2011年9月21日

オリンパスの名を広めたPEN

pen03-small.jpg東京に戦前からあった高千穂製作所は当時は顕微鏡などを製作する光学機器メーカーであったが、ズイコーレンズと名付けられた高解像度レンズをマミヤシックスなどに提供するようになり、カメラ界でも知れ渡っていった。のちにギリシャ神話からヒントを得たオリンパスが社名に採用されて今に至っている。

太平洋戦争後の日本はカメラ戦国時代と言われ多くの国産品としてヨーロッパのカメラを模索した多機種が発売されていた。それらは戦争により技術を磨き上げた会社も多かった。
オリンパス工業がその社名を一気に高めたのは、何と言ってもPENである。香川県の田舎から東京の早稲田大学機械工学科に進んだ米谷美久(まいたによしひさ)さんは熱心なカメラマニアであった。当時は高価で手が出なかったはずのライカを若い時に使うほどのカメラ好きであり金銭的にも余裕があった。カメラ会社であるオリンパス工業に進み、すぐに上司から課題を与えられた。誰もが手軽に使用できて安いカメラという課題条件は厳しかったが何とか克服して生まれたのが1959年発売のオリンパスPENである。

pen01-small.jpgこのカメラには、当時のカメラには無かった画期的な機能が備わっていたのである。
ひとつはフィルムを半分にして撮影するハーフサイズという発想である。当時の35mmカメラのサイズは幅35mmフィルムに合わせて撮影枠は横36mm縦24mmであった。その半分のサイズにしてやればフィルムを半額で使える(当時はフィルムと現像代も馬鹿にならない時代)。誰もが考えつかなかったアイディアである。しかし、このサイズを採用するには、レンズの性能が重要であったが幸いとオリンパスカメラはシャープな切れ味で定評あるズイコーレンズを使っており、彼はさらにこれを解像度の上がるテッサータイプで構成した。こうすれば何とかハーフサイズでもフルサイズに対抗できる。
さらに、フィルム巻上げ機構であった。当時の35mmカメラは大きなレバーで巻き上げる方式を採用していたので機構的にも歯車が多く必要で、ボディへの収まりも悪かった。米谷さんは親指の腹で巻き上げる方式でほとんど目立たないものを考案した。しかも安価である。
このことが見事に的中して翌年にはオリンパスPENーSを発売した。この写真は当時発売されたものであり、今でも問題なくシャッターが軽く切れる。レンズシャッターなのでシャッター音もほとんど無くスナップには快適である。

pen02-small.jpgのちになり、米谷さんはオリンパスカメラを絶対的なものとした、一眼レフカメラOM-1を開発している。このカメラにも米谷さんの拘り機構が随所に採用されて興味深い。もちろん当時発売されていた一眼レフカメラに比較すると2割ほど小さく感じられたし軽かったものである。手持ちの箱から探し出し手入れが済んで時間があれば、いずれここで紹介したい。
撮影:TOMIOKA Takumi