2021年5月 7日

かつて存在した東京駅八重洲口の大丸東京店

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この写真は、かつて八重洲口の東京駅ビルにあった当時の大丸東京店です。2000年の東京ミレニアム(千年紀)でJR東日本が決定した駅ビルの取り壊しにより、中に入っていた大丸も移転を余儀なくされ、新しいビルに移りました。現在は隣のグラントウキョウノースタワーの新しいビルとなり少し北に位置する場所で再び開業をしています。
昔は東京へ出張すると帰りにはここの地下売り場で「船橋屋のくず餅」を買って新幹線に飛び乗ったものです。
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閉店した時のメッセージ

大丸は、1717年に創業し関西を中心に大きくなったデパートです。当時の日本ではデパートの存在は大きく、歴史があるデパートでの買い物袋を提げて歩くのが誇らしく思える時代でした。特に、東京では三越や白木屋が日本橋に集中しており歴史を感じさせる日本橋三越が今でもどっしりと店を構えている。
白木屋は東急百貨店日本橋店となり現在では「コレド日本橋」と名称を変えている。当時の百貨店はいづれも呉服屋が発端と言われており、三重県の松阪から乗り込んだ三越は三重県人には誇りである。

三越が大きくなった経緯を概略でお話しします。

昔、秀吉に仕えていた蒲生氏郷という人物が秀吉と意見が合わなくなり、当時住んでいた近江を離れて松阪に城を築きました。近江は商人の町と言われていたように商才にたけていたようで松阪も直ぐに大きくなりました。そこで蒲生氏郷が広めた綿花の栽培による「松阪木綿」が一気に有名になり、当時の参勤交代で江戸に持っていく土産となり次第に、江戸でも人気が出ました。藍色で染めた松阪木綿で作られた法被(はっぴ)は江戸の若者を魅了させトレンドになったのです。濃い藍色に白抜きの文字は遠くから見てもお洒落な姿だったのでしょう。そんなことから、松阪に拠点を構えていた「越後屋」は東京でも大繁盛して日本橋に店を構えたのです。越後屋や白木屋は共に呉服屋でありライバル関係でしたが、白木屋は火災に会い、以降、東急百貨店に買収されます。

三越という屋号は、当時の「越後屋」と創業者の三井家からとった名前です。
今でも、松阪市内には「三井家発祥の地」として保存されていますので、一度、訪れて下さい。ボランティアガイドのおじさんが丁寧に説明をしてくれます。