2019年7月15日

カール・ツァイスのレンズ

ドイツという国は戦争で東西が分断されていた時代がありましたが、1989年に東西統一を果たし現在はドイツという国です。

日本の技術の多くはドイツのメーカーと提携したり真似をして独自に成長したものが多いのです。
ドイツには戦前から大きな写真メーカーがいくつかありましたが、世界的に有名なレンズメーカーはカールツァイスです。

ドイツのメーカーは東西に分断される前には、ほぼ中心に寄っていました。
しかし分断により離れてしまいましたが、昔は

カール・ツアイスはレンズ(東ドイツ)
ツアイス・イコンはカメラ(西ドイツ)
ライカはカメラとレンズ(西ドイツ)
ローライ・フランケハイデッケ(西ドイツ)
リンホフ(西ドイツ)
シュナイダー・クロイツナッハはレンズ(西ドイツ)

というイメージでしょうか。

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なかでも、カールツアイスのレンズは古く顕微鏡製造技術が始まりです。
有名な、
テッサ―やプラナーやゾナーやディスタゴンなど数えきれないのです。しかも、それが世界中の多くのカメラに提供されています。

日本ではソニーのカメラが装着して一般の人にも知られるようになりました。
そのプラナーレンズですが、主に
スエーデンのカメラであるハッセルブラッド
西ドイツのローライフレックス
のカメラには標準レンズとしてセットになっています。
この写真のレンズはいつも使用しているハッセルブラッドで使用されている標準レンズです。

写真愛好家の中には、このプラナーレンズを極度に好む人たちが多く居ますが分かるような気がします。隅々までピントが合う精密な描写や光の抜けが良いなど欠点知らずです。
現在は独特のレンズコーティングを生み出し、T*(てぃーすたー)が赤文字でレンズの前に付いています。

カールツアイスのレンズは素晴らしいの一言です。


2019年7月 6日

ロクロクサイズで撮ると良いことが多いのです

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6×6サイズのカメラは当時ヨーロッパで盛んに生産され、その流れで日本でもマミヤ6やブロニカやミノルタオートコードが生まれました。これは1950年代から1980年代の話ですが、以来からずーと人気を支えている人達があります。ロクロク愛好家と呼ばれる方々です。

では、なぜロクロクサイズなのかと言うと、それは撮影時の機動性にあります。もちろん35mmカメラには及びませんが当時のカメラは比較的大きなサイズの物が多く、撮影時には構図に迷うことが良くあります。縦位置にするか横位置が良いかはその時にはじっくり考える余裕はありません。風景撮影などでは刻々と天候状態が変化し光線にも影響するからです。

ロクロクサイズは何も考えずに、気に入った被写体をバチバチ撮り、あとでじっくりと机上で構図を決定することが出来るのです。
例えば、雑誌用の写真を編集部などが選定する時などは本のサイズに合う物を選びます。ロクロクならどうにでもなるわけで編集がし易くなるという訳で好まれます。アマチュア写真家でも同様で写真を大きくする時にはやはり縦か横かが重要となり迷ってしまうのです。

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写真は、今でも使用しているハッセルブラッド205TCCのフィルムホルダーで24枚撮りの物ですが、富士フィルムも最近になり220(ブロニーの長いタイプ)の販売を止めたので在庫している50本のみでしか使うことができなくなりましたが、他にも12枚撮りとロクヨンゴのホルダーもあるので当面は大丈夫ですが。

また、サイズの違う6×4.5(ロクヨンゴ)も日本で考案されましたが一本のフィルムで撮影できる枚数を稼げるようにしたもので一時の流行でした。これらのカメラで使用するフィルムはブロニーフィルムと言って幅が60mmサイズですが長さは決まっておりロクロクで撮ると普通は12枚しか取れなかったのです。それがロクヨンゴでは16枚撮ることが出来たのが理由です。

最近のデジタル化により、このロクロクサイズに相当する受光センサーも開発されつつありますが、まだロクヨンゴしか発売されておらず価格も100万円を超える物ばかりで、最近になり富士フィルムから出た新製品で揃えると軽く500万はいくでしょうね。写真を売り元が取れそうな売れっ子のプロなら別ですが普通のアマチュア写真家では到底無理な話です。
それと最近のプロ写真家の多くは、レンタルを使用しています。特に交換レンズは何本も揃えると無駄が多くめったに使うことの無い物はレンタルに限るようです。

2019年3月19日

オランダが生んだ軽量ビユーカメラ

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ドイツ製や日本製のカメラは比較的知られているが、その他の国でも昔から密かに人気があるカメラがあります。米国のコダック社やスエーデンのハッセルブラッド社など今は無くなっていますがかつては憧れのカメラでした。
写真はオランダのスーパーカンボSCシリーズですがブロニー版のものです。ビューカメラとしては比較的軽量であり、アオリも十分に利かせて文句なしのカメラです。レンズボードはリンホフ規格のものが使用できて以前から私が使用しているレンズを装着できます。
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この写真ではニッコール180mmF5.6を付けてありますが大判のカメラと比較して使い勝手も同じです。フィルムはブロニー版なのでピントグラスも69までしか使えませんが、現在のプリント方式は一度フィルムスキャナーでデジタル変換するので、ある程度で限界が出てしまいます。
大判カメラで引き立つ微妙な諧調再現はやはり無理ですが、それでも全紙倍版(ゼンバイ)程度なら遜色なく鑑賞できるようです。
まだまだフィルムは販売されています。今後もしばらくは楽しめそうです。
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ここで使用している三脚は、クイックセットハスキーのショートサイズです。

2019年1月 6日

ニコンが先か?キヤノンが先か?という話

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戦後は沢山あったカメラ製造メーカーも今では数が減り、安定して人気を確保しているのは数社です。その代表的なメーカーはニコンとキヤノンであると言えます。もちろん、この2社はカメラ戦国時代から有名であったことは確かなのですが、その創設時の話をします。

私はニコンS3という復刻版のニコン製品など数種のニコン製品を愛用しています。今でもニコールクラブの会員ですが既に50年以上経ちました。カメラ愛好家の多くはニコン党かキヤノン党と呼ばれた時代がありました。フィルムカメラが全盛だった30年ほど前です。当然、ペンタックスやミノルタファンも存在していたわけですが、なぜかキヤノンとニコンが多かったのです。その理由の一つとして、写真愛好家が愛読するカメラ雑誌に問題があるのです。カメラ雑誌には作品を応募できるコンテスト形式の発表掲載欄があります。そこには、カメラの名称まで記載させています。本来は、レンズとフィルムデータで十分な筈ですがカメラショーの様な野放しの状態です。鮮明に写っている作品を見ると、やっぱりニコンか?などと納得する人が多いのですね。印刷になった時点で、その原画とは程遠い画質となるので丸で関係がないのです。
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話を戻します。大正6年に創業したニコンは日本光学工業株式会社という社名で戦時中は軍へ収める光学製品を主に製作していました。またキヤノンは精機光学研究所と呼ばれている時代のことです。当時はドイツから優秀なカメラがどんどん輸入されカメラ屋の店頭に並んでいたのですが、日本製と言えばほとんどがコピー品であり、そのほとんどは蛇腹の着いたスプリングカメラや2眼レフでした。私も少年時代には安物のスプリングカメラでスタートしたわけですが、とにかくカメラは高価なものだったわけです。そこで、1935年にはドイツ製のライカなどに対抗して精機光学研究所が日本で最初の35mm距離計式ハンザキヤノンというカメラを発売しました。このころの大卒初任給は70円です。そしてハンザキヤノンはドイツ製ライカのほぼ半額の275円でした。この開発には当時に写真卸し屋をしていた近江屋(ハンザ)や日本光学にいた熊谷さんなどの協力で出来上がったそうです。そして販売は近江屋がやっていたのでハンザキヤノンとなったわけです。しかし社内ではキヤノンと呼ばれていたようです。またキヤノンという名前は設計者の中に吉田五郎さんという観音様に熱心な人が居たからだそうです。その後試作機を完成させた吉田さんは、自ら作り上げたカメラに「KWANON=カンノン」という名前を付けられました。これは吉田さんが観音様を熱心に信仰していたことに由来するようです。マークも千手観音、そしてレンズにも、ブッダの弟子であるマーハカサーパに由来する「KASYAPA=カシャパ」という名前をつけたということです。カンノン、クゥワンノン、キヤノンになったのですね。ここで、キヤノンのヤは大文字なのに注意です。キャノンではありません。また、レンズは社員の親戚に日本光学の関係者がおられた関係から日本光学の協力を得てニッコールレンズを着けて販売された合体カメラだったわけです。この頃のニッコールレンズはニッカなどにも提供されており高級品の代名詞のようなレンズでした。
その後に日本光学工業も1948年には距離計カメラニコン1型を発売しています。

試作機ボディの軍艦部(上部)に刻印されている当時のマークです。
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(3枚の写真はホームページから転載)

2018年12月24日

フジペットが懐かしい

20181224 008.JPG20181224 009.JPG1957年に富士フィルムは自社のフィルム販売を促進するために誰でも簡単に写せる初心者向けカメラを発売しました。当時は小西六写真工業が発売する「さくらフィルム」とシェアを競っており、この2社は誰もが知る2大メーカーでした。のちに富士フィルムは「フジカ」また小西六は「コニカ」とブランドでカメラも発売しております。
日本はまだ成長期であり、高価なカメラや時計や外国製万年筆に憧れる人も多かったのです。そんな中で、このフジペットは¥1970と安価であり一般人にも届く価格設定でした。そんなことからベストセラーとなった筈です。

フィルムはロール巻きのブロニーフィルムで6枚撮りと12枚撮りが発売されていた記憶があります。6×6cm程で撮影できるのでベタ焼き(密着)でも何とか楽しむことができ、高価な引伸ばしプリントで注文することも無かったわけです。もちろんこの頃は白黒写真が主流でした。
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年末に整理していたら写真のフジペットが見つかり思わずシャッターを切ってみると何と問題なく撮影できる状態の様です。
独特のデザインであり未だに人気があるカメラです。レンズは75mmが付いており絞り値はF11、F16、F22と3段階です。
裏蓋の中にはフィルムの宣伝シールがはってありました。
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2018年9月18日

EBONY SV23に47mm広角レンズを付ける

20180831 010.JPGエボニー社が製造する木製のカメラは既に会社の廃業で入手困難となっている。ヨドバシカメラなどで在庫を抱えている機種もあるようだが高価な物となりつつある。
社名のエボニーというのは、このカメラが作られる素材からきている。日本では、とても硬い木材として知られている「黒檀」である。そのために、狂いの少ない木製のカメラを製造できるようである。

私が長く使用しているのは、SV23という機種で2インチ×3インチという大きさの画面で撮影可能で、いわゆる中判カメラに属する。フィルムはロールフィルムのブロニーである。ピントグラスも69判となっており国際規格のホースマン67ホルダーや69ホルダーを使用できる。

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このカメラの大きな特徴はレンズボードがリンホフ規格となっていて、45(シノゴ)用レンズを共用できレンズを有効に使用できる。逆に45判カメラで69ホルダーを付けて撮影しても良さそうであるが、こちらの方がボデーがコンパクトになっているので軽くて携帯性が良い。
このカメラにはスーパーアンギュロン47mmF5.6を付けてほぼ広角専用で撮影しているが、69判の47mmということは、35mm版カメラでは20mm程に相当するはずで、ピントグラスで歪みを調整する必要がある。また、蛇腹が少し変形していて前半分が袋蛇腹となっているのでアオリの際には動かしやすい。

軽くてレンズが共用できるので重宝しているカメラである。

2018年7月14日

これもローデンストック

ドイツのメーカーであるローデンストックは眼鏡フレームや眼鏡レンズで世界的なシェアを誇っていてトップです。世界中に展開しており日本ではローデンストックジャパンがあります。
このローデンストックは第1次世界戦争後に不況に陥り、カメラレンズの生産も始めました。ドイツのレンズメーカーはどれも優秀で、当時の日本メーカーが手本とする会社が多くありました。なかでも、日本ではカールツアイスが有名でジンマーレンズやプラナーレンズを使用している方も多いはず。

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そのローデンストック社が誇るレンズの一つにシロナーがあります。このシロナーも150mmアポシロナーNですが、他に高価なレンズも多く大判カメラ用に使用される人気レンズです。
写真の物は、日本のトプコン(東京光学工業)がWOODY45という木製45判カメラとセットで販売していたものです。大判用レンズはイメージサークルが大きいので周辺での光量低下が比較的少なく安心して使用できます。写真のレンズボードはリンホフ標準規格のものです。

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レンズには必ずシャッターが付きますが、これはコパルの0番が付けられており快適な動作音を確認できミスはゼロです。

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シャッターと言えば日本ではコパルとセイコーが有名ですが、このコパルのシャッターは世界を独占するほどにカメラ業界では使用されています。

ローデンストック社の歴史が分かるサイトを紹介しておきます。

2018年1月14日

ニコンFTnの魅力

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ニコンFというフィルムカメラは驚くほど長い歴史があり、現在でも憧れるマニアが多いことで知られる。ニコンは第2次世界大戦当時に軍へ収める光学機器で有名となり、当時から他社の製品とは違っていた。特に光学レンズでは定評がある。当時私が大井製作所で見学の時に炉から出したガラスの塊を徐冷する場面で説明を受けた時に、その評価にも納得できたことを覚えている。
今は簡単にコンピュータ制御で温度管理も自由であるが当時の苦労はよく分かる。

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ではなぜ当時のニコンが人気があるのか?
一つは生産台数が少なく、半手作りというか最終調整は全て1台づつ人間の感覚によるものであった。
人間工学も無視され、当時の亀倉雄策さんのデザインを優先し外観重視の設計である。
亀倉雄策さんのでデザインした物には当時の東京オリンピックのロゴやNTTやNHK、TDKのロゴなど数え切れない。しかし、もし、ニコンFの頭にぶつかったら当然大けがをすることになるデザインである。

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精密機械を作り上げた職人技がひしひしと伝わってくるのが使用して直ぐに感じ取れる。
現在、星の数ほど出回ってきたデジタルカメラとは訳が違うのである。
要するに、電化製品の一種と見られがちな要素が全く無い。

そんな理由もあり、なぜかニコンFの人気が強いのであろう。
ニコンFは製造過程で微妙に進展しており、当時の技術進展が感じられるのが面白い。
この写真はニコンFのボディからアイレベルファインダーを取り除き、代わりに露出計が付いたフォトミックファインダーを装着したもので露出測光は中央重点測光である。
このカメラは、ニコンF(中期製造)に後からフォトミックファインダーFTnを被せて使用しているもので製造番号は687万台の物である。
FTnとはそういうことであり、一つ前は平均測光を採用していた。

このようにファインダーを交換することでカメラのイメージが大きく変わるので楽しい。

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ミラーアップするとミラーが上がりっぱなしとなるのでニコンのSシリーズカメラと同様に小さな音と共にフォーカルプレーンシャッターが横走る。そのために、ほとんどカメラ振れが生じないので広角レンズ使用時には重宝したものである。ボタンは下にある丸い部分を回転させるとミラーがアップする。

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これも当時のカメラでは当たり前のことであるが、ASAフィルム感度を設定するのに印が2カ所ある。当時のフィルムはモノクロとカラーでは感度が異なりカラーフィルムでは少し感度を低くしないと露出不足になった。カラーフィルムの技術も向上して今ではほぼ同様なセッティングでも差が無くなったのである。このように使用しているフィルムを記憶しておくのにメモ用のダイヤルが備わっていた。

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大切に残したい一台である。

2017年10月 4日

PENTAXのこと知っていますか?

昔、旭光学工業という会社が存在しましたが今ではリコーに買収されており商品名だけが残っております。そもそもペンタックスというのは世界でも類を見ないアイディアを誇る日本のカメラメーカーでした。一番早く一眼レフという機構を実用化したカメラであり世界的に有名なグランプリも受賞しています。
このころのカメラ業界は世界中で開発競争が激しく、なかでも東西ドイツではカメラやレンズのメーカーが世界的にも人気があり、日本のメーカーは類似品で生産して何とか有名なニコンやキヤノンが人気をとっていたものです。
そんな中で、旭光学は一眼レフのカメラを考案し、上部から覗くレフレックス(鏡)方式のアサヒフレックスを発売しました。このころのカメラは距離計式カメラや二眼レフがほとんどで小型でクイックリターンミラーを持ったアサヒフレックスは画期的なものだったわけです。
しばらくして、このカメラは5角形のプリズムを採用して像を正立させたペンタックスという名称で発売したのでした。この方式は世界でも珍しく日本でもペンタックスに人気が集中したものです。ドイツではイコン社から出ていたのですが、どれもペンタックスより大きくて重かったのです。
ペンタックスの歴史は長く、説明すれば何ページにもなりますが、K型やS型が発売されたころはとても手の届く価格ではなかったのです。やがて徐々に生産台数も上がり、S2やS3が発売されて、この形状で最後のSVがセルフタイマー付で発売されました。
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さて、写真はS3ですが、レンズの付け根を見てください。銀色のレバーが出ています。
このレバーはプリセットレバーと呼ばれるもので、当時のレンズではオート絞りが考案されておらず、一度シャッターを切ると画面が暗くなり、次に開放で明るくしてピントを合わすにはこのレバーを押さえて明るくしピントを合わせたのです。この様なレンズをプリセットレンズと言います。
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やがて、ペンタックスはデザインを大きく変えてSPとなりグランプリを受賞しました。
また、このころのタクマーレンズも定評がありファンがたくさん居ました。
ペンタックス、ペンタックス、望遠だよ!というキャッチコピーが出回り、契約していた写真家の八木原茂樹さんも旭光学のお蔭で一躍有名になったものです。彼は、当時の農林省の職員だった筈ですが写真界ではカメラ雑誌では望遠の八木原としてよく紹介されていましたね。

2017年3月 4日

Nikon F が戻ってきた

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 写真を本格的にやりだした頃、NikonFを購入した。当時は、皆がニコンに憧れていた時代で露出計も付いていないこのカメラですら人気があった。
 ニコンFはSシリーズの最終版とほぼ同時期の1959年に発売されてていたが、写真は後期製造のものであり軍艦部に刻まれたNIKONという文字から直ぐに判別できる。初期のものはあの独特の日本光学のマークが刻印されている。またニコンFはあの有名な亀倉雄策さんが大きく関係したデザインです。亀倉雄策さんは東京オリンピックのポスターなど多くの作品を残した方でグラフィックデザインの達人でした。世界的にニコンの名を広めたこのカメラですが、私のカメラはしばらく使っていなかったので思い切って今回はオーバーホールしました。修理は、ニコンの退職者で構成された「フォト工房キィートス」に依頼しました。戻ってきてチェックし、ほぼ完全に復元されているのがよく分かります。シャッター音も軽くなり無駄な響きも無くなっています。各部品の洗浄やモルトも交換済です。これで安心して使用できそうでF3と一緒に大切にしたい。
nikon-F-2.jpgレンズは、当時のものではなくニコンF3で使っている50mmF1.4なのでAIニッコールです。やはりレンズは曇りなどに弱いので新しいものに限りますね。

2017年1月20日

日本にはセコニックがある

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 写真撮影に欠かせないのはフィルムに与える微妙な光の加減である。最近のデジタル技術ではその露出を最適になるようカメラが自動でやってくれる。いわゆる自動露出である。平均測光や中央重点測光など各社は工夫して宣伝文句に使用する。しかし、作品を作る場合にはこれが曲者で、カメラの自動露出に任せてしまうと誰も同じイメージの写真になりかねない。もちろん、カメラを上手く操作して露出倍数などを熟知していれば少しは作品作りに有効かもしれない。しかし、本当の意味で自分の抱くイメージの作品を撮る場合には、やはり単独露出計なるものが最高である。

 要するに、1枚の作品の中でどこを強調し、どこを暗くするかによって、作品を見てくれる人には別の印象を与える物となる。風景を撮影する人たちは、露出計の中でもスポットタイプのものを使う人が多い。それは、ピンポイントでその部分の反射光を測定するもので、例えば一番明るい場所を中心に他の部分は暗くして自分の表現したいことを強調する。当然、全体に黒っぽい写真になる。
専用露出計には大きく分類して、反射式と入射式があり入射式では反射率18パーセントに注がれる光を想定して、それ以上明るくなる部分と暗くなる部分を露出計が割り出してくれるので全体に平均的な値が得られる。スタジオでのポートレート撮影には適しているので昔からセコニック社のスタジオデラックスが有名である。
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 私は、風景写真がほとんどなので写真にあるようなペンタックスから出ていたスポットメーターを使用している。大きさも手ごろで使いこなすと思い通りの露出値を得ることができる。日本にはミノルタの露出計があったがミノルタがコニカミノルタとなり現在は発売していない。
 世界的にみるとドイツのゴッセンが有名であるが、性能の割には高額なので最近ではあまり持つ人がいない様である。

2017年1月17日

世界で初めてレンズに施されたマルチコーティング

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 ミノルタカメラは、創業地である神戸六甲山のふもとから「ロッコール」という名称をレンズに当てた。当時の一般レンズは、無色透明か少し紫色をおびたレンズが普通で、あまりカラー撮影を意識するものではなかったのです。ミノルタカメラが千代田光学という社名を使用していた当時は、この「緑のロッコールレンズ」は世界で初めてマルチコート処理を施したレンズを発売して驚かせました。
また、ミノルタは露出計でも定評があり「ミノルタハイマチック」というカメラは米国のNASAが採用した最初の宇宙カメラとなりました。その後も、NASAはこの露出計を採用しておりました。
 もしドイツのライツ社が日本のカメラメーカーに興味があるとすればミノルタが一番だという記事を雑誌で読んだことがありますが、それほどミノルタの技術は注目されるものだったのです。その後に、技術協定で記念カメラである「ライツミノルタCL」を同じ設計図で両社が生産したことがありますが、当時はミノルタの方が精度よく加工されていると評判になったほどです。
 ミノルタカメラも、経営方針を転換しコニカ(昔の小西六写真工業)と合併して「コニカミノルタ」という会社になりカメラ事業部を切り離しました。その売却先がソニーだったわけです。ソニーは自社で以前から生産していたDSCシリーズに加え、2006年から自社の画像処理技術と組合せ高級一眼レフにも手を伸ばしアルファ100を発売し、その後は類を見ない高解像度の高級デジタル一眼を次々に開発したのです。アルファシリーズのマウントはミノルタ時代から引き継ぎ改良したAマウントでした。ミノルタ時代の取引からドイツのレンズメーカーとも接点が多く、最近ではカールツァイス社のレンズもソニー製品に採用しています。元々のミノルタレンズは名称を変えてソニーレンズとして今も新機種をどんどん発売するようになり、レンズは2系列となりました。

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 ここに紹介するミノルタレンズは200mmF2.8という明るいレンズです。私のお気に入りレンズで手持ちでも何とかOKです。室内での撮影や夕暮れの風景にも暗部がつぶれにくく人気があるレンズです。もちろんAF(自動焦点機構)でもピント合わせも早く実用上何の問題も無く使用しています。白鏡胴は好みではないですが当時はこれが流行したものです。これと併せて300mmF2.8も使いますが、さすが重くて手持ちでは無理があります。鉄道写真では欠かせない2本です。

2017年1月12日

ライカが欲しい人向けの入門カメラLeitz-Minolta CL

LEITZ-minolta-1.jpg ライカと言えば西ドイツにあったエルンストライツ社のカメラの名前であり高級カメラの代名詞のような存在である。ところが、ライツ社はこの頃存続の危機に陥り、日本のミノルタとの技術提携をしたりして何とか生き抜いた。ミノルタも決して安定な状態ではなかったが、このカメラを両社がそれぞれ生産販売した。1973年から1976年のことである。CLとはコンパクトライカという人もいた。
 ライカといえば50万は下らない価格で普通の人の手の届くカメラではなかったし、工夫をして中古品を半額程度で探す人も多かったのである。当時、私もM2の中古ボディを12万円で購入したことがあるが、その頃の給料は2万円そこそこだったと思う。このボディにキヤノンの25mmF2.8を付けて楽しんでいた。

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 このカメラ、ライツとミノルタが同じ設計図で生産したのであるが、不況だったライツが生産した物よりミノルタが製造した物の方が精度(作り)が良かった。おそらく廉価版という気持ちがライツ社にはあったのだろう。しかし、何といっても作りがしっかりしていてシャッター音も無駄な響きが無い。小型なので手にすっぽり入るが実際の撮影ではライカのほうが使いよい。
 レンズは、ズミクロンとロッコールが準備されていたが国産のライツミノルタCLにはズミクロンは付いてなかった。のちにミノルタからミノルタCLという製品が発売になっている。当時は、M5に採用されたTTL測光方式であり、写真のようなCDS露出計がフィルム中央にくるようになっていた。もちろん、シャッターが切れる寸前に上に隠れる構造の絞り込み測光である。
 また、フィルム押さえ板も本体に付いていてMタイプと違いフィルム装填がし易かった。
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2016年12月26日

スーパーアンギュロンがお気に入り

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 写真を撮るときに、なぜか自然と手にする交換レンズがあります。撮影が終わってみれば今日もこのレンズを使ってしまったということです。私は、風景写真しか撮らないので比較的広角レンズを使うことが多くなります。手前から無限大まで広い光景を出来る限り写し込んで遠近感を引き出す手法です。普通のカメラでは被写界深度(ひしゃかいしんど)を深くとるために絞り値を大きくしても限度があります。風景写真では画面の一部にでもピントが外れた部分があると、大きく伸ばした時に不自然で気が抜けた物になりがちです。そのため絞ったうえに「アオリ機構」を使います。要するに蛇腹付のカメラです。その蛇腹が自由に調整でき、レンズの角度や位置を微妙に調整可能なカメラです。
 
 そんなことから、私は写真にあるスーパーアンギュロンという広角レンズが好きです。このレンズはブロニー判のリンホフ23用のものですが、他にも同様の4×5判用もよく使用します。このレンズは昔から憧れのレンズで「いつかはスーパーアンギュロン」と常々思っていました。さて、このレンズにはアンギュロンとアングロン(Angulon )がありました。どれもシュナイダー・クロイツナッハの広角レンズに使われるブランドです。最近では広角レンズはアンギュロンに統一されています。色々と調べると最初の製品はアルブレヒト・ウィルヘルム・トロニエにより設計されたとありました。

 レンズ構成はスーパーアンギュロンは4群6枚となります。MCと付くのはマルチコーティングという処理が施されて透過率が向上させてあります。写真のものはスーパーアンギュロン65mmF5.6MC - アタッチメントはφ67mmねじ込み。イメージサークルφ170mm(F22)。シャッター#0という仕様となります。
 レンズのことより最近心配するのは4×5判用フィルムの製造がいつ終了するかです。保険にブロニー用のリンホフ23もありますがハガキ大のフィルムは撮影する時の楽しさが違います。一枚撮るのに1時間以上掛けていると、現地でよく風景画をスケッチされている人の気持ちがわかります。

2016年12月23日

初めて手にしたカメラ「コニレット」

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 今はコニカミノルタと会社名が変わり昔の小西六写真工業というイメージからは遠くなりました。当時の小西六はコニカというブランドで競合するフジカと競っておりました。もちろんフジカは富士フィルム写真工業のこです。フィルムもカメラもほとんど同じような製品を製造していました。富士写真工業は「富士フィルム」、小西六写真工業は「さくらフィルム」のブランドで有名です。結局今は富士フィルムが競り勝ち、写真界のフィルムを独り占めにしています。米国のコダック社もフィルム生産を縮小しているので、フィルムカメラを使っている人は富士のフィルムを使うことになります。
 私は、中学校時代に親戚の叔父がカメラをくれました。当時は、子供雑誌の付録についてきた日光写真というもので楽しんでいたものです。太陽光線での印画紙ベタ焼きという感じで決してカメラと言えるものではなかったのです。そんな時に、小西六から出ていたコニレットが手に入り写真への興味が一挙に湧いた記憶があります。当時のカメラは多くが蛇腹式で撮影時にはレンズ部分は手で引き出す形式のものです。写真にあるのは、そのカメラですが「コニレット」という名称でした。フィルムは、24mm×36mmのサイズですがフィルムは35mm幅の穴なしの専用フィルムで、写真屋さんに出すと手焼きプリントで仕上がりました。今考えると非常に単純な構造でしたが、この時、実際にカメラの原理が理解されたように思います。その後に、富士写真が出していた「フジペット」が手に入りましたが、このカメラのフィルムは当時一般的なブロニーフィルムです。
 コニレットの仕様ですが、安物のコニカにはKonitorの50mmF4.5が付いており、シャッターはコパル製のレンズシャッターです。このコパルのシャッターは、この頃から多く使用されておりましたが近年は精工舎のシャッターよりも断然多くのカメラに採用されるようになっております。発売価格は当時の値段で¥5500だったようです。大卒の初任給が1万円そこそこの時代ですからかなりのぜいたく品です。これは腕時計にしても同じことが言えます。日本の時計メーカーとカメラや放送機材メーカーはほぼ世界を独占したように思います。
 そんな訳で、当時のことを思い出させるコニレットは今でも愛着があります。近づけて耳をすますと小さな音でレンズシャッターが動作しているのが分かります。

2016年12月20日

ハッセルブラッド205TCC

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 大阪にあるカメラ屋さんで探し当てたのが1991年に発売されたこのカメラです。レンズはカールツアイスのプラナー80mmF2.8付です。レンズの話はまた別の記事で書きますがここは205TCCの簡単な紹介です。製造会社はスエーデンのビクターハッセルブラッドというメーカーで中判カメラの代名詞とも言われるもので、ドイツのローライと共に世界的に知られています。ローライは当時の西ドイツにあったフランケハイデッケというメーカーが開発した二眼レフ(にがんれふ)です。ともにフィルムは幅が60mmのブローニーフィルムを使用します。このハッセルブラッドは、レンズが一つの一眼レフであり、レフレックス(鏡)を内蔵しており、シャッターが開くと同時に反射ミラーが跳ね上がり光を通す構造で当時としては話題になりました。このカメラに対抗してローライは同型のカメラを製造しましたが、ハッセルの特許を侵せないので、ハッセルが採用したレンズシャッターではなく、フォーカルプレーンシャッターを採用した物でした。しかし、これ以前に日本のゼンザブロニカというカメラは既にハッセルとは異なる構造でフォーカルプレーンシャッター搭載したブロニカSというカメラを発売していました。ブロニカを開発した吉野善三郎さんの名を取ってゼンザブロニカという名称が生まれたわけです。もちろんブロニカはブロニーフィルムから来ています。
 さて、この写真にある205TCCという機種は、ハッセルの中でも後期のものであり、それまでには無かった露出計を内蔵しています。私も500C/Mという機種を使用していますが別に露出計を使用するのでタイミングを無くすことがよくありました。
 1991年発売の205TCCの意味は、「トーンとコントラストをコントロールする」ということで、TTL開放測光スポットメーターを内蔵しており、4種類の撮影モードを持つものです。電子制御布幕フォーカルプレーンシャッターで、34分--1/2000秒。2本のブルーラインが入ったFEシリーズレンズと組み合わせれば色々のモードで撮影可能です。また2本のブルーラインが入ったTCCフィルムマガジンと組み合わせるとマガジン側でフィルム感度のセットが可能となります。少し工夫が必要ですがレンズはCFシリーズレンズ意外にも今までのCシリーズレンズも使用できるようになります。
 私は、この205TCCに220マガジンを装着して使用していますが、24枚も撮影可能でフィルム交換の手間を省けます。残念ながら、ブロニー220は製造が中止されたということであり、冷蔵庫にある50本が無くなると終わりです。120フィルムはまだ大丈夫ですからご心配なく。
 

2011年9月27日

シュナイダーから学べるレンズの知識

symmar.jpg撮影:TOMIOKA Takumi
(iPhoneを使用)

シュナイダー社製
ジンマー135mm/F5.6

ドイツのカメラメーカーが日本のカメラ会社に大きく影響を与えたのはよく知れた事実です。戦前からもライカなど日本に輸入され、それらを真似た優秀な日本製のカメラも多くキャノン4Sbなどが有名でした。日本も技術が無かったわけではありませんが、なんと言ってもドイツの光学技術にはかなわなかった時代でした。

ライカを製造していたエルンスト・ライツ社の他にも、イコン社・シュナイダー社・フランケアンドハイデッケ社・カールツァイス社数えればきりが無いほどです。その中でも、多くのカメラ会社にレンズを提供していたのが、シュナイダー・クロイツナッハ社です。この写真は、当時だけではなく現在でも人気が高いジンマーレンズです。シュナイダー社の有名なレンズの一つですが特に大判カメラ用の物です。ジンマーを始め、スーパーアンギュロン・クセノター・クセナーなどが有名です。

このジンマーレンズは多くの風景写真家や人物写真家に好まれ、これを使うためにわざわざ「リンホフスーパーテヒニカ」という本体を購入して撮影をするプロ写真家が多いのです。例えば、山岳写真家の白川義員(しらかわよしかず)さんや風景写真や女性写真で有名な篠山紀信(しのやまきしん)さんなどです。あの大きな機材を背負いつつ世界の名山を残した白川さんの作品集は有名です。

では、なぜここまでシュナイダーレンズに拘ったかを考えてみます。

確かに日本のレンズも優秀で解像度などは負けていないものが多かったし、ニッコールレンズなどは世界的にも知れ渡っていたわけです。しかし、それはモノクロ写真の時代の話であり昭和40年代に始まったカラー写真では、断然とシュナイダーレンズが上でした。
プロ写真家は写真を撮影して商品にして雑誌社や印刷屋に売り込むわけで決して自己満足で仕事をするのではないからです。当時の印刷業界では、今ほど技術が発達していなかったのでカラー印刷には、特に原版が影響したわけです。レンズはジンマーでありフィルムはコダック社のエクタクローム、これが彼らの常識だったわけです。他のレンズを使用すると原版に濁りや色バランスが崩れて印刷の仕上がりにも影響が出たくらいです。そんなことからプロ写真家の定番セットになり、多くの写真家の間でシュナイダー社のレンズやカールツァイス社のレンズに人気が集中しました。

そんな時代も終り、今ではデジタル処理が可能です。たとえフィルムで撮影した写真もコンピュータ処理によりどうにでも最高を作り上げることが出来るわけです。

最近プロ写真家の間ではキャノンのデジタルカメラが特に人気があります。キャノンにはニコンと違い多くの電子技術屋が居ます。事務機器で培った電子技術と昔からのキャノンレンズの組み合わせが古い技術に固執したニコンの技術を追い抜きました。この写真のレンズは、トプコンのホースマンで使用しているもので座板にはコパル#0というレンズシャッターが装着され、そこにジンマーレンズを取り付けて使用しています。たまたま、整理していたら出てきたので昔を思い出しながら書いてみました。

2011年9月26日

ペンタックスがリコーに買収される

pentax01.jpg旭光学工業は1919年に誕生したカメラ界の老舗です。2002年にペンタックスという社名に変わるまで、ずーっとアサヒペンタックスという名前で親しまれてきました。その会社も業績不振に陥りホヤに買収され、今度は今年7月にカメラ事業部をリコーに買収されました。リコーも大きな事務機メーカーですが、昔はリコーが出したカメラなどマニアの間では誰も振り向かなかったものでした。そのリコーも時代がデジカメに変化し最近では多くのヒット商品が生まれ、ペンタックスに追いついてしまったというわけです。


この写真は、PENTAX SV という機種の上部に専用露出計を装着したものです。この頃のカメラは、光を測定する機構は無く別に露出計を使用するか、または人間の経験により絞り値とシャッタースピードをセットする必要があったのです。要するに露出計が指し示す測定値を絞りリングとシャッターリングに手回しでセットするわけです。当然、速写では間に合わず微妙な露出の変化にはとても追従することが出来なかったわけです。

ペンタックスという社名は初めから使用されたわけでは無く、この会社が世界で始めて一眼レフカメラを発売した時には、旭光学工業の名前から「アサヒフレックス」ということで売り出しました。それまでのカメラは2つのレンズを持った2眼レフだったわけです。ここで、使用された一枚の鏡(レフレックス)がヒントとなり、それまでに無かった画期的なカメラが生まれたわけです。

pentax03.jpg最初の一眼レフでは、撮影者は上部に位置するファインダーに真上から眼を近づけて逆に写った像を見ながらシャッターを切りました。当時は、像が逆に写るのは当たり前だったので不便と知りながら仕方の無いことだと諦めていたわけです。そんな中、旭光学は像の正立化に成功しました。そこで使用されたのが5角形をしたプリズムです。今では当たり前ですが、ファインダーに眼を近づけるとちゃんとした正立像が見えたのでした。そんな訳で使用していたプリズムからペンタックスという名称が生まれたわけです。古典ギリシャ語で5はペンタと言います。その後には社名まで変更となりました。

pentax02.jpg長かったペンタックスの名称もしばらくは使用されると思いますが、やがては聞かれなくなるでしょう。
産業界ではちょっとしたヒット商品により、会社の業績に差が出るので怖いことです。旭光学の築いてきたカメラ技術は最先端のものでした。技術よりも宣伝力で左右される困った時代に突入です。

これまでに消えたカメラメーカーは沢山あります。ミノルタカメラ事業部がソニーに買収されたのも大きなニューズとなりました。ブロニカ工業も消えてしまいました。今度消えるメーカーが何処になるかが心配ですね。

撮影および所有:TOMIOKA Takumi

2011年9月21日

オリンパスの名を広めたPEN

pen03-small.jpg東京に戦前からあった高千穂製作所は当時は顕微鏡などを製作する光学機器メーカーであったが、ズイコーレンズと名付けられた高解像度レンズをマミヤシックスなどに提供するようになり、カメラ界でも知れ渡っていった。のちにギリシャ神話からヒントを得たオリンパスが社名に採用されて今に至っている。

太平洋戦争後の日本はカメラ戦国時代と言われ多くの国産品としてヨーロッパのカメラを模索した多機種が発売されていた。それらは戦争により技術を磨き上げた会社も多かった。
オリンパス工業がその社名を一気に高めたのは、何と言ってもPENである。香川県の田舎から東京の早稲田大学機械工学科に進んだ米谷美久(まいたによしひさ)さんは熱心なカメラマニアであった。当時は高価で手が出なかったはずのライカを若い時に使うほどのカメラ好きであり金銭的にも余裕があった。カメラ会社であるオリンパス工業に進み、すぐに上司から課題を与えられた。誰もが手軽に使用できて安いカメラという課題条件は厳しかったが何とか克服して生まれたのが1959年発売のオリンパスPENである。

pen01-small.jpgこのカメラには、当時のカメラには無かった画期的な機能が備わっていたのである。
ひとつはフィルムを半分にして撮影するハーフサイズという発想である。当時の35mmカメラのサイズは幅35mmフィルムに合わせて撮影枠は横36mm縦24mmであった。その半分のサイズにしてやればフィルムを半額で使える(当時はフィルムと現像代も馬鹿にならない時代)。誰もが考えつかなかったアイディアである。しかし、このサイズを採用するには、レンズの性能が重要であったが幸いとオリンパスカメラはシャープな切れ味で定評あるズイコーレンズを使っており、彼はさらにこれを解像度の上がるテッサータイプで構成した。こうすれば何とかハーフサイズでもフルサイズに対抗できる。
さらに、フィルム巻上げ機構であった。当時の35mmカメラは大きなレバーで巻き上げる方式を採用していたので機構的にも歯車が多く必要で、ボディへの収まりも悪かった。米谷さんは親指の腹で巻き上げる方式でほとんど目立たないものを考案した。しかも安価である。
このことが見事に的中して翌年にはオリンパスPENーSを発売した。この写真は当時発売されたものであり、今でも問題なくシャッターが軽く切れる。レンズシャッターなのでシャッター音もほとんど無くスナップには快適である。

pen02-small.jpgのちになり、米谷さんはオリンパスカメラを絶対的なものとした、一眼レフカメラOM-1を開発している。このカメラにも米谷さんの拘り機構が随所に採用されて興味深い。もちろん当時発売されていた一眼レフカメラに比較すると2割ほど小さく感じられたし軽かったものである。手持ちの箱から探し出し手入れが済んで時間があれば、いずれここで紹介したい。
撮影:TOMIOKA Takumi

2011年4月16日

これもアサヒペンタックス

旭光学工業が急に有名になったカメラがアサヒペンタックスという世界で最初に発売された一眼レフです。もともと、フレックスカメラは西ドイツのローライフレックスが有名であり、レンズも当時の最高峰レンズであるプラナーF2.8が付いたものでした。ところがこのフレックスカメラは上にファインダー用レンズ、下に露光用レンズと1台のカメラなのに2個のレンズを必要とし効率が悪かったわけです。

そこで、この欠点を補うための開発がなされ、それを見事に解決っしたアサヒフレックス?型が開発されました。このカメラはフレックスカメラ特有の像が反転してしまい、速写には不自由であったわけです。やがて、旭光学はこの欠点を5角形プリズムを使用し正立像に変える機構を開発したのでした。これで旭光学は後にカメラグランプリを獲得し世にペンタックスの名称を定着させたのです。5のことをラテン語でペンタと言いますからこれからPENTAXということになったわけです。一眼レフのペンタックスはその後に写真のようなSVが発売されました。このSVまではレンズネジ板に特徴があり、独特のデザインで強い印象を与えていました。その後、SPなどが 爆発的に売れアサヒペンタックスの名はカメラファンで無くても「ペンタックス」を口づさむほどに有名になりました。当時採用していたテレビコマーシャルも多いに影響があったのも確かでした。

2010年11月 3日

ローライ35に付けられたテッサーレンズ

ローライ02.jpgRollei 35 1967年に発売された小型カメラである。1966年にドイツフォトキナで発表されて人気が出ました。ボディ前面にはシャッタースピードと絞りの2つのダイヤルがあり、連動露出計はCdS式を採用しておりますが当時の小型カメラには同様の物が多かったのです。初期型はドイツ製、その後シンガポール製となったが、この写真のものはシンガポール製です。シンガポールでは当時からローライの多くの機種が製造されていました。レンズにはテッサー40mm3.5が装着されたが一部にクセナー40mmF3.5付きが存在っします。テッサーは、もの凄く解像度が高いことで知られているが、このカメラ購入に行った名古屋市栄にあるヒダカヤ本店で、このカメラで撮影したモノクロ写真を見せられてびっくりしたものである。近くの中日ビルを遠くから撮影した写真だったが実に鮮明に写っていたのを覚えている。

ローライ.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影:TOMIOKA Takumi
        携帯電話iPhone使用 

レンズシャッターなので開閉時の音も本当に小さく手ブレも皆無である。当時の価格は¥69000と高価であったために、他の人気があった小型コンパクトカメラに比較してあまり売れなかったのです。

 

もともとローライは西ドイツのフランケ アンド ハイデッケ社が作る2眼レフとして有名であったが、このカメラになって35mmカメラでも知られるようになった。

2010年9月17日

「キヤノン」好きならこれだけは知っておこう

もともとCANONはカメラメーカーとして出発をした。まだ日本にカメラ会社が少なかった頃の話である。今でも本社を東京三田においているけど、これには理由があります。

精機光学研究所というのが初代創始者「吉田五郎」氏が率いた当時の会社である。この会社には、親戚の内田三郎氏と内田氏の元部下であった前田武男氏が居た。彼らがこの研究所を設立したのは戦前の1933年11月のことであった。当時発売されていたカメラ雑誌「アサヒカメラ」には、その時の宣伝が載っているが非常にユニークな名文句である。「潜水艦ハ伊號、飛行機ハ九二式、カメラハKWANON、皆世界一」。

KWANONはカンノンと読む。創始者の吉田五郎氏は観音教の信者であったことからこの名前が付けられたのである。また、だから当初製作されたカメラにはこのKWANONが使用されたが、発売はされていない。ライカに対抗して作り上げたカメラではあったが残念ながら試作品に留まった。理由としては色々あったが、当時では部品を揃えるのも大変であったからであろう。また同じ経営者としてやっていた内田三郎氏の兄が日本光学工業(現在のニコン)の関係者であったために、日本光学工業からレンズ、距離計などの光学部品の供給を受けたのである。日本光学工業は既に有名であり、戦艦大和の距離計ファインダーなどを製造していた。こうした背景からようやく36年2月にはハンザキヤノンが発売された。なんとこのカメラのレンズは、ニッコール50mmF3.5標準レンズ付きであった。ニッコールレンズとういうのはニコンのレンズに使用される名称です。

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2010年9月16日

ニコンS3が復刻発売された

nikons3-01.jpg撮影:TOMIOKA Takumi
ニコンS3(2000年モデル)

ニコンは私の写真歴の中でも深く印象に残るカメラとなりました。若い頃、当時カメラファンに人気があった一眼レフタイプのニコンFに憧れたことがあります。その頃のカメラといえば精密機械扱いであり、腕時計と共に生活用品の中でも贅沢品の部類のひとつでした。時計やカメラはそう簡単に手に入る品物ではなかったものです。

ニコンFが新発売される少し前に、35ミリ距離計式カメラであるニコンS3やSPが発売されていましたが、これはとても高価で実物などは見れることがなかったのです。 当時に日本光学株式会社大井製作所でニコンS3を作っていたカメラ職人たちは既に高年齢になったことや、世の中で販売されるカメラが新型の一眼レフに変ってしまい、誰も高いS3など使おうという人はなかったのが現状でした。ところが、ニコンが西暦2000年を記念してそのS3を復刻したわけです。当時のカメラ事情を知っている人には驚きであり、再び購入チャンスがやって来たことを喜んだわけです。実際に手にした2000年モデルはもの凄く新鮮であり、むしろ当時の技術にはなかったほどの精度良さとレンズコーティングの良さが目立っています。10年も未開封でおいてあったので、まだフィルムを通していませんが、早めに撮影してここのブログで報告したいと思います。

 

nikons3-02.jpg自動露出機構も無くカメラの原点とでもいえそうなカメラですが、デザインには無駄が無く保存版に値するカメラです。最近は殆どデジカメにより撮影しておりますが、時にはゆっくり時間をかけてこのカメラとセコニックの露出計を使用しながら撮影してみるのも頭の体操に良さそうな気がします。

2010年9月 8日

再びライカの話

leicaA.jpg撮影:TOMIOKA Takumi

ライカA型が発売されたのは1925年です。

当然、カメラ界には35ミリなどのフィルムは無かったのです。ではなぜ35ミリサイズが生まれたのでしょうか。35ミリは当時使われていた映画フィルムなのです。当時において映画界は盛んであり映画用のフィルムは比較的入手しやすかった。そこで、簡単に手に入るフィルムを使ったカメラが考案されたというわけです。フィルム送り用の穴が端にあり現在もその機構は変わっていません。ライカ判といえば35ミリ判カメラの代名詞であるのはその名残です。要するに証明用写真のサイズです。

このライカA型にはエルマーという50ミリの標準レンズ付で発売されたこともあり、この種のカメラの標準レンズ50mmはこの時に定着したようです。人間の遠近感に近いのはもう少し長い60ミリ程度らしい。もう一つの特徴は沈胴レンズということです。この写真のように常にレンズが前に飛び出ているのではなく撮影時に手で引っ張り出す設計だったわけです。撮影時にこれを忘れると全部ピンボケになりせっかくの自信作が後で思わず失望に変わることがよくありました。

 

leica02.jpg最近ではライカも時代に押されて、デジカメが発売になりました。電子回路にはそんなに強くないメーカーとは思いますので、やっぱりライカファンはレンズに魅力を感じて使用しているのではないでしょうか。ズミクロンやエルマリートなどは本当に味がある良いレンズです。

この2枚の写真は、久し振りに風通しをしようと思いながら引っ張り出した時(2007年4月27日)に撮影したものです。

2010年4月28日

ソニーα700の使いごこち

sony700top.jpgソニーからα100が発売されて高級デジカメの動向も少しは変わってきたと思っていたら、今度は700を発売した。最近では、この普及型である2機種が同時に発売されソニーも本腰を入れてきた。以前では家電メーカーのイメージが強いソニーではあったがミノルタカメラの技術部を買収してからは、すっかりカメラ屋さんに変わりつつある。それもそのはず、デジカメはソニーが世界に誇る最先端の「画像処理技術」を屈指できる最短の商品でもあるわけだ。何でも手がけるソニーであるが、こと画像処理に関しては他のメーカーを寄せ付けない。特に放送業界では昔からソニーの映像機器が独占していることはよく知られている。


sony700-01.jpg早速このアルファ700を使用してみたので気づいた点を報告します。

全体としてバランスのとれたカメラであり、今までの高級デジカメとは違い、撮影者の使用感を重視した設計である。たとえばボディーですが、ニコンなどの高級機種では非常に重く、若い放送カメラマンなどのプロたちが使用する何かゴツゴツとしたイメージがあった。
このアルファ700にはそれが無く、どちらかと言えば頼りなさそうなデザインである。軽合金で出来た少しひんやりとするボディがよく手に馴染み、両手の中で少し大きな石ころを転がすような感覚である。このことにより撮影に専念することが出来てありがたいのと、何と言ってもゴツゴツとした違和感がほとんど無い。しかも、重さだけはずっしり来るが首にかけていても気にならない程度だ。

この写真はアルファ700トップビューである。黒いストラップは付属のものを勝手に私が取り替えて使用しているもので、ストラップが細いと撮影時にカメラをしっかりと把持できて縦位置や横位置を気にせずに自由に変えれる。どこかのメーカーで細い丈夫な組みひものようなストラップを付属でつけてくれないかと一人で思っているがそんなメーカーは無く、むしろ段々と幅広くカラフルになって来ているようである。

このボディは上から見るとスッキリしていて無駄の無いことが分かる。実際に750枚ほど撮影してみたが大きな突起物がないので転がすように自由にアングルを探せるのが気に入っている。

左のダイヤルはモード切り替えであるが、予め想定される色々なモードが準備してあり、ダイヤルを回転させるだけで、ほとんど最適の設定をカメラが選択してくれる。以前のように撮影者が操作に慣れていなくてもほぼ間違いの無い条件をカメラが選んでくれます。<br />たとえば動きのある被写体であれば、スポーツモードにしておけば、毎秒5コマのモータドライブ設定に自動的に切り替わる。しかも露出もシャッターと絞りを被写体に最適な条件が選ばれてセットされる。むかしフィルム式カメラでキヤノンT90を使ったいたことがあるが、あのときの感覚がこのデジカメで甦ったような気持ちしてくれる 

 私は広角レンズが好きなので広角での撮影がかなり多い。デジカメに広角レンズを付けると焦点距離と写角が合致しない。たとえば写真のようにアルファ700に20mmレンズを付けてみる。そうすると写角は33mmレンズを着けた時に相当する。本来は80度ほど無ければいけないのだが、ファインダーを覗くとがっかりする。かなり狭く感じる。この理由は、現在市販されている多くの高級デジカメの撮像部であるCCD素子は、レンズ規格を定義したものを満たして居らないためである。フィルム式カメラなら35mmカメラは横36mm縦24mmであるから、このサイズのCCDが部品として供給されれば、この問題は解決するはずである。一部の高級デジカメにはフルサイズCCDを採用したものが出てきているから、ソニーのアルファでも時間の問題と思われる。(どうやら来年発売されるらしい)

このカメラを始めて握った時の印象です。一度グリップを握ったら直ぐに分かると思うが、手にカメラが吸い付いたように感じる。持った瞬間、さーと手に収まったのには驚いた。以前だと色々握り回してピッタリ収まる掴み方を探したものである。

今度は撮影された画像について報告です。

ご存知のようにソニーの画像処理技術は世界でも定評があり、多くのビデオ撮影機で採用されている。今回のアルファ700にも最先端の画像処理エンジン(コンピュータ素子)が搭載されており、処理速度が驚くほど早い。しかも、秒速5個まで処理してくれる。各モードでの撮影方法を選択すると撮影者の技量に関係なく最高の画像を記録してくれるのは有難いし、その分、被写体に注意を向けて創作に専念できることである。

sony700-02.jpg700枚ほど撮影して一つだけ気になることがある。オートフォーカス機能での測距離がワイドレンジを選択してしまい、少しでも近くに何かがあると狙った被写体が大きくピンボケとなることが多かった。もちろん中央重点でのフォーカスに固定してやれば解決するのであろうが、まだ完全にマスターしていないので、常に気になることが多い。

またもう少し撮影して、気が付いたことがあればここで報告をすることとします。

2010年4月 1日

NIkon F100を再認識する

 カメラメーカー各社がデジカメに移行し、以前から使われてきたアナログ式(?)カメラにも陰りが出てきた。なるほど精密機械なので経年変化で不具合が生じることが多い。何十年も前のカメラとは違い、アナログといってもコンピュータが内蔵されていて露出などはピカイチで撮影が可能である。ニコンといえばS型距離形式に始まり、最近ではF6が機械式の最終版として発売(2006年)された。しかし、これを最後にニコンは今までの機械式カメラの生産を止めてしまった。(一部は受注生産するらしい) 

 そんな中、私が愛用しているニコンF100もどうやら価値が出てきそうだ。このF100は価格からみれば、ニコンの最高機種ではないのであるが、アマチュアカメラマン難なく使いこなせる使い勝手のいいカメラです。重量も程よくてズッシリ感もあり、シャッターを押したときの振動もほぼ吸収してくれるのでカメラブレも非常に少ない。なかでもシャッター音に無駄が無く、狙った場面を確実にリアルタイムに記録でき、デジカメでは味わえない快適さがある。この写真では、超広角レンズ20mmを装着してあるが、重量バランスが良くて私の好きな一本である。手の中で転がすように操作できる機種は、このF100以外にはあまり無いと思う。他の機種は重さや大きさで私の手には馴染まない。写真を撮っているときには、カメラは自分の体の一部であることが肝心であり、カメラに気を取られるとせっかくの創作意欲とシャッターチャンスを逃がしてしまいそうである。もう二度と製造しないだろうから、大事に使用するつもりであるが、いつまでメーカーがフォローしてくれるかが心配である。ニコンは他のメーカーに比べ、昔のカメラでのアフターも行き届いているが、このような電子デバイス内臓の機種は故障には太刀打ち出来ないところがあり仕方ない。

2009年5月 3日

ソニーアルファ900とはこんなカメラ

sony90001.jpgソニーの高級デジカメが本格化したと思ったら、すぐに世界でも類の無い画素数でアルファ900を発売した。すでに5ヶ月となる。早めに手に入れて現在ほぼ1000枚ほど撮影したが、レンズは700の時から購入していないので、まだ20mmF2.8の一本である。

このカメラにした大きな理由は、視野が100パーセントでしかも20mmの写角(しゃかく)がそのままで写る。このことは昔からのレンズを使い慣れている人にとっては重要なはずである。
それともう一つ、解像度である。世界で始めての2460万画素とは、フィルムカメラには及ばないが、実用上何らフィルムカメラと変わらない。しかも、こちらはフィルムを使わないので化学反応などの色処理も無く、肉眼で感じたそのものを定着し、途中でゴミやホコリが混ざることも無い。



sony90002.jpgよく見るとアルファ700より一回り大きいが、すぐには気が付かないほどの形状である。ただアルファ900の方が、持ったときにずっしりとして重く感じる。それでも、他社の物に比較するとかなり軽く感じる。

左の写真を見て判ると思うが、上部三角プリズム部分には内臓ストロボが無く、フラッシュは専用の物を付属品として用意している。早く言えば、以前からのカメラのように基本のものだけしか本体には付いてなく、フィルムがCCDに変更されただけというイメージが強い。逆に、こんなカメラを探していた人も多い筈である。

ボディを手に取った時に、すぐに感じることが出来るのは700と同様、手の中で石ころを転がす感覚だ。それほど余分な突起が無くて扱いやすい。操作性も700とほぼ同じで、液晶部分が少し大きくなった程度である。

sony90003.jpg





撮影時のセットも一発でOKであり、目的のマークにダイヤルを回せば最適のモードになり動作する。高級カメラを使い慣れている人には少し物足りないと思うが、これに慣れると、便利さが普通になるのには驚いた。例えば、スポーツもモードに合わせると、シャッター優先の最高速度モータドライブも自動的にセットされる。毎秒、5コマはかなり速写を感じる。

まだツアイスのレンズを装着して撮影していないが、カタログによると可なりのものの様である。今後の楽しみの一つにしたい。

2007年4月27日

ゼンザノン100mm付のゼンザブロニカS2

bronica.jpg
撮影:TOMIOKA Takumi (携帯電話使用)

吉野善三郎さんが設立された「ブロニカ工業株式会社」はすでに無い。現在はタムロンが引き継いでいるようで,当時設立されたブロニカクラブもタムロンのサイトから入ることが出来る。そのころの中判カメラというと、2眼レフが主流であり、中でもローライ(西ドイツ製)は高価であった。そんな中、中判一眼レフとして鋼の国スエーデンから八ッセルブラッドが発売され、レンズもローライと同じカールツァイス社のプラナー付きであった。このカメラは映画のシーンにも出てきたりして、アマチュアカメラマンの中には憧れる人も多かった。その頃に開発されたのが純日本製のゼンザブロニカである。

ハッセルブラッドはレンズシャッター式であるが、こちらはボディに内蔵されたフォーカルプレーン式シャッターを採用していた。どちらが良いかということで比較した雑誌記事もあったが何とも言えないような回答が多かったと思う。このカメラに人気が出た理由として、ニッコールレンズが採用されていたことである。ニコンのレンズは35mmカメラで絶対的な信頼がありファンも多かった。しかし35mm判で風景写真を撮るとなると少し不安があり、ほとんどの風景写真家には苦労の種であった。この写真は,初期の発売後に発売された100ミリレンズが付いたS2型である。ニッコールの75ミリ標準レンズに変わりトプコンが製作したゼンザノンの100ミリ付きとなった。当時のトプコンが製作したゼンザノンは今でもファンが多く当時としては憧れの一本でもあった。

2006年12月19日

ミノルタオートコード(1957年製)

autocord.JPG昭和8年(1933)に始めて、ミノルタブランドが登場したが、以来ミノルタカメラは転々と社名を変更して、現在はコニカミノルタとなった。思えば、アメリカのフレンドシップ7号で日本のカメラが宇宙に飛ぶということで一躍有名になったミノルタハイマチック。その他、露出計のミノルタと騒がれて今まで産業界に残る名品の数々を世に送り出してきた会社である。写真の2眼レフは非常に良く売れたカメラで、ドイツのローライにも負けない描写力で人気があったものである。1955年に当時の千代田光学(現在のコニカミノルタ)から発売された。フィルムはブローニーで画像のサイズは5.5cm×5.5cmであった。レンズも非常に定評のあるロッコールレンズ75mmF2.8が付いていたし、フィルムの保持にも独自の工夫がなされている。私も、時には小さなシャッター音を聞きながら風を通しているが、デジカメに慣れてしまった現在ではとても使う気になれないのが本音である。

 

2006年5月 1日

ブッシュプレスマン モデルC(報道記者用カメラ)

Buschpressman.jpg所有:TOMIOKA Takumi

昔の報道用カメラには、こんな大きな本体が使用されていました。報道記者は記事にするのにこんな大きなカメラとフラッシュを持ちながらニュースを探し歩いていたわけです。 このころに有名になったのが、いわゆるスピグラというカメラで正式な名称をスピードグラフィックと呼んでいました。 ここで取りあげた写真はスピグラが全盛期になる前のブッシュプレスマンとうカメラです。当時(終戦直後)は、このようなカメラは一般人には購入が不可能で特殊な仕事に就いている人の特権でした。もちろんフィルムはフィルムパックというもので殆んどが10枚撮りでした。

 

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