2020年2月 4日

中村良夫さん無くして今のホンダは有り得ない

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 今でこそ世界のホンダと言われていますが、実はその裏で支えた技術者と経営者が居ました。経営に関しては藤沢武夫さんですが、今回は中村良夫さんの話です。

 東京大学航空学科で学び戦時中は軍の飛行機製造工場である「中島飛行機」や陸軍航空技研で飛行機の設計に取り組み、戦後は、富士産業、トヨタ自動車(何と一日だけで退社)、日本内燃機関(くろがね)を経て、最後は1958年に本田技研に入社して自動車設計をするかたわら、レース好きの本田宗一郎さんの援助などをしてレーシングカーの開発にも従事されて、ホンダの名を一気に世界中に広めたF1グランプリに挑戦されていました。

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 話は戻りますが、中島飛行機は終戦後には社名を「富士重工業」として多くのヒット商品を販売しています。ラビットというスクーターも当時は簡易移動車両として人気がありました。その後に、再び社名を「スバル」に変更して、今や絶好調の自動車会社です。
ここで分かることは、スバルもホンダも元をたどれば飛行機の設計者が開発してきたメーカーです。飛行機は当然のことながらエンジンとプロペラを直結する技術であり高回転で回ります。
そのために、国産のFF車両はスバルとホンダが最初に開発した車でした。トヨタはFRにこだわり開発が遅れましたが、結局のところ現在では燃費と構造の簡単なFF車が主流となっています。

 本田宗一郎さんの陰に隠れてしまい、取り上げられることが少ない人生でしたが、世界の著名なレーサーやレース関係者で中村さんを知らない人は居ないでしょう。

 昨年からホンダはF1にも本腰を入れているようです。やはりレース好きの本田さんが起こした会社なので当然かもしれませんが。

ホンダレースの歴史 (左をマウスでクリックする)本田技研サイトに飛びます。

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時間があれば、一度読まれてはいかがでしょうか。きっと技術のホンダの原点が見えてきます。