2019年1月 5日

結局のところMFJ-259Bに落着きそうです

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電波を出すには送信機とアンテナが必要です。せっかく電波を発振しても肝心のアンテナに吸い込まなくては飛びません。途中は同軸ケーブルという太い被覆線で接続しますが、それぞれの整合(マッチング)が非常に大切で、この整合性が悪いとアンテナから戻ってくるのです。
効率良く電波をアンテナに載せ、作った電波の全てをアンテナから放出するのが理想です。しかし、そう簡単には行かず必ず少しは戻されます。
そんな状態を確認するために写真のような測定器を使用してマッチング状態を確認します。
写真の左のメーターでその状態が確認できます。
定在波比 (ていざいはひ、SWR: Standing Wave Ratio)という専門用語で表します
私も色々な測定器を使用したのですが、今はMFJ-259Bを使っているのです。
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理由は操作性が抜群です。特に私が使用するバンド(電波帯)はHF(短波帯)とVHF(超短波帯)がほとんどなので、この機種で十分です。テレビのUHFに相当する430MHz帯では別の機種を使用しますがUHF帯のアンテナではあまり調整箇所がないので殆んど必要が無いのです。

このMFJというメーカーは米国のアマチュア無線家向けメーカーで古くから色々な便利製品を販売しています。外観はキット感覚で高級感は無いのですがアマチュア無線家の気持ちを知り尽くして、こちらが欲しい用品をどんどん出してきます。
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2018年10月 5日

Heath Kitの古いエレキー

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アマチュア無線を使って交信するには電話(声を送る交信)や電信(モールス信号で交信)などがありますが、何と言っても小さな電力で相手局とつながる電信に人気があります。しかし、電信ではモールス信号を正確に打てる技術が不可欠となり、昔だと電信専門の学校などではかなりの訓練をしたようです。それもそのはず、昔の日本電信電話公社(現在のNTT)には電報窓口があり、急ぎの連絡は全て電報が主流でした。今では携帯電話などが発達して離れた外国でさえ瞬時に伝言を送ることが出来ます。
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これだと趣味として楽しむには少し寂しいようです。不便ですが昔ながらのモールス信号による通信は極めれば最高です。私の知人などNHKの21時のニュースを見ながらモールス通信で米国のアマチュア無線家と交信しておられる方もいます。

ところでモールス符号には世界共通の取り決めがあり、長音(長く出るツー)と短点(短いトン)が正確に出ないと相手に間違って理解されてしまいます。アマチュア無線では略符号というのがあり、例えばQTH(送信している場所のこと)やQRA(名前)で送ります。乱れた信号を送ると内容が正確には理解されずとんでもないことにもなりかねません。
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そこでアマチュア無線の交信では符号を正確に送ることが可能な機器が工夫されて現在でも多くの愛好家がいます。昔の器具を電鍵(でんけん)と呼んでいますが、これはエレキー(エレクトリックキーヤーの略)と呼ばれ昔からアマチュア無線では人気があります。
エレキーは自作される方も多く昔は米国ヒースキット社からは沢山のキット製品が発売されていました。この写真は1960年当時に販売されていたHD-10という機種です。昔、アメリカのオークションである有名なeBayで落札して輸入した物ですが今でも問題無く使用できます。
見た目は不格好なのですが実に機能的でアマチュアらしい品物です。取扱い説明書はもちろん英語ですが、非常に分かり易いもので多くの図解で紹介されています。
とても50年以上経っているとは思えない物ですが、大事に使えば何十年でも使用できるという事を教えてくれる品物です。最近の製品は回路がどれもIC化されて専用部品が無くなると使用できません。外観は新品同様でも廃棄しないと駄目なものが多いので困ったものです。

2018100 002.JPG背面には無線機に繋げる端子が出ています。単独でも練習ならOKですが。

2018年9月13日

NHKあさイチでお馴染みの柳澤秀夫さん

先日(8月25日)に東京ビッグサイトで開催されていた「ハムフェア」に参加してきました。あるブースでの担当を終え、その後に夕食を兼ねたパーティに参加したのですが、この席にNHK番組で出演されていたJA7JJN柳澤秀夫さんも来られて盛り上がりました。直接お会いできたのは、もちろん初めてです。
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自己紹介をされている柳澤さんを携帯で撮影

30名程の小パーティだったので皆さんかなりリラックスでしたけど、柳澤さんがポツンと一人でテーブルで酒を飲んでおられる姿が不思議に思いましたが、直ぐに同席して湾岸戦争での体験を質問すると、急にスイッチが入ったのか色々な裏話を教えて頂きました。特に当時困られたのは現地では日本語を使って情報を流せないので苦労されたみたいで、全て英語だったそうです。当然ですが、日本語を理解できる人が居ないのでスパイ行為ととられるわけです。重い機材や無線機を担いで、特殊な通信システムでやられたそうです。当時は若かったからでしょうね。この時も、あさイチのスタジオでも見た「いつもの帽子」を片手に持って居られました。濃いグリーンでした。

一時、肺がん手術のために、あさイチを降りられていましたが、再び解説委員として出演されてもアマチュア無線のPRは欠かさずにやってくれていたので、一般人にも趣味としてのアマチュア無線が理解されたようです。テレビの影響はすごいです。

お話ししていて感じたのは、非常に控えめな方という印象でした。有名人とは思えない振る舞いにアマチュア無線家として何か感じるものがありました。

今年はNHKを辞められるそうです。空でもお会いできると良いですね。

2018年8月28日

「さくらももこ」さんとアマチュア無線

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本日(8月28日)茶の間のテレビで一斉に流れたニュースがあります。漫画家の「さくらももこ」さんが8月15日終戦記念日に乳がんで亡くなっておられたということです。
平成から始まった「ちびまるこちゃん」ブームですが一時は日本国中で大騒ぎになったほどです。さくらももこさんが作詞された「踊るポンぽコリン」という曲が子供たちには大人気となりアニメもさらに人気が出たようです。

実は、「さくらももこ」さんは高校生の時にアマチュア無線部に所属されていたそうです。本名は三浦美紀さんです。その時はコールサインもJI2EITということで開局されていたようです。
そのせいか、自身の作品にも「まる子アマチュア無線にあこがれるの巻」というのがあり、かなり詳しくアマチュア無線の免許取得方法や楽しさなどを伝えています。さくらももこさんは静岡のご出身なので2エリアのハムということになります。アマチュア無線では日本を10に分けられて東海地区を2エリヤ(ツーエリアと呼ぶ)と言っています。  ご冥福をお祈りいたします。合掌
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「さくらももこ」さん以外にも有名人でアマチュア無線を楽しむ人は多く、例えば「タモリ」さんや政治家「小渕優子」さんや「えなりかずき」さんなど数えきれません。
アマチュア無線とSNSの大きな違いは、運用する人全て国家試験に合格して各自のコールサインで楽しむことです。名前を隠さず堂々と会話をするので内容にも責任を持つ必要があります。
それだけに、親しくなれば深いお付き合いが長く続きお互いに情報交換をすることができます。

興味があれば、下記のサイトを覗いて下さい。

2018年6月29日

JA1AN 原 昌三さんが亡くなられた

アマチュア無線をやっていてJA1AN原さんの名前を知らない人はまず居ないと思う。原さんは既に90歳を超えて居られたのは知っていたが、その後詳細が分からなく気になっていたが先日のJARLメールマガジンなどで平成30年6月9日に亡くなられていたことを知った。
原会長を最後に眼にしたのは、東京ハムフェアの別室で開催されたJARD記念パーティであるが、当時も車椅子で来られて会場で熱心にJARDへの思いを語られていた。JARDはJARL制度改革から分かれた組織であり、原さんたちのアマチュア無線の将来に対する思いが込められていた財団法人です。
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写真の左、車椅子のJA1AN原さん(当時はJARD元会長)

この会場でも、DVDで会場のスクリーンに原さんの功績を綴ったビデオが流れましたが、その様々な努力には頭が下がります。

JARL愛知県支部大会にお越しいただいた時に昼食を共にしたことがありますが、20分ほど色々なお話が出来たこともあり、その時にも熱く語られておられた事を覚えています。

生涯をアマチュア無線に捧げられた大先輩であり、今後もまず出ない人だと思います。
JA1AN原さんのご冥福をお祈りします。

また、アイコム社のホームページでも原さんが投稿された記事が掲載されています。
JA1AN原さんの記事 (左をマウスでクリック)
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下記はJARLメールマガジンで送られた内容です。

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    【訃報】JA1AN 原 昌三 JARL元会長(JARL名誉会員)
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 原 昌三 元会長(名誉会員)が、平成30年6月9日にご逝去されました。
 原 昌三 元会長は、昭和27年に当連盟の理事に就任し、昭和45年から
平成24年まで当連盟の会長を務め、アマチュア無線の普及・発展において
多大な貢献をなされました。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
【褒章・表彰】
昭和57年6月  ITU協会会長賞、郵政大臣表彰
昭和61年4月  藍綬褒章
平成5年10月  通商産業大臣表彰
平成8年11月  勲三等瑞宝章
平成11年5月  新日本ITU協会特別表彰
平成26年6月  一般社団法人日本アマチュア無線連盟名誉会員

2018年6月17日

HeathKitの魅力

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米国にあった組立てキットを販売していたメーカーのヒースキットは今は無い。当時、社長は軽飛行機のキット製品を販売しようとして、試作機を飛ばして命を絶った。それ以降は会社がガタガタになり、多くのアマチュア無線家がキット商品の再販売を求めたが実現出来なかった。
この受信機はSB303というアマチュア無線用のもので、昔、私が組立てたリグで気に入って使用していたものである。当時の無線機はセパレートタイプも多くあり、この受信機もSB401の送信機とトランシーブして使用する物であったが2台並べると場所をとるので何時も受信機を主に使っていた。
最近になり、保管していたSB303とSB401を再度レストアしようと思い引っ張り出した。幸いと、両機ともほぼ健在であり、そのまま使用できるほどで30年以上たっているとは思えないほど良好な状態である。当時はソニーサービスという会社があり米国ヒースキット社の製品を輸入販売していた。

このキットの特徴は何と言っても解説書が充実していたことである。もちろん部品一つ一つから組み立てるのであるが順序良く一行ごとに読んで進めて行けば、ほぼ誰もが完成した。英語版と日本語版が付属していて実に分かり良いものであった。
送信機と受信機とも完成して使用していたが性能も良くとてもキットとは思えないもので満足を覚えた。
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いよいよこれから分解に入るが完全に元通りになるには1年ほどを要すると思う。
特にロータリースイッチの接点部分の磨きから必要で大がかりなレストアになるはずである。
自分で完成させた思い出のリグなので手放すには惜しい。

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2018年4月28日

Hammarlund 受信機 HQ-100

昔から米国には有名な通信機メーカーが多数存在していました。ところが優秀な通信機も日本のメーカーにコピーされ、ほぼ同様の機構を持った受信も日本では出回りました。どこかの国をあまり責められないのも当時に若かった日本人にはよく分かっている筈です。
今では世界中に日本製の無線機が出回り、その性能も最高ランクに位置するほどとなりました。
特にアマチュア無線の世界では顕著に表れており米国製を使用している局を探すのは難しいと思います。
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写真は当時アメリカで有名だったハマーランドの受信機でHQ-100です。全面パネルも厚い軽合金で作られており、二つの円形のダイヤルメモリが特徴です。これより古いハマーランドの受信機に酷似した国産の受信機がありますが、今考えるとコピー品でした。

このHQ-100ですが、選択度が非常に良くて昔の受信機ながらサイドの切れは抜群です。
操作も分かりやすく、タイマー時計も付いていて時間が来れば電源を自動的に入れたり切ったり出来ます。感度も良くてお気に入りの一台です。

2017年8月 3日

DRAKEの人気受信機を今一度

 現在、アマチュア無線の世界では日本メーカーが独占しているが、かつては米国製品にあこがれた人も多かった。なかでもドレークやコリンズやヒースキットは根強いファンがいた。特にドレークではあのμ同調回路がユニークで、同調点がハッキリと感じられる。カバーを外しツマミを回しながら復調された音に耳を傾けると、明らかにザーという音からクリヤーな音声がつかめる。これらの方式はコリンズや日本のヤエスFT101でも採用されているが、ドレークの場合なぜか鋭利に表れるように思う。
 ドレークの無線機は当時全てデザインと色合いが統一されていて、現在販売されている日本の派手なデザインとはほど遠かった。地味なグレーで構成されたモノトーンである。

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 私の所有するTR4-Cw、R4-C、SPR-4、TX4-Cもかなり期間が経っているが未だに愛着ある機種である。最近の日本製無線機は確かに性能が向上していてプロが使用する測定器のようである。DX局を求めるトップDXerでなければあまり性能を気にしない。こちらは退職者であり時間はたっぷりある。ドレークやコリンズや昔の日本製無線機ではアマチュア無線らしい一面が残っていて手放せない。
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 話は違うが、最近になりアナログ機器が一部の人たちでは人気が復活しているそうである。例えばレコードやカセットテープなどを求めるマニアが増えているのも分るような気がする。
 昔に味わった電離層が不安定な中、はるか遠くの外国からやって来た雑音交じりの電波。西ドイツのドイチェベレ放送局や南米の小さい国から電波を出しているアマチュア局の信号、どれも雑音すれすれから見つけ出す楽しさとテクニック。現在の聞こえて当たり前の受信機に味わえない体験も復活できないものだろうか。アマチュア無線の免許は無線技士であり通信士ではない。もっと技術的な面を楽しむことこそ長続きのコツだと思う。

2017年7月24日

もう一人のスティブ

 アップルコンピュータ社の創始者として世に知られている人物にスティブ・ジョブズという人がいます。彼はアップルコンピュータを世に送り出した技術者として有名ですが、実はその陰に隠れてあまり目立たない存在のスティブ・ウォズニアックというアマチュア無線家がいます。彼こそアップルコンピュータの原型であるアップル1を生み出した男なのです。私は昔からアップルコンピュータの利用者ですが、購入した関係書にはいつも彼の存在は大きく取りあげることなく紹介もまばらです。しかし、彼こそ職人魂を持った本当の技術者なのです。どちらかと言えば、ジョブズはビジネス得意男であり、ウォズはアラン・ケイのようなコンピュータオタクの職人なのです。この写真は、当時二人のスティブがアップルコンピュータの原型を作りだしたガレージです。この中で、ウォズニアックはアマチュア無線とコンピュータを趣味としアップルコンピュータの製作に没頭していたわけです。1970年代初期の米国ではミニコンやその他のスクラップが氾濫しており、その再生品を利用してコンピュータを製作し、そこにソフトを搭載するという方法で開発が行われました。ウォズニアックは後にiPhoneを開発してアップルコンピュータ社を離れますが彼の開発したものは、どれも大当たりでジョブズが亡くなった今もそのことはアップルコンピュータを愛する人たちの間では伝説となっています。
 ちなみに、彼が当時使用していたアマチュア無線のコールサインはW6BND  でした。

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 当時マイクロコンピュータ機器などは、大メーカーなどは見向きもせず、アマチュアの趣味の世界でした。この頃に、起業したマイクロソフト社のビル・ゲイツも同様のことが言えます。彼はMITS社の8080基板搭載のアルティア8800を働かす簡単なソフトBASIC言語を紙テープで売り出し、その後に基本OSであるMS-DOSの大当たりで財を築きました。
 話は少し外れますが、アップルコンピュータ社という会社はイギリスのアップルレコードから商標を借りたり、日本の電話機アイホンから借りたりして上手くロゴとマッチさせて有名になりました。

2017年6月 4日

久し振りにJRC-515送受信機

日本無線と言うメーカーはアマチュア無線では評判が良い。もともと業務用の無線機製造販売なのであるが一時期にアマチュア無線用機器も販売したことがある。これもその当時の機種ではあるが、既に30年以上も経っているセパレート式の送受信機である。当時は、トランシーバーとは別に送信機と受信機を接続して(トランシーブ)運用するタイプも多かった。例えばトリオの599シリーズもその一つであり、同様の人気を得ていた。写真の最上部は付属のメモリ装置であるが515シリーズのものではなく518という後継機種である。515のメモリ装置は24CHであるが、こちらは24×4も受信周波数を記憶できるので、普段のBCLには十分である。
この日、久し振りにダミーを繋いで送信したら軽く100W以上も出た。しかし、送信機の表示器で周波数を上げようとしてダイヤルを回しても下がってしまう(数字が小さくなる)。パルス発生回路にトラブルが出たらしい。受信機は全く問題が無いのでKBS日本語放送を聞きながらしばらく送信機を調べてみた。
この修理には時間が掛りそうであるが、別の機会に触ってみることにする。
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2017年3月24日

小さなCWトランシーバーが400円以下

CW-TCVer.jpg 受信と送信の機能を備えたものはトランシーバーと呼ばれます。携帯電話も広い意味でその部類ですが私たちは意識することなく使えています。
 最近ある機会があり、モールス信号で交信できる小さなトランシーバーの製作キットを入手しました。送信出力はどれだけ出るか未知です。しかし、BNCコネクターも立派なものが使われておりアンテナしだいです。しかし、これを作ろうと思ったのはCWの練習用であって決して外部アンテナを繋いで不特定な方と交信することは考えていません。アマチュアの皆さんはモールス送信可能な資格を持っているのに、なぜか交信をためらう方が多いのです。やはり、自信が無いのと交信相手が熟練の人だというイメージが先になり、つい遠くなりがちです。AFアンプもあるので小さなスピーカーをならすことも出来るようですが分かりません。
 そこで、顔見知りの仲間と室内でダミー(擬似アンテナ)を繋いで練習会をすることを考えました。回数を重ねて慣れたところで、今度はその仲間と実際に空で交信をする。やがて、知らないうちに自信が出ることを期待しながら続けることが出来るようになるという想定です。

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 入手したキットは、中国からのものですが日本の業者が中国で売り出しているようでキットの中身も、日本の秋葉原にある信越電子で手に入れるような品物です。写真はその現物ですが、これで約400円で作れるのには驚きで、将来の中国が恐ろしく思えます。

2017年1月25日

ピコ太郎で思い出した名機 ピコモールス

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ミズホ通信製のピコモールス(1981年発売)

 世間ではピコ太郎というユニークな男性が人気になっています。

 そこで、昔のピコという用語を思い出しました。ここで言うピコとは小さくて可愛いというCW練習機の話です。1972年東京町田市に現れた「ミズホ通信」という会社。あのトリオ受信機9R59を設計して有名になったJA1AMH高田継男氏が起こした会社で、1981年には発売したピコシリーズが人気でした。とても小さいリグ(無線機)で特定のアマチュア無線家には絶大な人気がありました。しかし、2012年に会社も事業を終了し、2016年には創業者の高田氏も亡くなられました。ご冥福をお祈りします。

 その後、1991年にはピコシリーズである「ピコモールス」を発売したので私も早速購入してモールス信号の訓練に使用していました。モールス信号というのは訓練で相当上達が出来ると聞きます。写真の小さな回路基板は、しばらくすると段ボール箱の片隅に埋もれていました。

 テレビで出演するピコ太郎を見て、再び引っ張り出したのでモールス信号の良さを再確認しようと思います。モールス信号は、デジタル信号の元祖でもあり1と0だけで通信できるのが魅力ですね。究極の通信手段とも言われており災害時にも効力を発揮するものです。まず、26文字と数字を覚えるだけで通信が可能です。ぜひ、どうぞ。

2017年1月 7日

紛らわしいFBという用語

 ホームページを見たりニュース番組を見ていると、盛んにFBという用語を目にします。元々我々アマチュア無線家の間では、世界に共通する用語として昔から頻繁に使用されてきました。
FaceBookはフェースブックと言って記述してくれると助かりますが、日本人は直ぐに省略するので紛らわしい。

 アマチュア無線で使用するFBとはFine Businessという意味を持ち、これ自体は省略形ではありません。そもそも通信では、無駄な電波の利用を無くす工夫がなされており多くの符号があります。
例えば、SOS(非常信号)やOSO(遭難信号)などは比較的知られております。

もっと、面白いのがあります。

「さようなら」は通信の完了符号。日本語の「さよなら」ではありません。
「本日は晴天なり」は無線機の調整記号。
「どうぞ」は相手に送信をもとめる記号。

などですが、これ自体変えて言えないのです。お天気が悪くても「本日は晴天なり」と言います。
全てが、符号なのです。

また、こんなのも頻繁に使います。

CQ・・・・・・・各局あての一般呼出し
QTH・・・・・Q符号のひとつで、自分の位置をしめす
YL・・・・・・・女性を表す
OM・・・・・・男性に対して敬意をはらう言い方
WX・・・・・・お天気のこと

また、こんなのもあります。
73・・・・・・「さようなら」の数字版
59・・・・・・信号強度と了解度が最高

これらの符号や省略記号は、通信の能率と正確さを期待する用語であり世界中で共通となっています。

他にも、アマチュア無線では通信を行う時に使用する「和文通話表」というのがあります。
例えば、

自分の名前を「山田」ですという時には、
大和のや
マッチのま
タバコのたに濁点

と相手に和文通話表を使って紹介します。
これで相手は、正確に名前を理解できます。
面倒なことのようですが、通信では少しの間違いも許されないjのです。
山田さんを矢野田さんと取り間違えれば大変です。

もちろん、これはアルファベットでも同様の欧文通話表があり世界共通です。

H for HOTEL
などと言います。

一度、アマチュア無線のサイトを覗いてみませんか?

最近では国際宇宙ステーションとの交信もアマチュア無線を使い、宇宙飛行士と話すことも出来ます。また、たいした準備もせず片手に持てるハンディ機で多くの人を見つけることが出来ます。
SNSとの違いは、相手となる皆さんの身元がハッキリしていることで安心して会話が出来、誹謗や中傷はありません。
下記にマウス当てて下さい。ホームページが見られます。


2017年1月 6日

当時欲しかった2B29という真空管

 電波法施行規則4条1項24号によると「アマチュア局」とは、金銭上の利益のためでなく、専ら個人的な無線技術の興味によって自己訓練、通信及び技術的研究の業務を行なう無線局をいう。・・・・・・・・とあります。

 冒頭から難しい文言を並べましたが、法律というのはどれもこんなものです。
短く言えば、アマチュア局は商売を目的にすることなく、趣味の範囲で何か試作したり通信を楽しむ局です。

 そんなことから、当時は自作派が当たり前の時代でした。何でも自作し、その中で技術を磨く日常がハム(アマチュア無線家)では一般的な楽しみ方でした。
 当時は、アマチュア無線に没頭して大企業として成功されたソニーの設立者「井深 大」や米国アップルコンピュータ社を設立した「ウォズニアック」がいます。やはり彼らは、無線局を持ち日夜電波に親しんでいたわけです。自己訓練が自然な形で彼らの中に育っていったのでしょう。
 ソフトウェア部門でも同様で、一太郎で有名なジャストシステムを設立した浮川 和宣(うけがわ かずのり)さんも四国で活躍したアマチュア無線家です。共通して言えることは、彼らが物事に没頭する性格であったことです。内容はアマチュア無線ですが立派な研究者でした。

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 さて、ここに掲載した写真は、アマチュア無線の通信機にVHF帯対応の機器がなかったころ、OM(先輩ハム)たちは、盛んに自作して50MHzや144MHzで電波を出す工夫をしました。それまでに製作した無線機にアップバーターと呼ばれる付加装置を製作し何とかVHF帯電波を作りだす訳です。この真空管は、当時のハムが憧れていた球で少し変わった形をしていて人気がありました。名古屋のある2文字(ツーレター)のOMに譲ってもらったNEC製のビーム菅829B(2B29)です。144MHz帯まで使用でき50W位は出たと思います。
 
 このようにして、当時は未開だったVHF帯をアマチュア無線で使用するようになり、色々な機器が高い周波数でも実用化したのです。アマチュア無線で使用して、しばらくすると業務無線(警察や消防など)でも使い出すようになったものです。
 いつもそうですが、アマチュア無線が開発した電波帯は、安定して使用できるようになると様子を見て、しばらくすると業務無線が使い出す。仕方ないことですが。そのために、アマチュア無線には、ほぼ全ての電波帯が許可されているのです。

2016年12月27日

CQマシンを便利に使おう

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 アマチュア無線は電波を利用して知らない人と交信する世界共通の趣味です。昔は、キングオブホビーと言われたこともあり、その楽しさは現在のSNSなど比ではありません。その第一の理由として、アマチュア無線を運用するには国家試験に受かりアマチュア無線用の「無線従事者免許」が必要です。これは、どの国も同様であり、無線局を運用するにはコールサイン(呼出符号)が与えられます。免許申請にはその国の政府が関係しています。日本の場合には総務省※※総合通信局といわれる機関です。免許人は、電波法によりかなり厳しく規定されておるので間違ったことをすれば逮捕されます。やはり、どの国もスパイや情報セキュリティの関係で厳しいのでしょう。例えば、タイ国で運用する場合には、外国語は英語しか使用できません。日本語を使うと捕まります。
 
 この写真にある装置は、CQコンテストマシンというものですが、主にアマチュア無線を使って短時間に出来るだけ多くの局を見つけて交信する数を競う場合に使用するものです。最近の無線機では内蔵されたものが多くなりましたが、記憶できるICレコーダーに限界があり、この装置のような1チャンネル30秒で4チャンネル記憶可能というのは無いと思います。なくても参加できますが、同じ呼出を頻繁にするので声枯れが起きそうになります。ちなみに、「CQ」というのはアマチュア無線用語で「誰か交信して下さい」という意味となり、この局と話をしてみたいと思う人が、CQを出している相手のコールサインを呼び、「こちらは※※です」と言って応答します。それが遠くの国の人ならば感激は大きくなります。
 
 最近では、アマチュア無線が災害時の手段として見直されて少しではありますが増加しているようです。大災害時にインターネットが使えると思っていたら大間違いです。インターネットや携帯電話はほぼ止まってしまって復帰するにはかなりの時間が掛かっているのが過去の現状です。また、アマチュア無線は、登山などで大活躍します。山林や高い山では携帯電話は使用できないために非常通信にアマチュア無線は欠かせません。資格を取るには、簡単な講習会を受けて免許取得でき小学生のハムもたくさん居ます。アマチュア無線の世界では上下関係はありません。たとえ小学生ハムであっても敬称で呼び合うのがエチケットとなっており、交信内容にも各自責任を持っています。
 
 さらに言えることは、アマチュア無線で見つけた交信相手とはお付き合いが長続きします。グランドミーティング(実際に会う)などすれば一生涯忘れない人となりお付き合いが始まることも多いのです。2014年ノーベル物理学賞を受賞した天野 浩さんも中学生時代にはJR2NHMというコールサインを持っておられました。アマチュア無線は人生を通じて楽しめる趣味です。ぜひ皆さんも免許を取得して下さい。

一般社団法人 日本アマチュア無線連盟 (←クリックできます)



2016年12月22日

太平洋戦争で使われたBC348J

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 戦争では技術開発がつきものです。世界で初めての実用的なコンピュータもその頃生まれました。手計算でやっていた微分方程式での解析など爆弾の軌跡を計算するためです。米国からいかにして遠くの標的に効率よく命中させたかったわけです。限りある予算ですから当然のことですね。そんな中、コンピュータは生まれました。しかし、当時のものは一部屋に収まりきれないほどの真空管とリレーの集まりを動作させるもので、騒音と熱がすごかったらしいです。とても今では考えられないサイズでした。
 通信機も同様のことが言えます。初めてのモールス通信が南北戦争前に成功し、米国は無線機の開発を盛んにし、陸上部隊では既にかなりの通信が可能だったようです。しかし、戦争で飛行機が使われるようになり搭載する無線機にも小型軽量化が迫られて来たわけです。この写真にある無線機は第2次世界大戦で日本の広島や長崎に原爆を投下したB29戦闘爆撃機が搭載していたもので、BC348Jという機種で比較的軽量の受信機です。戦争が終了して、払下げになり多くのアマチュア無線家もこの受信機で放送を楽しんでいたようです。音質も良くてNHK中波を長時間聞いていても疲れません。思えば子供のころ、真空管ラジオから流れるNHKの放送でニュースや娯楽番組を聞いて生活をしていました。ラジオを持つことがステータスでもあり、せっせと稼いではラジオを手に入れる時代でした。吉永小百合さんが出演していたNHKの連続小説「赤胴鈴の助」や老人に人気があった浪花節、それに「三つの歌」などが夕方になると真空管ラジオから流れて、じーっと耳をすませて聞いているわけです。真空管ラジオですから放送が無言になるときにはブーンというハムが聞こえてきました。誰も話をせずに終わりまで聞くわけです。当時としては、唯一の室内娯楽だったわけです。
 久し振りに、しまっていた348Jを出して電源を入れると問題なく世界中の放送が聞こえました。特に中国や北朝鮮の強力な局や台湾も聞こえます。多くの放送局がインターネットラジオに移り、電波での放送局も今では珍しくなりつつありますが、国の勢力を示すためにどこも活発にやっているわけです。もちろん日本の「ラジオジャパン」は世界でも人気があり、アフリカのガボンから大出力で世界中に発信しています。この348Jでも綺麗に受信出来て結構楽しめます。
 
 こんなラジオも何年も経つと別の価値が出てきますが、メンテナンスが大変です。特にコンデンサが使われているこの当時の機種ではそのことが関係して故障の原因となります。

2016年12月19日

1973年頃のトリオTS-900Sが懐かしい

TS900S-1.jpgのサムネール画像
TS900-5.jpgのサムネール画像
 昔からアマチュア無線を楽しんでおられる方々には、この機種ほど憧れのリグは無かったと思います。当時は、電離層の状態も良くて世界中のアマチュア無線電波が地球の周囲で活発でした。HF帯というアマチュア無線のバンド(周波数帯)を使用して、国内や海外と比較的簡単に交信出来た時代でした。そんな頃の無線機が、このトリオTS900Sでした。現在ではトリオのブランドは無くてケンウッドという当時使用されていた海外向けブランドに統一されています。アマチュア無線機の最高峰と騒がれて当時は南極昭和基地で運用されていた8J1RLでも使用されていたものです。終段(ファイナル)には4X150Aが使用されて球を直接冷却用ファンで冷やしており、ちょっとしたプロ用機種の様でした。それぞれの回路基板はプラグインユニットが使用されており、修理時において専用の基板を追加して簡単に調整などを行える。
 現在では、DSP技術も進み当時では考えられない優秀なリグが出回っていますが、今でもなぜか愛着が湧き、残しておきたいリグの一つです。アナログのダイヤルに表示されるオレンジのLEDも全体のデザインのバランスを整えている隠れた味に思えます。今では定期的に電源を入れダミーロードを繋いで電波を出していますが、おもにSWL(受信)で使用するようになっています。電源回路のコンデンサをリフレッシュするためのメンテナンスではありますがこれがまた楽しみでもあります。

 数枚の写真で示しましたが、とくにフィルター基板も、それぞれLSB,USB、CWと3個が最初から搭載されておりアマチュア機器としては珍しいものでした。柔らかく聞こえる音質が最近のリグとは違い長時間のSWLにも疲れを感じさせないような気がします。全体的にデザイン重視で開発されたらしく、一部の調整ツマミは後部パネルに配置されています。すこし全面パネルがすっきりし過ぎたようですが、これが何とも使い勝手が良いものです。


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2011年9月26日

限られた高周波エネルギを効率良く使用する

HC500-02.jpg  アマチュア無線では自分の所有するトランシーバーを使用して電波を発射することが可能です。このことは営利を目的とした放送局と同様の運用です。違いがあるとすれば趣味でそれを楽しむというわけで、技術的には放送局と変わりません。しかし、アマチュア無線にもレベルがあり小電力しか出せない局と小さな放送局と変わらない大出力の局が居ます。

しかし、送信機で作った高周波エネルギも効率良く放射しないとどれだけパワーを入れても妨害電波の根源になるだけです。普通アマチュア無線では、写真の様なアンテナカプラーを使用して電波をアンテナに送り出します。これをマッチング(整合)と言いますが、この機器の良否で電波の飛び具合に影響を与えるのでしっかりとした物を使用すべきです。アースをしっかりと取り、しかもSWR計を見て調整しながら使用するバンド周波数でアンテナに高周波エネルギをつぎ込みましょう。
HC500-03.jpg これは30年以上も前に購入した東京ハイパワー製のアンテナカプラーですが、しっかりした部品が使用されており安心して接続出来ました。前面パネルのダイヤルを交換してありますが、それには理由があります。もともとアンテナカプラーは電波を出しながら素早く調整する必要があるために2つのバリコンは軽く動くようになっております。しかし、この軸受に使用されている部分が玉軸受(ベアリング)タイプになっており熱で自然に回ってしまうのです。調整した最初はいいのですが熱が出てくると少しづつ微妙にズレます。

そこで思い切って、バーニヤダイヤルに変更して防止してあります。
少し手早く回す必要がありますが、目盛りが付いているので慣れてくるとバンドごとの校正表も作れて快適な運用が出来たものです。これも30年以上前のことですが、最近のリグでは全て内蔵した物が出回っており便利になりました。しかし今思えば、アンテナと送信機の整合が理解し易い時代でもありました。
撮影:TOMIOKA Takumi

キット製作が、いかに楽しいかを当時は皆んなが知っていた

doujiku2.JPG鉱石を小さな細いケースから取り出し、大きさを調整して再び中に入れる。使い古しの石鹸箱に配線し鉱石ラジオなるものを製作したことがある。当時は理論など全くなかったが雑誌「子供の科学」が教えてくれた。組立てや分解を繰り返しながら、部品の名称や実体配線図を覚えた。しかも、まったくあせりは無かった。当時は、何と言っても時間があった。こんなことでもしないと一日が退屈で仕方がなかったのである。昭和35年ごろの小学校時代のことである。近くに住んでおられたアマチュア無線家の家には、わけの判らない高級受信機「トム」が置いてありゆっくりとダイヤルを回したが、ほとんど何も聞こえて来なかった。
やがて、アマチュア無線という電波を出す趣味を知る。免許が無かったので当時は高一中2受信機の自作を目指したが、田舎だったために部品入手に1年半ほど経過した。いきなりトリオから「9R59」がキットで発売されたが¥15000ほどもする高価なキット製品で当時は子供の手に負えない品物であった。

doujiku3.jpgそこそこの給料から、米国ヒースキット製品を購入した。当時はソニーが代理店をやっていて、高価なものについては分厚い日本語の解説書と共にキット販売されていた。ヒースキットに目覚めたのはその頃であり、米国ハムがうらやましかった。ドルが360円固定の時代であったのでキットと言えどもかなりの小遣いをはたいて製作に取り組んだものである。ヒースキットの製品は素晴らしく、今思えば完璧なキットであり順番に組立てれば誰も同じ製品が完成することだ。もちろん半田付けの技量は関係するが、調整方法にも丁寧な解説を施し、ページ全てがわかりやすい図解入りである。


doujiku4.jpgここで紹介する、同軸切替器も市販品とは違った自作の良さが期待出来たし、30年以上も経った今でもピカピカで問題なく使用している。

2010年12月 6日

ハイパワーでのQSOは今風ではない

昔からアマチュア無線では珍しい局との交信を望む人が多く、無理をしてパワーを入れた送信機により競勝ちでのQSOをやる人がある。局免許で許可された以上のパワーを入れるのはもちろん違反行為であるが、それよりも終わってからの周囲からの眼は必ずしも好意的ではないはずである。近所にスプラッター(妨害電波)を撒き散らしても、それは本人だけの自己満足で終わる。

最近では、車社会にも環境を見直す意識が浸透して、皆さんがハイブリッド車や電気自動車を欲しがる時代がやって来た。各社が来年度にも電気自動車を販売する計画らしく、世の中益々クリーン化と省エネ化が進む。そんな中、アマチュア無線ばかりがいつまでも大きなエネルギを消費するのは如何なものかと思う。

そこで、アマチュア無線の無線工学で出てくるSWRを真剣に考えてみたい。
そもそもSWRに力を注いでおられるアマチュア局は意外と少なく、いざ相手局を見つけるとSWRにお構いなく呼んでしまうケースが少なくない。
小さなパワーで交信を楽しむことをQRPと呼ぶが、最近このQRPを意識したアマチュア局がどんどん増えている。もちろんCW(モールス信号を使う)による交信人気もこの現れである。アマチュア無線の醍醐味は、いかにして与えられたパワーを効率良く生かしながらアンテナに送り込むかの技術とも言われる。この事に徹すれば別の意味での面白味が味わえるばかりか、環境問題もクリア出来て一石二鳥なのである。

SWRとは定在波比のことを意味するが、実際には電圧からVSWRを使用しているので普通次の式が使われる。

特性インピーダンスが Z0 の伝送線路の両端に信号源と 負荷インピーダンスZ の負荷が接続されている場合を考える。このとき、負荷側の電圧定在波比VSWRは次の式で表される。

VSWR=\frac{1+|\rho |}{1-|\rho |}

\rho = \frac{Z-Z_0}{Z+Z_0}=\frac{V_2}{V_1}

ここで、V1は進行波の振幅電圧、V2は反射波の振幅電圧、ρは電圧反射係数である。 伝送線路の特性インピーダンスと負荷インピーダンスが一致した場合、すなわち Z0 = Z でVSWR=1となる。

難しいようであるが実際には便利な測定器を使用することで直接のVSWRを眼で確かめながら運用できるので、QSOではぜひ使いたいものである。


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米国ヒースキット社SWR計   所有:TOMIOKA Takumi

この写真は、米国ヒースキット社から当時発売されていたキット製品である。簡単な構造なのでキット組み立てにもあまり時間がかからなかった。(1981年ごろ)

2010年11月30日

モールス信号の持つ本当の意味

HW8.jpg  所有:TOMIOKA Takumi
ヒースキット「HW-8」CWトランシーバー
大きさ:横幅230mm高さ105mm

アマチュア無線の通信は今でこそ多種にわたり高度な通信方法が使用されるようになりました。考えてみれば、このようなデータ通信の始まりも結局はモールス信号の発展したものなのです。ご存知のようにモールス信号は、古代から通信手段として使用していた「手旗信号」や「発煙によるのろし信号」などをより確実なものとして南北戦争以前にモールス氏が発案したもので、トンという短点とツーという長点の組合せで構成されます。

言い換えれば、データ通信における2進数データのはじまりとも言えるわけです。この信号の特徴は、有か無かという単純なものを送信する簡単なものなので使用する機材も極めて単純な構成で済むわけです。しかも費用は安い。もし欠点を挙げるならば、操作する人にそれだけの能力が必要なことです。そのままでは音声も送ることが出来ないし、当然ですが画像も送ることは難しい。現在のように世の中全てが便利を感じたものには理解せよと言っても無理があるのは承知です。

HW8-2.jpgしかしこのことも、アマチュア無線のように趣味として通信を楽しみ製作実験を楽しむ人たちにとっては、ある意味自分の技術を挑戦する絶好の対象となるものです。モールス信号は単純な信号なので通信の最終手段として考えられるし、電話やコンピュータなどが使用できなくなる非常の事態には無くてはならない通信方法であり、世の中技術が進んでいるとはいえ、全て設備が関係し金額が張るものばかりで、現代人はこのことを少し忘れかけていないだろうか? いつまでも、高度な成長があるとも限らないし最悪の事態を考えた場合には、モールス信号ほど頼りになるものはないであろう。

ここに掲載したリグは、1980年ごろに製作した米国ヒースキット社の「HW-8」というモールス信号専用トランシーバーです。他の無線機に比較すると回路が単純なために小さな筐体に収められており、機能も簡単です。もちろんモールス信号の使用できるバンド(CWモード)しか電波は飛びませんし受信も出来ません。こういった機種はある意味入門機としてアマチュア無線愛好家には未だ根強い人気があり、モールス信号でしか通信をやらないファンも世界中には多く居られます。

モールス信号を使用する通信は電力(パワー)も最小で済み、電話と違って周囲に聞き取られる心配も少なくちょっとした気分を味わうことが出来るわけです。

モールス信号25文字を覚えて簡単な国家試験に合格することで、誰でも楽しむことが出来る究極の通信手段です。皆さんもぜひどうぞ。

 

 

2010年10月18日

ヒースキットの魅力

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所有:TOMIOKA Takumi

1981年ヒースキット社のカタログ

昭和52年(1977年)頃に組立てた無線機のキットの話しです。このメーカーの販売思想には最近の多くのメーカーが見習うべきことが沢山あります。

そもそもヒースキット社が設立されたのは1926年米国です。世界中がインフレと経済不安におののいていた頃でした。創立者であるエドワード・ヒースさんは自らの飛行経験と航空技術を駆使して世界で最初のキットによる単発飛行機を199ドルで売り出しました。彼はこのキットに「PARASOL」という名前を付けました。その後の1931年には新しい飛行機キットを売り出すために自ら試験中に不幸にも事故となり死亡してしまったのです。世界中の多くの人達にキット商品を愛用して頂くという彼の強い信念はその後若い技術者により受け継がれたわけです。若き技術者ハワード・アンソニーさんはすばらしい洞察力の持ち主であり、第2次世界大戦後にあり余った電気部品を買い集め、何とメールオーダーによるキット販売を開始したのでした。最初に販売したのはオシロスコープですが39ドル50セントという価格は信じられないほど安かったのです。

戦争により自分の趣味を楽しむ余裕がなくなっていた多くの人々には絶好の品物だったわけで、すぐに爆発的な人気となりました。しかも性能が良ったので多くのキットファンが生まれました。

その後も、アンソニーさんは次々と新しいキットを販売しました。「必要な部品と適切なマニュアルがあれば誰でも性能の良いものが出来る」というヒース社の信念が人気の秘密だと思います。

この説明書は、マイクロフォンを組立てた時のものですが、品物は米国エレクトロボイスです。細部にわたり判り易い図解入りであり半田こて経験がある人ならだれでも性能の良いものが出来上がったわけです。

このときに私は始めてエレクトロボイス社があることを知りました。最近では知らない人がいないほどですが。

heathkit02.jpgアマチュア無線機器での種類も豊富で、日本でも昭和52年ごろソニーが販売を開始しました。私もこの頃製作に熱中したものがあり徐々に紹介したいと思います。

2010年9月 8日

あこがれの通信型受信機 (トリオー9R59)

9R59-02.jpg所有:TOMIOKA Takumi

通信型受信機が欲しくて堪らなかった頃があります。中学生から高校の時代でした。その頃の子供の遊びといえば、きれいに手入れをしたボロ自転車を乗り回す程度しかなかったのです。 同じ頃始めたアマチュア無線の趣味は自転車とは違った楽しさがありました。 なかでも海外放送を聞いて放送局にレポートを出すと自宅に綺麗な「べリカード」が各放送局から送られて来るものでした。 当時は海外から郵便が届くことすら珍しかった時代だったので、そのべりカードが届くと本当に嬉しかったものです。


その時代に特に人気があった受信機が写真の9R59でした。 トリオ(現在のケンウッド)から発売されていたもので、 アマチュア無線では憧れの人気機種でした。定価で¥19800だったと思います。それも、完成品ではなく部品が詰められたキット形式での発売でした。私の場合には、これを手に入れることすら出来ず、結局、雑誌などを見ながら同様の回路図で自作したわけですが、周波数帯を変えるとコイルを差し替える必要がありました。(コイルパックは高かったのでプラグインボビン式のコイルを採用)今とは違い、各部品を手に集めるのにかなりの時間を費やすのが普通の時代です。

 

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2010年9月 4日

レピータのこと

アイコム社のホームペーには過去に活躍された先輩ハムたちの紹介があります。

その中でも、元JARL会長でありJARLの全てを知っておられる原さんのページには、日本でレピータが開始になった経緯など当時の日本のハム界についての説明があります。

http://www.icom.jp/beacon/backnumber/ham_life/hara/index.html

 今は古い話となりますが小渕元総理大臣のことです。知る人も多いと思いますが小渕内閣の閣僚には数人のアマチュア無線家が含まれていました。例えば、JA5FHB関谷建設大臣などです。関谷氏は現在も国会アマチュア無線クラブの会長であり、小渕さんと共に国会ハムクラブを立ち上げた一人です。当時の小渕総理は、アマチュア無線にとても熱心で遂には、国会の中に無線室を作りハムクラブを構成していました。その頃から、国会議員の中にも、アマチュア無線の存在が具体的になり、社会でのアマチュア無線での活躍が大きくマスコミなどで報じられるきっかけになったようです。

小渕元総理大臣の呼出符号はJI1KITでした。その他にも、小野清子参議院議員の7M3URUや中原 爽参議院議員のJA1BNB、中村正三郎(JI1LVO)さん、森下泰(JR3NVS)などの議員さんも当時のメンバーでした。
この年の11月に私は田中郵政省電波監理局長にレピータの早期実現を陳情するなど積極的に動いた。その結果、翌57年(1982年)1月に郵政省は各地方電波監理局に中継器設置許可の通達を出し、3月に第1号機がJARL本部事務所近くの分室(第2イソノビル)に開設された。
小渕さんが残してくれた業績として、レピータ許可があり現在何気なく使用しているアマチュア無線のレピータはこの時に要望して許可になりました。それまでは、政府はレピータのように中継器はプロ以外には許可されておらず、かなり政治的に勝ち取った経緯があります。
レピータはもともと、アマチュア無線専用衛星を日本でも打ち上げたいというJARLの要望から、当時の郵政大臣に働きかけたものでした。アマチュア衛星とは小さな中継器ですから、それ以前にどうしてもレピータ利用の許可を与えておかなけばならなかったわけです。こうして、JARLが管理するレピータが始めて許可になり法的にも改正が加えられたのです。東京巣鴨にあるJARLに設置された第1号のレピータ局JR1WAの受信周波数は434.92MHz、送信は439.92MHz、電波形式はF2・F3、出力10W。また、レピータ局の設置、運営については、JARLが設置・監理する「直轄局」と、団体が経費を負担し設備を連盟に無償貸与することを条件に連盟が開設する「団体局」の2種にわけることにし、全国の地方本部には「直轄局」が設けられました。一方、10月1日に第1回の「団体局」の受付を開始し、結果的に130局が承認された。「団体局」の第1号は福岡県甘木市に設置されたJR6WBであり、58年4月に運用を開始した。また、私たちが管理する「白子レピータ」も当時は439.60MHzにて開局しましたが、同じ周波数にある岡崎や美並村のレピータと競合したので、やむなく439.70MHzに変更したわけです。なお、現在は全国に約1650局以上のレピータが設置されているはずです。これも、小渕元総理大臣のお陰であり、私たちハムは故人に感謝する気持ちを忘れてはなりません。また、一人娘の優子さんも小さい頃にハムの免許を取得されており、お父様のアマチュア無線の熱心さは十分に理解されている現役議員です。

2010年4月28日

人気番組NHK「あさイチ」へ柳澤さん再び登場

 NHKの人気番組「あさいち」はベテラン有働由美子アナが務める朝の人気番組です。毎日テーマが変る視聴者参加型であり、リモコンのボタンを押して番組中のアンケートに回答することが出来ます。4月28日テーマは「手作り」でした。司会者3名で他に芸能人のイノッチと以前21時のNHKニュースキャスターを務めた柳澤さんです。この柳澤さんですが、湾岸戦争で現地から戦時中の様子をレポートしていた戦争レポーターです。アマチュア無線が趣味で当時は現地からアマチュア無線で日本と交信していたという噂も出ていました。柳澤さんは、JA7JJN 柳澤秀夫さんのことであり、この番組を担当することとなった折の司会者紹介でも「私の趣味はアマチュア無線です」と彼のシャックの紹介ビデオが数分間流れました。多くの人がアマチュア無線の存在を知った瞬間でした。その柳澤さんはニュースキャスター当時に病気でしばらく番組を離れていましたが、再び登場されて今もアマチュア無線にはまっている様子を番組で紹介しました。本人さんもオタクと言ってますから、そんな眼で見られているようです。

 この日、柳澤さんがはずかしそうに取り出したのは、何とパラボラアンテナ付の2.4ギガへのアップバータ送信機であった。アマチュア無線に親しみがある方々なら、これが何であるかは一目見て理解したはずだ。だが、全国放送である早朝のメイン番組にこのリグを紹介したのにはビックリした。

 引き続き、画面は柳澤さんのシャック(無線室)で交信を楽しむ姿を映し出したのである。まさに周囲のゲストからは柳澤さんが相当のマニアに思えたに違いありません。それでも我々アマチュア無線を楽しむ者にとっては願ってもない効果に期待しました。この番組を見て、少なからずアマチュア無線という世界を垣間見ることが出来た人も多かったはずであろう。柳澤さんありがとう。

2007年5月30日

ハムが交わす「73」の由来

これはアマチュア無線家しか分からないかも知れませんが、アマチュア無線の交信の最後にほとんどの人達が「ベストセブンティスリーさよなら」という挨拶で交信を終了します.話は少しそれますが,最近発売されたソフトバンクの携帯電話の機種に「ノキアN73」というのがあります.おそらくこの機番もノキアの社長の意向だと思いますがその辺は次回の記事とします。ここでは「73」の出所を書きたいと思います.アマチュア無線用語には「59」や「88」など数字を使用したものがよくありますが今回は一番分かりにくい「73」に絞ります.

私が中学校の頃の話です.その頃の科学雑誌といえば「初歩のラジオ」や「子供の科学」が子供たちには人気がありました.当時,すでにアマチュア無線を楽しんでいた私にはいつも「子供の科学」を見るのが楽しみでした.今は記憶が薄くなりましたが,この「73」のことだけは印象に残っております.なぜならば、そのページにはその意味を表すイラストが描かれていたからです.そのイラストとは,ちょうど南北戦争において一人の兵士が鉄砲を片手に死んでいく象徴的なものでした.そのイラストの中に,「73」「73」・・・・と記入されていたわけです.当然,そのページは当時の雑誌の特集で「アマチュア無線」を取り上げたものでした.そこには,こんな紹介記事がありました.

その兵士は ,南北戦争に参加していた無線通信担当の兵士で,「73」は当時の戦争における兵士が使用するコード番号だったわけです.すなわち,自分が相手にやられてしまった時には,モールス信号でこの「73」を連打し,自分の状況を仲間に知らせる約束事として使われていた番号だったわけです.その南北戦争では,他にも色々なコード番号があり,特に通信兵の間では常識的なものだったわけです.中学生の時代には,あまり難しく考えずに気にすることも無く読んでいましたが,あれから何十年かが過ぎていますが,最近になり私が購入したソフトバンクから出ているノキア製のN73を見て当時のことを再び思い起こしてしまったようです.

なぜノキア製の携帯電話にこの機番が使用されているかは,また別の機会に書こうと思います.

2007年5月28日

健康的なアマチュア無線

アマチュア無線の楽しみ方にも色々なジャンルがあります.例えば家の中に居ながら見知らぬ外国の人と話したり、あるいは外国でなくとも趣味を同じとする近県の人と長話で時間を過ごすなど人それぞれです.昔からアマチュア無線は趣味の王様と言われ、外国などではステータスの1つとして通用していたほどです.それほど、楽しむには技術とお金が必要だったわけです.ところが日本ではどういうわけか比較的年齢が低い方々にもそれが広がり現在のアマチュア無線社会が出来てしまったのです.それをターゲットとした商法が盛んになり,今日では世界のトップメーカーと言えばほとんど日本のメーカーが占めているほどです.

良いか悪いかは別として,アマチュア無線にも最近になりコンピュータがミックスされ,電波を使わない交信方法も多々開発されて,徐々にその愛用者数を増やしております.要するに,昔と違い自作の無線機で実験的に試しながら交信するというようなスタイルでは無くなってきたということです.しかし,どれをとっても室内で寂しく一人でコトコトと趣味を楽しむには変わりありません.そこで推奨したいのは,年に数回でもいいのでアマチュア無線を野外で楽しむことです.

今の時期が年中で最もその効果が大です.新緑のころ若葉が芽を吹きながら、威勢良く酸素を吐き出しています.その中でアマチュア無線で楽しめる健康的な遊びにフォックスハンティングという競技があります.この競技はアマチュア無線では古くから楽しまれている競技であり,フォックスと呼ばれる小電力発信器を林の中に隠し,皆んなで探し当てるもので,探し出すまでの時間も競技対象になるので結構あせり感が出て、ちょっとしたスポーツです.また,同時に,隠された場所を探し出すには受信機のアンテナに工夫を加えたり,アンテナを回したりで頭を使って推理しなければなりません.これぞ知的スポーツゲームです.

受信のみであり,アマチュア無線の免許などは要らず,例えば大会によってはFMラジオで参加することも可能です.もっと詳しく調べるには

http://www.jarl.or.jp/Japanese/6_Hajimeyo/6-1-ta-2.htm

です。

一度のぞいて下さい。他にもアマチュア無線の記事が一杯です。

2006年7月 1日

海外放送を受信しよう

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JRC製NRD515通信形受信機

アマチュア無線の免許を取得する以前の、小学校当時、短波放送を聞きながら競馬に熱中したことがありました。もちろん小学生ですから競馬のシステムなど知るはずがありません。それでも、初めて手にしたナショナルの2バンドラジオで日本短波放送を聞いていたのを覚えています。日本短波放送とは今のラジオ短波(最近になりラジオ日経になりました)ですね。短波のことを知らない方のために、少し解説しますね。


海外短波放送というのは、世界各国が自国のPRや政治的な思想を拡げるために放送しているもので、日本も「ラジオジャパン」が有名です。ラジオジャパンはアフリカのガボン中継所から強力な電波を発信しているので世界中で聞くことが出来ます。 しかし、これも時間帯により聞こえ方が異なります。そのわけは、アフリカから飛ばされた電波は宇宙にある電離層と呼ばれるベールと地球表面の間で何回も反射して地球をグルグル廻ります。例えば、一番早く地球の表面に届いた場所と次に届いた場所は断続的になり、日本では良く聞こえるが韓国では聞こえないという現象が起こります。そのために、少し聞こえ方に強弱があり慣れないと聞きにくいことがあります。
しかし、このことは海外放送を受信する人たちにはかえって魅力になることがあります。この現象をうまく使って海外放送をたくさん聴く競争などをします。SWL(ショートウェーブリスナー)やBCL(ブロードキャスティングリスナー)と呼ばれるのはそんな人たちです。私も、長く海外放送を楽しんできましたが、最近は日本語で放送している局が少なくなり疲れます。昔は、アメリカ・英国・ドイツ・オーストラリア・中国・フィリピン・ハワイ・エクアドル・南アフリカ・バチカン市国・ロシア・台湾・マレーシアなどが日本語の放送をしていて、多くの言語に入り混じって日本語が浮び上がってきたものでした。では、どんなラジオが必要かということですが、上の写真は昔から愛用している私の受信機です。でも今はこれに匹敵するほどの感度と了解度で世界中の主な放送局を聞く方法があります。そう、インターネット利用です。今は、ほとんどの放送局がインターネットで流しています。これをうまく使えば、コンピュータで年がら年中混信無く海外からの放送を楽しむことが可能になりました。しかもFM放送のように安定して聴くことが可能ですよ。
興味がある人は、例えば
http://www.bbc.co.uk/worldservice/japanese/
にアクセスしてみてはどうでしょう。
あるいは、アマチュア無線やアマチュア衛星のことなら
http://www.jarl.or.jp/
も楽しい記事がいっぱいです。一度は挑戦して暑い夏の夜を乗り切りたいもですね。

2006年5月28日

あまり知られていない嶋正利さん

私たちが日常何気なく使っているパソコンですが、誰が作ったか知る人は少ないのです。・・・・・そうです。最近IPODで注目され人気があるアップルコンピュータの創始者であるウォズニアックです。彼らは世界で最初にパーソナルコンピュータという用語を使用しました。ところが、彼らのパソコンもまだまだ原点があったわけです。話は長くなりますが、ICの製造メーカーである米国のインテルはよく知られていますが、当時はまだ中小企業であり、数少ない優秀な技術者の集まりだった頃のことです。当時の日本のIC製造技術は未熟で全てアメリカに頼っていることが常だったわけです。そのインテルに電卓の回路設計図を持ってIC注文した会社がありました。日本ビジコン社という特殊な電卓を販売していた会社でした。その中の設計者の一人にこのアマチュア無線家(JA2BDZ)である嶋正利さんがいたのです。彼は静岡の出身であり、静岡高校を経て東北大学の理学部化学科に進みました。当時の就職は大変であったために思うようにいかず、チャンスを待っていたところに大学の卒研の先生から声がかかり、電卓会社に入社しました。化学系の学生なので写真エッチングが重要となるIC製造には関係が深い技術だったわけです。

その会社で開発した回路設計図のアイディアには世界で始めて先進的な技術の元が盛り込まれていたわけです。本人たちはそんなに重要性を認識していなかったようですが、インテルの主任技師であるホフがその発想にヒントを見出し、共同研究となったわけです。世界で始めての小さなコンピュータチップ4004の誕生でした。早速1970年に、米国の電気学会であるIEEE(アイトリプルイーと読む)でこの技術を発表しましたが、当時の産業界の反応は冷やかなものでした。その理由は、コンピュータとしてはあまりにも機能がみじめで、実用化すら危ぶまれ、単に趣味の世界しか期待されていなかったわけです。インテルの技術屋はまったく違いました。それもそのはず、インテルという会社は私が調べた範囲ではびっくりするほどの人材が揃っていたわけです。早く言えば、トランジスタを発明したショックレーが率いる米国ベル研究所(ベル研)の技術者たちが作ったフェアチャイルド社やその関係者が立ち上げた会社だったのです。このことは、単に人数ではなくて、本当に頭のいい優秀な技術屋が数人いる会社の方が将来性があるという良い例です。

1970年に嶋さんとホフの二人で学会発表した論文は徐々にアマチュア無線家たちにより実験されてハムの間で話題となり、このCPUを利用した記事が次々と雑誌に掲載され、やがて他のICメーカーもこれに追従しました。肝心の特許は、インテルが持っていたので使用できず、他の考え方で生まれたのが、モトローラ社の6800やモステクノロジーの6502だったわけです。特に6502マイクロプロセッサは直ぐにワォズニアックとスティーブの二人によりコンピュータ「アップル?」に載せられました。これがアップルコンピュータ社の誕生でした。あまり長くなるので、また次回にしますが、ここでは、嶋さんがアマチュア無線家であったことは覚えてください。
参考文献として、嶋さんの母校である静岡高校時代の紹介記事のサイトを示しておきます。嶋 正利さんのことがよくわかるサイトです.

参考記事:https://www.weblio.jp/content/%E5%B6%8B%E6%AD%A3%E5%88%A9