ニコンFというフィルムカメラは驚くほど長い歴史があり、現在でも憧れるマニアが多いことで知られる。ニコンは第2次世界大戦当時に軍へ収める光学機器で有名となり、当時から他社の製品とは違っていた。特に光学レンズでは定評がある。当時私が大井製作所で見学の時に炉から出したガラスの塊を徐冷する場面で説明を受けた時に、その評価にも納得できたことを覚えている。
今は簡単にコンピュータ制御で温度管理も自由であるが当時の苦労はよく分かる。
ではなぜ当時のニコンが人気があるのか?
一つは生産台数が少なく、半手作りというか最終調整は全て1台づつ人間の感覚によるものであった。
人間工学も無視され、当時の亀倉雄策さんのデザインを優先し外観重視の設計である。
亀倉雄策さんのでデザインした物には当時の東京オリンピックのロゴやNTTやNHK、TDKのロゴなど数え切れない。しかし、もし、ニコンFの頭にぶつかったら当然大けがをすることになるデザインである。

精密機械を作り上げた職人技がひしひしと伝わってくるのが使用して直ぐに感じ取れる。
現在、星の数ほど出回ってきたデジタルカメラとは訳が違うのである。
要するに、電化製品の一種と見られがちな要素が全く無い。
そんな理由もあり、なぜかニコンFの人気が強いのであろう。
ニコンFは製造過程で微妙に進展しており、当時の技術進展が感じられるのが面白い。
この写真はニコンFのボディからアイレベルファインダーを取り除き、代わりに露出計が付いたフォトミックファインダーを装着したもので露出測光は中央重点測光である。
このカメラは、ニコンF(中期製造)に後からフォトミックファインダーFTnを被せて使用しているもので製造番号は687万台の物である。
FTnとはそういうことであり、一つ前は平均測光を採用していた。
このようにファインダーを交換することでカメラのイメージが大きく変わるので楽しい。
ミラーアップするとミラーが上がりっぱなしとなるのでニコンのSシリーズカメラと同様に小さな音と共にフォーカルプレーンシャッターが横走る。そのために、ほとんどカメラ振れが生じないので広角レンズ使用時には重宝したものである。ボタンは下にある丸い部分を回転させるとミラーがアップする。
これも当時のカメラでは当たり前のことであるが、ASAフィルム感度を設定するのに印が2カ所ある。当時のフィルムはモノクロとカラーでは感度が異なりカラーフィルムでは少し感度を低くしないと露出不足になった。カラーフィルムの技術も向上して今ではほぼ同様なセッティングでも差が無くなったのである。このように使用しているフィルムを記憶しておくのにメモ用のダイヤルが備わっていた。
大切に残したい一台である。