「美山つづら弁当」は変わらない叶匠寿庵の定番
京都「哲学の道」を歩いて一服するには最高の「叶匠寿庵京都茶室棟」
撮影:TOMIOKA Takumi(2008/03/29)美山弁当
滋賀の和菓子屋が京都で店を出すには相当な苦労があったようである。
もともと、叶匠寿庵の創始者(先代)は滋賀県の外勤務の警官だったようである。それは昭和20年頃のことで、その後に、どうも警察官らしくないと判断され大津市役所の公務員に回されたらしい。以下、参考文献からの紹介記事である。
市役所では、観光課の係長を経て定年退職の3ヶ月前に菓子屋を始めた。(昭和39年9月創業)その後30数年で年商50億円に成長するが、これは「神話」として今に伝えられている。当時は「みちしるべ」という菓子で、こだわりの高級あずきを使っていた。このことが評判になり、ある時、ベンツに乗って1万円のお菓子を買いにくる人がいた。一ヶ月後、女性2人がベンツで来て、菓子1万円を注文していった。それは松下幸之助の奥さんと正田美智子さん(現在の皇后陛下)のお母様で、何でも、持ち回りでお菓子を買っているとのことだった。
その後、阪急デパートから出店依頼があり、一旦断ったが4年後に出店、高島屋、三越などへも出店の運びとなったらしい。当時は、三井寺というところに本社と製造部門があったが、手狭となり坂本というところに第2工場が作られた。しかし、交通渋滞で納品が間に合わないことが多くなったので、別の土地を探したがなかなか見当たらず、その当時の滋賀県知事である武村知事(のちに総理大臣)に相談したところ、昭和57年8月に、63,000坪の現在のここの土地を紹介され、58年7月1日に買収交渉が終わったようである。(ここまで参考文献から)
この土地こそ、滋賀県大津市大石にある「寿長生の郷」(すないのさと)であり、日本でも有数の和菓子工場である。もちろん、食事も出来るし、気の利いた茶室もある。徹底した和文化を追求した美の空間とも言える。駐車場を降りると、そこからはアスファルトも一切無く、砂利が引き詰められており、山全体に広がる小道の傍には、四季折々に異なる樹木が咲き、昔に逆戻りする気持ちが押し寄せる。そのころ私が訪れた時にも、先代さんが丁寧に、ゆっくりと「寿長生の郷」への思いを力説して頂いたことがある。カメラで撮影する私に一枚一枚の撮影で丁寧に被写体について語り、ご自分のコレクションでもある置かれた物や植物に時間を忘れて説明をして頂いたことが印象深い。
この写真は、哲学の道にある「叶匠寿庵京都茶室棟」で頂いた「つづら弁当」である。予約が必要ではあるが、一日前にでも予約すれば受けてくれるので必ず行ける方は予約をされるほうがよい。食材にもこだわりがあるが、何と言っても食器には、ここ独自のセンスが伺える。配色にも気使いが伝わってくるので、単にカメラのシャッターボタンを軽く押すだけで難なく食欲をそそる弁当を写し込むことが出来た。
叶匠寿庵京都茶室棟
京都市左京区若王寺2丁目1番地
営業時間 10:00?17:00 定休日 水曜日