2019年7月 9日

風景写真と観光写真

旅の雑誌などで頻繁に使用されている写真ですが、この場合の殆んどは観光写真です。観光写真は、描写が綺麗でカラー写真が殆んどであり見る人をその場へ誘い込むようにするものです。観光写真の目的は観光客を増やすことですから当然です。構図も比較的おとなしく一般的な撮影技法で構成されます。しかも写真を始めた初心者でも綺麗な写真が出来る場合があります。

では、風景写真とどう違うか?という事ですが、まず言えることは何時間見ていても飽きが来ず、そこで撮られた作者の気持ちが微妙に伝わってくるものと言えるでしょう。いわゆる味わいのある写真です。一枚の風景写真からドラマのように色々なことが読み取れるものです。

1280px-Adams_The_Tetons_and_the_Snake_River.jpgこの分野では何と言ってもアメリカの風景写真家である「アンセル・アダムス」が有名です。彼が撮影したヨセミテの風景写真は非常に有名で、アンセル・アダムスの名前を世界中に知れ渡らせた作品です。この人の作品はモノクロ写真が多いのが特徴です。もっとも、この頃はカラーフィルムとプリントはまだ未完成な時代だったということもあります。

日本の写真家では、「濱谷 浩(はまやひろし)(1915-1999)」さんです。 私が好きな写真家ですが何度見ても素晴らしいモノクロで写真です。さすがにお兄さんである写真評論家の田中雅夫さんの影響もあるのでしょう。題材は、その辺りにあるものが写されていますが何と言っても描写が素晴らしい。若い頃は日本工房に所属して報道写真もやっておられた方ですが後年は風景写真をやられました。何かの機会にご覧になられることをお薦めします。
恵比寿ガーデンパレスには東京都写真美術館がありますが、これら国内や外国写真家の作品など見事な数です。

参考に用いた写真は、アンセル・アダムス(1902-1984)が当時に撮影したヨセミテ風景です。 

2019年6月23日

フィルムを知らない若者たち

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世の中、カメラと言えばデジタル方式のものしか購入が出来ません。省略の好きなデジカメの正式名称は、デジタルスチールカメラと言います。だからカタログなどではDSCという用語が載ります。まあ、我々はデジタルカメラで呼びましょう。

先日も写真好きな若者と話をしていてフィルムカメラの話題になり、フィルムを見たことが無いとのことでした。それどころか販売されていることすら知られていないようです。
無理もありません。最初にDSCが開発されたのは1975年の事です。米国フィルムメーカーのコダック社が発売しました。1975年といえば米国でアップルコンピュータが開発されたり、インテルという半導体の会社が最近のコンピュータ(パソコン)の素となるLSI(大規模集積回路)マイクロコンピュータを発売した頃です。マイクロコンピュータというのは使えるコンピュータでは無く、何本か足の出た単なる半導体のことです。 とにかく、この頃の米国は世界の先端技術を全て備えていました。

日本の東芝でさえ、半導体の製造は歩留まりが非常に悪く米国に頼っていた時代でした。
世界に先駆けて開発し発表したインテル社は町工場から一躍大企業になったのは周知の事実です。ここのブログでも書いてあるのでまた読んでください。 静岡県に住む一人のアマチュア無線家が大きく関係する話です。

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話を戻します。日本では当時たくさんのフィルムメーカーがありました。最後まで残ったのは富士フィルムとさくらフィルムでした。さくらフィルムを製造していたコニカは結局カメラ開発部をミノルタに売却してフィルムから手を引いたので日本で残ったのは富士フィルムだけです。

昨年、大阪の富士フォトサロンの方と食事をした時にフィルムの将来を尋ねました。
需要が激減しているフィルムですが、何とか可能な限り製造してくれるようです。
富士フィルム写真工業は、写真の愛好家のおかげで大きくなった経緯があり、そのことを決して忘れることが無いとのことでした。ヨーロッパや米国にはまだフィルムファンが結構いると聞いています。

プロ写真家はほとんどがデジタルに移行しています。時間と金の掛かるフィルムでは商売にならないのとその場で結果を確認出来るデジタルカメラにはとても対抗できないからです。
時間が自由に使えるアマチュアカメラマンの世界に絞られています。

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上の写真は、最近購入した富士フィルムのリバーサルフィルムです。有効期限が2021年1月となっており、しばらくはフィルムの心配も要りません。
中段の写真はケースに入ったコダック社の白黒フィルムです。

フィルムは撮影から出来上がるまで、全てが化学反応です。フィルムという乳剤に光を当て化学の力で像として定着させることで思いがけない発色を楽しむことが出来るのもデジタルに無い魅力です。

2019年6月13日

風景写真は年数で価値が増す

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人間は置かれた環境を残すことに何年も挑戦して、過去には絵画で表現してきたわけです。そのお蔭で現在でも当時のそれぞれの様子をおぼろげに想像することが出来ます。
しかし、絵画では瞬時に精密描写は不可能であり遂にはカメラを発明したわけです。
その当時は乾板というガラス板に薬品を塗る媒体に画像を定着したのですが、技術の進歩は目覚ましく、わずか100年ほどで電子媒体でデジタル化をしてしまいました。このデジタル化技術は過去何千年もの風景絵画の夢をすっかり変えてしまい今後もほぼ永久保存が可能な筈です。

そして一枚の風景写真が何十年後の社会で役立ち利用されるかと思うと、写真の価値は絶大です。
絵画ではとても真似の出来ないことです。基本的に絵画と写真はその価値が別の物です。
確かに長い歴史の中で絵画の価値は蓄積され、写真などと比較になりません。しかし、写真の場合はまだ始まったばかりの僅か100年です。あくまでも写真の価値はその精密な記録です。
米国の写真フィルム会社を創設したジョージ・イーストマン・コダックさんは明けても暮れても大きなカメラとフィルムで当時の風景を収めました。彼はその手法を広めるために努力し世界で最大のフィルムメーカーに仕立て挙げたわけです。

ところで、知人の案内で和歌山の小さな漁港を撮ってみました。デジタルなので刻々と変化する空の様子を気にしながら何枚もシャッターを切った一枚です。日没前の漁港の様子をカメラに収めましたが何と言ってもデジタルの強みです。やっぱり風景写真は難しいです。むかし木村伊兵衛さんが言っておられましたが「写真はルミエール」という言葉が思い出されます。フランス語のルミエールとは光ということらしい。

2017年3月 1日

風景写真とは

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 風景を撮影する時に特に注意することがあります。大きなカメラを持って出かけるのはいいのですが現地へ行くとその風景をどこで切り取るか迷ってしまいます。
 元々風景写真は観光写真やガイドブックの写真とは異なります。それが、現地で綺麗な景色を見た途端圧倒され、ともすれば観光写真になりがちです。ちょうど祭りの写真を撮るのに自分も祭りに酔いしれてしまい肝心なことを忘れてしまうのに似ています。あくまで祭りを冷静に傍観しその本質を表現しなければなりません。私の場合には、重いカメラを出す前に、じっと眺めて考えます。言い換えれば「脳内撮影」をすることにしています。5分ほど考えたあとにアルミケースからカメラを取り出し、三脚に取り付けます。これで15分ほど要するので一枚の撮影には約一時間ほど掛かかる訳です。

 ここに紹介するのは「風景写真」というアサヒカメラ教室のシリーズ本です。昭和41年6月発売です。当時、私はこの本で風景写真のことを学びました。ここで執筆された写真家は当時人気があった風景写真家であり、そのほとんどが亡くなられましたが、これらの作品は評論家の重森さんなどは風景写真についてアサヒカメラでも取上げておられた記憶があります。私が好きな写真家の濱谷 浩さんも執筆されていますので一度読んで下さい。濱谷 浩さんのお兄さんは有名な写真評論家の田中雅夫氏ですね。この頃から写真という分野が芸術として評価され始めて来たのでした。それまでは絵画や彫刻に比較して格段に低かったように思えます。

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 さて、本誌の中にトップで伊奈信男氏の記事があります。それも風景写真の本質を的確に解説されています。先日、大阪の富士フォトサロンでJPSが主催していた名取洋之助年度賞の本年度入賞作品を見て、なぜか伊奈先生のことを思い出してしまいました。名取洋之助さんはリアリズム写真などで知られる日本工房を創設された方で、当時は土門拳さんや木村伊兵衛さんも参加されていたように思います。伊奈信男氏とは私が若い頃第2回ニコン夏期大学に一週間参加した時にお会いしました。その折に箱根の小涌園ホテルで先生のポートレートを撮ったことがあります。非常に物静かな典型的な紳士タイプの方でした。私が撮影したその写真を細江英公さんがものすごく褒めてくれていたのを覚えています。皆さんと食事も共にして語り合った記憶があります。最後の日に、ニッコールクラブ会長の木村伊兵衛さんから修了証書が出ました。

 いい機会なので、再度、風景写真の定義を熟読したいと思います。

2010年9月15日

岩波写真文庫の果たした役割

日本の写真界は大きく3つに分別できます。一つは名取洋之助さん・木村伊兵衛さん・土門拳さん・三木淳さんたちが集まるいわゆる報道写真の系列、もう一つは、秋山庄太郎さんが得意とする女性肖像写真の系列です。後に盛んになった、前田真三さんのような絵ハガキ写真屋さんたちの風景写真分野の系列です。

これらどの分野も皆そうですが、弟子を育てながら今も日本写真界の柱となっております。特にニッコールクラブを創設した三木淳さん(最初は常任幹事でした)は初代ニッコールクラブ会長(1974年就任)そしてそれを木村伊兵衛さんへとバトンタッチして現在のニッコールクラブが継続しています。

当時は、写真などの贅沢趣味は普通の人たちの間では自由に楽しめなかったのです。なぜならば撮影用のフィルムは配給制であり、それも何かに関係した人たちでなければ殆んど入手不可能な時代でした。要するに、戦争に負けてしまった日本はすべてが進駐軍(連合軍)の支配下にあり、気軽にシャッターを押すという状況ではなかったわけです。

そんな中でも、名取洋之助さんが岩波書店に働きかけて編集させたシリーズ本があります。地方のカメラマンなどにも働きかけて、長い間にわたり出版してきたのが「岩波写真文庫」でした。土門拳さんなどは既にドキュメンタリー写真に専念していたのでまさしくぴったりの発表の場でした。実際にはこの写真の半分に折られたB6版で発行されて定価は¥100でした。大きな図書館ではまだ所蔵しているはずですが。

iwanami.jpgこれは272号で当時の日本の正月を記録した貴重な資料となっています。

写真は情報量がとても多いので,どれだけ文章で代用表現しようとしてもとても及びません。個人的に思いは違うけど、一枚の記録写真を見れば、すぐに当時の情景が蘇ってくるのは確かです。残念ながら文章表現でどれだけ作家が装飾しても、事実は伝わりません。かえってゆがんだ記録になってしまうような気がします。

2008年11月24日

白川郷は高速道路で便利になった

sirakawa01_2.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (2005/11/05)

岐阜県白川村

東海北陸自動車道が北陸まで全線開通して白川郷への車でのアクセスがかなり早くなった。以前は41号線で名古屋から4時間ほどかかり早く出ても到着するのは昼前であった。高速インターを降りて高山市内に向かわずに白川村へ車を走らせると辺りは一面の紅葉となる。

観光バスで訪れる人も多く、ピーク時にはかなりの人混みとなるようだ。真っ赤に色ずんだ紅葉が太陽の光で眩しいほどである。

東海北陸道でも最も高く位置するサービスエリアが「ひるがの高原」である。車を走らせていると誰もが立ち寄るので直ぐに分かる。このサービスエリアからの眺めもすばらしく遠くにはスキー場が点在して居るのがよく判る。一度は立ち寄って欲しい撮影ポイントである。

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 白川村は世界遺産に登録されてから観光客が多くなった。何十年も前から時々訪れてはいるが、格段の違いがあり、以前の暗いイメージから一気に明るくなった気がする。看板のカラフルも目立ち撮影する者にとっては困りものである。

世界文化遺産に指定された白川郷の合掌造り家屋 

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京都の紅葉は今が見ごろ

jingoji01_3.jpg撮影:TOMIOKA Takumi (2006/11/18)

京都高雄の神護寺

この時期になると神護寺には一年で最も多くの観光客が訪れる。長い階段のある参道は人で埋め尽くされる。それだけ努力して登っても価値のある紅葉が見られるのであろう。高い山は別として、これだけの紅葉が一箇所に集まる高雄は魅力であり、カメラファンにとっても絶好の素材になる。最近はデジカメが一般化して誰もが綺麗な写真を持って帰れるのは有難いことである。

カメラに保存して自宅に帰りじっくりと再度眺めて思い出を残すことが出来る。

 

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2007年5月30日

近代写真界の創世

ここ数年のことですが,デジカメが安くなり一気に写真ファン(カメラファン)が広がったように思われます.昔の写真といえば正しく写ることすら珍しかったわけですから私のように子供時代から写真を楽しんでいる人達には衝撃としか言えません.ではいつごろからこんなに写真を一般社会が見れるようになったかです.今日はそのことを書いてみます.

まず,その前に、カメラの歴史の話をしなくてはなりません.当時(戦後間もないころ)のカメラは,ほとんどが手札判といってフィルムパックという金属製のケースに12枚が入っていました.あるいは,少し後になりブローニーフィルムというロールタイプが発売されました.そんな状況の中,ヨーロッパではライカが発売されたりで日本のカメラメーカは戦国時代に突入したわけです.要するに,ヨーロッパのコピーカメラをそれぞれのメーカーが作りあい競争したわけです.そこで生まれたのが,当時の西ドイツのツアイスイコン社から出ていたイコンのコピー判でした.ニコンS型です.しかし,このニコンS型はあまりにも良く出来ていたので日本のカメラ関係者を驚かせたものでした.しかも,レンズは戦争用機器で定評があったニコンのレンズ付であり描写力には引けを取らないものでした.このニコンSが発売されたり,その他多くの35ミリ判カメラが発売され一気に日本の写真界に火がついたわけです.誰しも手軽にカメラを扱いまた写真を撮りだめることにもなりました.

当時の写真界では,戦前から流行であった肖像写真がほとんどであり,今で言うスナップなどは皆無だったわけです.当時は戦争が盛んな時代で、戦争に参加する若者が正装して立派な写真を残しておくことは誰もが認める必須条件だったわけです.いつ命を落としてもせめて肖像写真が仏壇に飾られる・・・・そんな思いで若者は自分の写真を残し戦地に旅立ったわけですね.

そんな時代にあって、「名取洋之助(なとりようのすけ)」という写真家が当時のヨーロッパ写真界の影響を受けて自由に生活写真を取りだめ発表しました.それを,なるべく多くの一般人に紹介しながら写真の持つ記録性を証明しました.写真は肖像写真ばかりではなく,こんな風に生活を記録することも重要であるのだということをです.そこで当時は集団を創ったりして近代写真の先駆者として努力したわけです.そのころの影響を受けたのが,「木村伊兵衛」さんで彼はフランスの「アンリカルチェブレッソン」などとよく似た写真を撮り、東京の町や人物写真を主体に35ミリカメラのライカで生活写真をスナップすることに専念しました.また,同じ頃に「土門拳」さんもよく似たスナップ写真をメインとしており,彼の写真は,ある社会問題をテーマとした少し思想が入ったもので,当時の新聞などを騒がしたものでした.あるいは,「三木淳」さんもそうでした.彼らはいずれも当時世界的に有名だった米国の写真誌「ライフ」の特別契約写真家であり,ライフの表紙などを飾ったものでした.

そんな頃,「名取洋之助」さんが岩波書店に働きかけてはじめたのが,「岩波写真文庫」です.日本で最初の写真を主体とした書籍です.このシリーズは当時の多くのテーマを特集しており,古い書籍を所蔵する図書館にはまだあるはずです.このようにして,近代写真がはじめり,後に日本では多くの写真団体が誕生して,現在ではあらゆるジャンルの写真が氾濫するようになりました.参考になりましたでしょうか?

1つ重要なことを書きます.当時から少し後に,「名取洋之助」さんは岩波文庫から「写真の読み方」という本を書き上げています.これから写真を真剣に勉強するには最も近道であり,なぜ写真を残さなければならないかが分かりやすく記載されています.機会があればどこかで探して読んでみてください.では今度は、日本に生まれた写真雑誌のことでも書くことにしますので楽しみに.