2017年6月 6日

タイガー計算機が懐かしい

JR九州の湯布院駅を降りると正面には由布岳が見える。両サイドに商店街がある通りを15分ほどまっすぐに進むと観光客で賑わう場所がある。右折してほぼ突き当たる場所に「湯布院昭和村」という施設があり入場料¥500で結構楽しめる。中にはどの部屋にもギッシリと昭和の懐かしい品が展示されており、どれを取っても当時の人気商品である。よくもここまで収集出来たものだと感心した。小物から巨大な鉄人28号人形、映画館の懐かしい看板など全てが本物らしい。私が興味を持ったのは写真の手回し計算機である。確か2つのメーカーが競い合っていてタイガー計算機と日本計算機だったと記憶している。若い時には両機種とも使用していたが、この場所で再び出合って懐かしく眺めた。
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ずっしりと重く金属製であり歯車の塊であった。有効桁数の多い計算にはこれしか手がなかったのである。ざっくりとした計算結果で満足された当時の機械工学ではせいぜい計算尺といわれるヘンミ製のものが使用されていた。もちろん一般では電卓や計算機など存在していなかった時代である。
物理計算などは、これが無いと手計算で有効数字8ケタほどまで紙で書いたものである。
この計算機のお蔭で報告書作成には時間短縮されたので誰もが欲しがったが当時の価格で10万円弱はした記憶がある。今や電卓が100円で買える時代である。品物の価値観が狂って来ている時代だからこそ大切にしたい昭和の一品である。

2017年1月15日

Power Book 170 の魅力

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 アップルコンピュータを初めて手にしたのは1980年ごろだったと思います。当時は仕事で使っていた1台があり、その魅力にすっかりのめり込んだものでした。平行して使っていたのがNECから発売されていたTK80キットでした。そして個人で購入したアップル2eですが確か48万円ほどで本体を手に入れた記憶があります。その時の搭載メモリは32Kバイトで今考えるとICメモリは宝石のような存在だったわけです。
 やがて、マッキントッシュ時代がやってきて世のコンピュータは小型化の競争が始まりました。そこでやって来たのが1991年に発売となった写真のパワーブック170で価格は80万円ほどで売り出されアップルファンとしては誰もが憧れる機種の1台でした。

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 魅力の1つはCPU性能で、140の16MHzに対して25MHzで動作する68030を採用し、しかもFPU(浮動小数点演算装置)を標準装備していて68030搭載モデルとしては、デスクトップ型と比べても決して引けを取らないスペックでした。もう1つは、内蔵液晶モニターの品質が同時に発売された3モデルのPowerBookの中で、170だけがアクティブマトリクス方式の液晶パネルを採用していたのです。当時、私は145Bを少し我慢しながら使用していたものです。解像度は同じ640×400ドットでモノクロという点は変わらないものですが、表示品質はひと目見て違いがわかるほど優れていました。これはパッシブマトリクス方式のように縦横にスキャンを繰り返して画像を形成するのではなく、1ピクセルごとに1つのトランジスターを使ってドットのオン/オフを制御するもので、コントラストの高い非常にクリアな表示を実現していたのです。日中外での使用もコントラストがクリアで抜群の使用感だったように記憶しています。

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 年が明けて、昔使用していた170をみたら電源が入らなくがっかりですが一度ゆっくりと修理してみようと思っています。最後の写真は、当時のマックではおなじみの3.5インチのフロッピーDISKドライブです。このドライブは最初のマックを発売するに当たりソニーが開発したもので、これをきっかけに世界中で採用されました。

2016年12月25日

それはシリコンバレーから始まった

 まだ戦争中だった米国の話です。西海岸には戦争に関係した政府の会社や中小企業がひしめき合い活況でした。アメリカが強かったのもこの地で製造された優秀な飛行機にも関係があるはずです。今でもシアトルなどを拠点とした航空会社や通信機器などを製造するメーカーが乱立しており、有名なボーイング社やロッキード社、また後に、ベル研究所なども西海岸にでき、電話機を発明したのもベル研究所だったわけです。
 やがて太平洋戦争も終り、各社はこの地で新しい産業を求める努力をしました。政府も、これらの企業を心配し、多くの研究所を支援したわけです。そんな環境の中で、カリフォルニアで育った子供や若者は機材の払い下げ品やスクラップを集めて楽しんでいたわけです。よく知られていることですが、世界で初めてダイオードを発明した日本の江崎玲於奈さんやトランジスタを発明したショックレーなどもベル研究所で研究成果を世に発表して、後にノーベル賞を受賞しています。
 また、サンフランシスコの近くには工学で有名なスタンフォード大学もあり、この地域には研究開発の地盤が整っていたわけですね。その頃に育った若者は、多くが起業したりして現在では大企業となっている「HP」や「アップルコンピュータ」があります。HP(ヒューレットアンドパッカード)を立ち上げた2名の技術者(ヒューレットさんとパッカードさん)も当時はスタンフォード大学の学生であり色々なアルバイトをしながら二人で起業したわけです。その頃に西海岸で盛んだった映画産業の大手であるデズニ‐社から映画館用大型アンプの製作依頼があり、それが軌道に乗り、のちには計測器の専門メーカーとして確立されました。今ではパソコンメーカーでも有名ですが、世界で最初に開発したインクジェットプリンターは私のお気に入りで非常に良くできた製品で故障は皆無でした。

 やがて、当時のアメリカ政府が打ち出した経済計画で、この地区はシリコンバレーと名付けられ半導体開発の拠点となり、しだいに多くの中小企業が集まり始めたわけです。いわゆる工業団地の始まりです。シリコンバレーという地名は、ここカリフォルニア州サンタクララ郡のこの地区は海岸近くで谷の形状の地形から名付けられたようで、もちろんシリコンは半導体の原料です。
 
 その中には、世界で初めてマイクロコンピュータを開発した「インテル社」もあり、半導体界はこの工業団地を目指せという風潮が一気に高まり、シリコンバレーは誰しもが知る有名な地名となります。当時のアメリカは東海岸は政治経済と教育の町、また西海岸は田舎であり温かい気候に恵まれた農業地帯というイメージがありました。その中間にあるロッキー山脈を中心とした地区は西部劇映画の撮影地となり、コロラド州などは典型的な西部劇の町でした。今では、アメリカ空軍の町ですが。
 
 話は少し外れますが、元々アメリカは移民の国で、原住民たちが所有していた土地を移民した人たちが彼らを上手くだまして安く買い入れていったようです。アメリカは元々「コロンビア」と呼ばれておりました。ニューヨーク州のマンハッタン島は原住民をだまして当時100ドルで購入したという話もあります。今でも米国はコロンビアという名称が多くで使われており、南米のコロンビアは米国白人の避暑地として開発されたのです。
 
 半導体のメッカであるシリコンバレーには今でも大手のコンピュータ企業が集まり常に世界から注目の集まる場所になりました。・・・・・・アップルコンピュータについての、興味ある話をまたの機会に書くことにします。アップルコンピュータには当時から全ての技術開発を担当していたアマチュア無線家が居ます。もし彼が居なかったら全てのアップル製品は存在しなかったのです。ガレージハウスから始まり超大企業へ成長できる米国の自由主義には感服です。

2010年11月28日

nibbleとはデータ長さの単位です

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所有:TOMIOKA Takumi
1990年5月号(アップルファン雑誌)

米国のコンピュータ雑誌にはbyteという有名なものがあります。バイトはコンピュータの世界では常に使用されている容量を表す単位なので誰もが耳にしていることでしょう。ところが、この雑誌の書名であるnibbleはあまり知られていません。実はこれも同様に単位なのです。

コンピュータで2進数を表示する意味を表すのにビットという単位を使用します。ビットとはbinary digit の省略したものでbitという単位が生まれたのです。すなわち、一桁の2進数(0か1)を使って数値を表現するという考え方です。当然、一桁では足りなくなるので次々と桁が上がります。どんどん上がって4桁まで行ったとします。この4桁で一つの命令機能を持たせたコンピュータが世界で最初に開発された4ビットマイクロコンピュータでした。当時使われていた大きなコンピュータとは異なり、小さな集積回路で構成された物で米国のインテル社が最初に開発と発売をしました。4ビットコンピュータでは命令も全て4ビットデータ(2進数4桁)を使用していたのです。このデータの長さをnibbleと呼んで、「これは24ニブルのプログラムです。」と話をしたものです。ところが、この4ビットマイクロコンピュータの時代は直ぐに終わり、まもなく各社から8ビットマイクロコンピュータが開発されたわけです。8ビットコンピュータでは1つの命令データはバイトと呼ばれ、例えば8ビット命令を扱うマイクロコンピュータのことを当時はバイトマシンとも雑誌に紹介され一般的な呼び方だったわけです。

この頃には、インテル社の8008だけでなく米国モトローラ社の6800や米国モステクノロジー6502などが開発され、どれもが一番を競い合ったわけです。インテル社8008は後にペンティアムという名称となり、6800はIBMと共同開発で後にパワーPCと変化してきたわけです。

もちろんこの時代の変化にも大いにアマチュア無線家が関係します。
インテル社で4004という世界最初のマイクロコンピュータを開発したのは日本の嶋正利さんです。この方は2エリア静岡県の出身であり日本のアマチュア無線家です。このブログでも紹介しているので参考にして下さい。

http://mhv.jp/2006/05/post-32.html

また、6502を使用した世界で最初のパーソナルコンピュータ(この名称は米国アップル社が販売用に使用したのが最初)は米国アップル社のウォズ二アックさんが開発して一気に一般人にもコンピュータ利用が拡大されたわけです。彼は生粋のアマチュア無線家であり、彼が出版した「アップルを創った怪物」には少年時代にアマチュア無線に熱中していたことがかなりのページを割いて紹介してあります。

その後に彼は、皆さんご存知の最新型携帯電話である「アイフォン」を開発しています。
また機会があれば、この書籍の中身を抜粋してここで紹介してみたいと思います。

2010年9月25日

altair8800とビルゲーツさん

altair01.jpg撮影:TOMIOKA Takumi

コンピュータを動作させるには数字の0と1からなる2進数が並んだ命令を一個づつ電気信号(パルス信号)に変換させる必要があります。でも、コンピュータには瞬時にして解読可能な2進数の羅列データも人間が書くとなるととても大変です。しかも当初は4ビット(2進数が4個の組み合わせデータ)で動く簡単なコンピュータでしたから問題はなかったのですが、だんだんとビット数の大きなコンピュータとなり人間の力では不可能になって来たわけです。そこで、もう少し人間が理解し易い命令で動かないものかと、その変換器の要望が強くなったわけです。
その変換こそ、私たちが言う言語なのです。言語には目的に応じて様々な名称のものが開発されました。なかでも初心者用として当時に人気があったBASIC言語は大型コンピュータやミニコンでは当たり前で、何とかマイクロコンピュータレベルにも使用出来ないかというわけです。

言語を使用してコンピュータが理解できる方式には2つあって、一つはコンパイラ方式もう一つはインタプリタ方式です。このインタープリタ方式で2進数に変換する変換ソフトは実にアマチュア的な考え方で独特のものだったわけです。

altair02.jpg子供の頃からアマチュア無線などを楽しみながらコンピュータにも明るい米国の実業家がいます。大富豪のビルゲーツさんです。高校時代に友人と2人でマイクロソフト社を立ち上げた起業家であり経営能力と技術者能力の両方を備えた数少ない人だと思います。時代は違いますが、ちょうどHP社を設立したヒューレットさんとパッカードさんのコンビと似ています。そのビルゲーツさんは、このインタプリタ方式で動作させる翻訳ソフトを開発して紙テープで販売をしたのでした。当時はアマチュアには紙テープが常識であり米国のASR33がアマチュア無線の間でもかなり使用されていました。とは言っても、そうたいしたことでは無く高級言語としてのBASICのにある代表的な命令のみで構成したTINY BASICというものでした。容量は4Kバイト(1バイトは半角1文字に相当するデータ)でした。これは当時人気があったアルティア8800(写真のもの)には願っても無い楽チンテープであり皆んなが待ち焦がれた商品であったわけです。 その altair03.jpgアルティア8800は米国のMITS社が販売していたもので、この機種は米国の多くのアマチュア無線愛好家には定番のものでした。モールス信号をテレタイプで送信するには欠かせないもので、その記事は当時のコンピュータ雑誌BYTEに紹介されております。そんなこともあり、彼はMITS社への売り込みに成功したわけです。ご存知の方もあると思いますが、当時のコンピュータは最初メモリ(記憶部分)にデータを入れないと全く反応が無いわけで、テープにあけられた8個が1組の穴データを読み取り装置で読み取ったのちに、コンピュータがそのプログラムにスタート信号を送って初めて動き出すわけです。どうやら彼は売込み契約を成立させてから開発に専念したという噂もあるようです。この写真のコンピュータは先日久し振りに火を入れましたが問題なくファンも大きな音を立てて動作しました。

altair04.jpgこのコンピュータは1974年に発売されてキットによるものでした。実に35年前の製品です。テレタイプ社のASR33も保有していましたが、さすが場所を取るので廃棄しました。説明書だけは原本を残しています。さらに詳しくこのコンピュータについて知りたければ下記のサイトに掲載されていますので参考にして下さい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Altair_8800

今年の3月に仕事の関係でビルゲーツさんと親しい方にお会いして、日本のパソコン創世期の話を約3時間に渡りお聞きしましたので機会を見つけてここで書きたいと思っております。

2007年6月10日

世界で始めてインクジェットプリンタを開発したHP社

今や世界の誰しもが知っている米国のプリンタメーカーであるHP社の話です。

HP社の以前の社名は「ヒューレットアンドパッカード」といいます。
すなわち、二人のアメリカ人技術者であるヒューレットさんとパッカードさんの二人が立ち上げた会社で、場所は今のシリコンバレーにありました。現在はシリコンバレーですが最初は名前が無く、カリフォルニア州サンタクララ郡パロアルトという地名で呼んでいました。サンフランシスコ湾の奥まった場所で湾近くまで山がせまり、まるで谷(バレー)のようになった地形です。ここは1950年代中頃まではブドウ畑に覆われた農業地区でした。

その頃の若き優秀な学生たちは地元のスタンフォード大学を卒業すると、一度は田舎から離れて東部の有名な会社に憧れ就職をしました。それほど当時の若者には東海岸は人気でした。そんなわけで成績の良い学生はほとんどが一度は東での就職を経験したのです。他の学生と同様にして一度は東海岸に憧れ出た二人ですが恩師からの依頼もあり故郷パロアルトに戻ってきました。そこで大学からのサポートを受けながら多くの試作品を製作してたわけです。このころに製作したステレオアンプ用の低周波発信器がウォルトディズニーの目に留まり、すぐに映画会社から8台の注文が突然舞い込んだというわけです。当時すでにカリフォルニア全域は映画産業が盛んであり、この低周波発信器もディズニーが制作した映画「ファンタジア」に使用されました。このようにして1939年1月1日この地にガレージ風の建物を使った小さな会社を立ち上げたのでした。その後もヒューレットアンドパッカード社は衝撃的な発展を続け、計測器トップメーカーとして今日あるように世界的な企業になったわけです。私も何台かの計測器を使っていますが、どれも非常に高価であるけど、設計がしっかりしていて使いやすいのが特徴です。データ通信の初期に採用定番となった「HPーIB(GP-IB)」という規格は今でもデータ通信の基礎理論として技術屋の間では有名です。

やがて第二次世界大戦が終了し、このバレーにも工業化が押し寄せました。戦争中に戦闘機などを製造していた航空機技術を生かそうと徐々にこの地区に集まりだしたのでした。はっきりしたことは分かりませんが当時米国政府の方針でアメリカはここを工業団地として使用するように決めたのでしょう。山を切り開き電子関係の会社の誘致に乗り出したのです。そこへやって来たのが戦闘機で有名なロッキード社でした。ロッキード社は米国トップクラスの航空機メーカーだったので工場周辺にはみるみるうちに関連のエレクトロニクス会社が30社ほど集まってきたのです。航空機にはそれほど電子機器が付き物なのです。<br />また、当時エレクトロニクスと言えば米国東部地区と決まっていたわけですから、この航空機産業のおかげで一気に西海岸にも火がついたわけです。

そこへ追い風となる衝撃的なことが起こります。学生時代をカリフォルニア工科大学で過ごした一人の物理学者「ウィリアム・ショックレー」が1955年にこのカリフォルニアのバレーに帰って来たのでした。その翌年にショックレーはトランジスタの発明でノーベル物理学賞を受賞したのです。このようにして、若き技術者を初めとする多くのエレクトロニクスに関係した人達で町が出来上がり、その頃から皆はなぜかこの地区を「シリコンバレー」と名付けたわけです。もちろんシリコンは半導体に使用する原料のことです。

この話は、長くなるので今後の流れを先に列挙します。

1)シリコンバレーに半導体製造会社が集まってきた
2)なぜ小さな町工場が世界一のインテル社となり得たか
3)初めて開発されたHP社のインクジェット技術は半導体技術の派生で生まれた
4)アップル社がシリコンバレーで生れたのには理由がある
5)最初のテレビゲームはアタリ社の「ポン」でした
6)パーソナルコンピュータの歴史はアップル社から始まった

と続く予定です。