葉の写真が出来る。

やがて伊那谷に冬が来る。昼神温泉にゆっくり浸かって露天風呂でマイクロバブルを当ててみたい。マイクロバブルの話はまたここで書くこととします。

2008年11月24日

永源寺で体験できる紅葉のトンネル

eigennji_2.jpg撮影:TOMIOKA Takumi(2004/11/21)

滋賀県の東部にある永源寺は関西では有数の紅葉の名所である。観光客は毎年どこからとなく決まった時期に必ずやって来る。このお寺は一年中訪れる人が絶えないが、やはり秋の紅葉の季節には特に人気が高い。maple

近江の国は、昔から料理や菓子職人で有名であり、全国でも和菓子の有名な老舗が多い。京都で生活をしていたお公家さんたちが都で戦争が起こるたびに、ここ近江に隠れながら生活をしていたと聞く。彼らは、京都で携えていた菓子職人や料理職人などを引き連れてやってきた。いつしか彼らは近江の国で事業を展開して多くの菓子職人を育て、全国に散らばらせ和菓子が広まったと聞いている。確かに、名高い有名な老舗が滋賀県に多いことにも納得がいく。enter

近江の国は、昔から料理や菓子職人で有名であり、全国でも和菓子の有名な老舗が多い。京都で生活をしていたお公家さんたちが都で戦争が起こるたびに、ここ近江に隠れながら生活をしていたと聞く。彼らは、京都で携えていた菓子職人や料理職人などを引き連れてやってきた。いつしか彼らは近江の国で事業を展開して多くの菓子職人を育て、全国に散らばらせ和菓子が広まったと聞いている。確かに、名高い有名な老舗が滋賀県に多いことにも納得がいく。enter

eigenji02.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (2004/11/21)

永源寺(滋賀県)

 

 

 

 

 

 

 

 

京都の紅葉は今が見ごろ

jingoji01_3.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (2006/11/18)

京都高雄の神護寺

この時期になると神護寺には一年で最も多くの観光客が訪れる。長い階段のある参道は人で埋め尽くされる。それだけ努力して登っても価値のある紅葉が見られるのであろう。高い山は別として、これだけの紅葉が一箇所に集まる高雄は魅力であり、カメラファンにとっても絶好の素材になる。最近はデジカメが一般化して誰もが綺麗な写真を持って帰れるのは有難いことである。

カメラに保存して自宅に帰りじっくりと再度眺めて思い出を残すことが出来る。

 

jingoji02_2.jpg jingoji03_3.jpg  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2008年3月10日

負けたけど立派な走り「名古屋国際女子マラソンでの高橋尚子」

naoko_takahashi01.jpg撮影:TOMIOKA Takumi(03/09/2008)
名古屋国際女子マラソン2008

テレビで見ると健康そうなお嬢さんとしか思えない女性ですが、この日、名古屋国際女子マラソンでの彼女には非常に厳しい顔があった。地元近い名古屋での開催とあって「Q(キュー)ちゃん人気」がものすごい。沿道では通過する前から高橋がんばれと聞こえる。それからようやく本人の通過する姿があった。

小春日和となった名古屋で走る高橋尚子の走りはすばらしかった。スタート直後からトラブル発生と報じられ先頭集団から1キロ半ほど離された。それでも私が見ていた県庁前交差点近くでの高橋は、他の選手とはまったく違うフォームで力強いことがハッキリ分かる。とにかく他の選手とは違うバランスの取れたフォームで走る。素人の私の眼にもその違いは理解できた。練習で走りこんだ彼女が目の前を通過するスピードといえば軽く100メートルを全力で走る一般人の早さである。この場所は、折り返し点近くであり同じ場所を3回通る。ここに居れば高橋尚子の走りも3回見れることになる。この日の結果は27位と良くなかったけど、私が初めて見た高橋尚子は世界に通じるアスリートということをハッキリと見せ付けられたように思う。

 

  

naoko_takahashi02.jpg撮影:TOMIOKA Takumi(03/09/2008)
名古屋国際女子マラソン2008

 

 

 

 

 

 

 

2008年2月21日

日本のファミレスを広めた三重県の男「渥美俊一」さん

今では沢山の店ががひしめきあっているファミリーレストランの話です。
渥美俊一氏が率いる「ペガサスクラブ」というのがあります。いまでこそ大手チェーンの殆んどが加盟する組織ですが、当時(1960年代)はまだその活動は小さく、松阪商人として活躍する渥美俊一が作った活動家の集まりでした。そこの行事で開催されたアメリカ視察セミナーに、「ことぶき食品(のちのすかいらーく)」の横川兄弟が参加したわけです。

1960年代の日本の食堂といえば、「うどん屋」とか「そば屋」が殆んどでいわゆる丼物を食べていたわけです。たまには、街の大きなデパートにはレストランがありましたが、私のような三重の田舎に住む庶民が簡単に入れることもなく、服装でさえ気をつけて行かなければならないほど一般化していなかったわけです。
その視察旅行では全てが驚きだったようで、日本にも米国のレストラン方式を取り込もうとなったわけです。

それから翌年の昭和45年(1970年)に横川兄弟は東京都国立市に「すかいらーく一号店」を開店させました。この年は、日本で初めて開催された国際万博「大阪万博」の年であり、会場内にはケンタッキーフライドチキンも日本国民の前に始めて姿を見せました。ロイヤルホストもそうでした。こうして、この年1970年に一気にアメリカの食べ物に火がつき、翌年には銀座に「マクドナルド一号店」が三越デパート一階にオープンしたわけです。
こうして、外食産業という言葉が流行し次々にチェーン店が生まれました。どさんこラーメンは500店を超えていたようです。そして、1972年ごろは3兆円を超える売り上げを記録していました。
最初に出来た「すかいらーく」は日本のファミレスをリードして現在でもファミレストップの座を確保しているわけです。

この「渥美俊一」は1926年(大正15年)三重県松坂市生まれで三重一中(現在の津高校)を卒業しています。
参考となるページは
http://www.pegasusclub.jp/atsumi.html

三重の商人は、三井などに代表されるように何か独特のものがあり、最近では大型スーパーのジャスコ会長など我々三重県人が誇りにしなければならないアイテムです。

2007年12月15日

渋谷109(まるきゅー)の人気は続く(森本容子のカリスマ性)

109_2 写真:TOMIOKA Takumi(12/09/2007)
クリスマス商戦を戦う渋谷109の夕景

渋谷にある東急ハンズ本店に立ち寄った時に渋谷駅前から少し歩いた。クリスマスを控え各地はライトアップが目立つ。

マウジーというファッションブランドがある。数年前から有名になって来たこのブランドを創設した、元エゴイスト社のカリスマ店員森本容子氏らが立ち上げたブランドである。
そのマウジーは、2000年のブランドスタート(渋谷109から)から、大きな成功を収め、現在では、20店舗以上を構える陣容となっている。

「マウジー(moussy)」、「スライ(SLY)」(共にフェイクデリック社が手がけるブランド)の躍進がファッション界では目立つ。この エゴイスト社のカリスマ店員でもあり、マウジーを立ち上げた森本容子氏が渋谷109の人気を作ったと言ってもよい。

当時のエゴイスト社は、まさにギャルブームの中心である派手系路線であった。そして、エゴイスト社のマーケティング戦略は、カリスマ店員を使った露出。店員そのものがカリスマ店員としてブランドの代表となり、雑誌に露出する。それを見た潜在顧客たちが、そのスタイルを買いに店にやって来る。カリスマ店員は、ユーザーと同世代で、いわば一般人なのだ。顧客から見た親しみ易さもさらに人気を呼んだ。この戦略が爆発的に当り、カリスマ店員の露出は日々に高まったのである。つまり、カリスマ店員のプロデュースに成功したブランドの売上が爆発的に伸びるというのが、21世紀を目前に控えた当時の渋谷ファッション事情であった。
 その後、森本容子氏は、エゴイスト社を退社して、マウジーの立ち上げに参画する。ここでも、彼女のカリスマ性が発揮され、すでに彼女は新たに、当時の顧客をターゲットにした少し年齢層の高いファッションブランドに挑戦中である。

2007年4月28日

本屋の店頭を見れば5年後がわかる

Scan10007.JPGこのごろ書店の店頭で懐かしい昭和30年代のものを対象とした商品を眼にすることが多くなった。この週刊誌もそうであるが、毎週発売されて100週ほど続く。1年は50週ほどだから2年間毎週出版されて少しずつ部品とともに解説書が届く仕組みで、最後が届く頃までには作品が完成するというわけである。前回は「戦艦ヤマト」で人気をあげた出版社でこれからもどんどん出ると思う。

昭和30年代と言えば、日本は復興期であり何でも国民は全身でぶつかったものである。その頃の蒸気機関車や国民車・電化製品はなぜか人気が出ている。理由の一つに、やがて団塊世代が定年を迎えることが挙げられる。各メーカーは彼らにターゲットを向けており、世の中全体が団塊世代を向かえる準備に着いているのである。

団塊世代の遊びといえば、「模型飛行機」「真空管オーディオ」「無線」「カメラ」「ラジオ製作」などがほとんどであり、どれも高価であった。コンピュータがなかった時代だからすべてが手動作でわかりやすくテンポが遅かった。親子ともども熱中して我を忘れ、母親はこの光景を見てにっこり。どの遊びをとっても興味をそそった。

そんな時代を生き抜いた彼らが、今の日本技術の原動力となり世界一を生み出した。だから「プロジェクトX」のようなドキュメント風の番組が完成したのである。彼らはやがて青年を迎えて、オートバイや車に興味を持つようになり、メーカーはドンドン売れる車を工夫する。電化製品も彼らの結婚時代に合わせて、新製品を出してくる。こんな繰り返しで日本は成長を成し遂げたのである。

もう一つ書店で多いのは、団塊世代の定年退職を狙った「資産運用」本である。これは何も本に限ったことではないが、銀行・証券会社・保険などもそうである。やがて、旅行会社が出版する「旅行」本が並ぶであろうし、彼らが旅行するには親を預ける「介護施設」が増えてくる。病気は自宅からインターネットで解決出来るようになり、大きな治療だけ病院で世話になる時代がやってくる。そのことで、医師の数も何とか確保できるはずである。

書店で並んでいる書名からこんな読みをすることも結構面白いし、世の中を一歩上空から眺めていると、流れが読めてくる。

2007年1月14日

お七夜の真最中です

ositiya1.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (2007/01/13)

正月の光景も薄らぐこの時期になると、毎年、私の住む津市では「お七夜」が始まる。知らない人も多いと思うが三重には真宗高田派の総本山となる高田本山専修寺がある。この寺は、親鸞聖人が開山したと伝えられ、その命日を中心にこの行事が開催されている。正式には報恩講(ほうおんこう)というらしく、7日間にわたることから「お七夜」と呼ばれ、全国から大勢の信者や参拝者がおとずれる。行事じたいは1日数回の法話が中心だが境内にたてられる「報恩謝徳」と書かれた提灯の列、門前の道を挟んでびっしりとたちならぶ屋台などお祭り的な賑わいを見せる。地元では「お七夜さん」と親しみと敬愛をこめて呼ばれている。

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2006年10月 4日

モータースポーツの町「鈴鹿」からF1の話題

ホンダF1チームチーフメカニック
「アリスター・ギブソンさん」の講演
f11.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (10/04/2006)
三重県鈴鹿サーキット特設会場で

今年も、モータースポーツ最高峰であるF1グランプリがやってきた。鈴鹿開催はとりあえずこれが最後だそうで、20年間続いた鈴鹿開催も名残惜しい。会場の鈴鹿サーキットへはもう既に多くのファンが駐車場を拠点に開催前のムードに浸っていた。今日は、あることで貴重な講演会に参加できた。F1日本グランプリ特別企画として開催された「モータースポーツワークショップ」である。こういう点は、鈴鹿サーキットから近いところに住んでいる者の特権である。昨年から開催されたワークショップで今年は170名ほどが招待された。講師は、ホンダレーシング F1チームのチーフメカニックである「アリスター・ギブソン氏」と女性の「トレーシー・ノバックさん」で彼女はホンダレーシング F1チーム コニュニケーションマネージャーである。ギブソンさんはJ・バトン選手の担当チーフメカニックである。

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2006年9月18日

イラク支援で見慣れたこの車輌も日本製である

軽装甲機動車輌
keisousya.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (08/26/2006)携帯電話使用

毎年各地で防災訓練が実施されているが、今年の私は三重県消防学校(鈴鹿市)で実施された訓練デモに参加をした。災害ボランティアなど普段活躍している多くの団体がこの日に活動を披露した。なかでも自衛隊の参加は実戦部隊で活動できる機材や車輌を使っての本格的なものであった。ここに掲載した車輌はイラク現地での支援活動を行ってきたものと同種で正しくは「軽装甲機動車」と呼ぶらしい。当日隊員の人から詳しい説明を受けたが、機関銃も搭載できる本格的な車輌であった。それにしても、テレビでは何度も見慣れていたが、近くで見るととても物騒なもので圧倒された。この軽装甲機動車(けいそうこうきどうしゃ)は、主に陸上自衛隊の普通科に配備されている軽装甲車両である。

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2006年9月 3日

そろそろお月様が話題となりそう

昨年の愛知万博で見たススキが印象的でした
susuki.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (2005)

月見とは、旧暦の8月15日(十五夜)と9月13日(十三夜)の夜の月見を指すらしい。旧暦の8月15日を「中秋」と呼ぶため中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)ともいう。また、旧暦8月は、秋(7-9月)のちょうど中頃なので「仲秋」と呼ぶともある。旧暦ではこの頃が観月に最も適した時節とされていたため、この夜は、月が見える場所などに祭壇を作り薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺めたり(お月見料理)、豊作を祈る満月法会などが全国で祭事として残っている。
掲載した写真は、既に1年前に撮影した愛知万博会場での「すすき」である。愛知万博には3回足を運んだが、今となってはどの光景も記憶が薄らいできている。ちょうど秋ということでこの写真が眼に止った。撮影場所は確かアメリカ館に行く通路ぎわだったと思う。何とか、愛知万博の印象を一日でも長く記憶に残したいと思っているので、これからもここで機会があれば写真をアップしたい。