近代写真界の創世
ここ数年のことですが,デジカメが安くなり一気に写真ファン(カメラファン)が広がったように思われます.昔の写真といえば正しく写ることすら珍しかったわけですから私のように子供時代から写真を楽しんでいる人達には衝撃としか言えません.では、いつごろからこんなに写真を一般社会が見れるようになったかです.今日はそのことを書いてみます.
まず,その前に、カメラの歴史の話をしなくてはなりません.当時(戦後まもないころ)のカメラは,ほとんどが手札判といってフィルムパックという金属製のケースに12枚が入っていました.あるいは,少し後になりブローニーフィルムというロールタイプが発売されました.そんな状況の中,ヨーロッパではライカが発売されたりで日本のカメラメーカーは戦国時代に突入したわけです.要するに,ヨーロッパのコピーカメラをそれぞれのメーカーが作りあい競争したわけです.そこで生まれたのが,当時の西ドイツのツアイス・イコン社から出ていたイコンのコピー判でした.ニコンS型です.しかし,このニコンS型はあまりにも良く出来ていたので日本のカメラ関係者を驚かせたものでした.しかも,レンズは戦争用機器で定評があったニコンのレンズ付であり描写力には引けを取らないものでした.このニコンSが発売されたり,その他多くの35ミリ判カメラが発売され一気に日本の写真界に火がついたわけです.誰しも手軽にカメラを扱いまた写真を撮りだめることにもなりました.
当時の写真界では,戦前から流行であった肖像写真がほとんどであり,今で言うスナップなどは皆無だったわけです.当時は戦争が盛んな時代で、戦争に参加する若者が正装して立派な写真を残しておくことは誰もが認める必須条件だったわけです.いつ命を落としてもせめて肖像写真が仏壇に飾られる・・・・そんな思いで若者は自分の写真を残し戦地に旅立ったわけですね.
そんな時代にあって、「名取洋之助(なとりようのすけ)」という写真家が当時のヨーロッパ写真界の影響を受けて自由に生活写真を取りだめ発表しました.それを,なるべく多くの一般人にも紹介しながら写真の持つ記録性を証明しました.写真は肖像写真ばかりではなく,こんな風に生活を記録することも重要であるのだということをです.そこで当時は集団を創ったりして近代写真の先駆者として努力したわけです.そのころの影響を受けたのが,「木村伊兵衛」さんで彼はフランスの「アンリカルチェブレッソン」などとよく似た写真を撮り、東京の町や人物写真を主体に35ミリカメラのライカで生活写真をスナップすることに専念しました.また,同じ頃に「土門拳」さんもよく似たスナップ写真をメインとしており,彼の写真は,ある社会問題をテーマとした少し思想が入ったもので,当時は新聞などを騒がしたものでした.あるいは,「三木 淳」さんもそうでした.彼らはいずれも当時世界的に有名だった米国の写真誌「ライフ」の特別契約写真家であり,ライフの表紙などを飾ったものでした.
そんな頃,「名取洋之助」さんが岩波書店に働きかけてはじめたのが,「岩波写真文庫」です.日本で最初の、写真を主体とした書籍です.このシリーズは当時の多くのテーマを特集しており,古い書籍を所蔵する図書館にはまだあるはずです.このようにして,近代写真が始まり,のちに日本では多くの写真団体が誕生し,現在ではあらゆるジャンルの写真が氾濫するようになりました.参考になりましたでしょうか?
1つ重要なことを書きます.当時から少し後に,「名取洋之助」さんは岩波文庫から「写真の読み方」という本を書き上げています.これから写真を真剣に勉強するには最も近道であり,なぜ写真を残さなければならないかが分かりやすく記載されています.機会があればどこかで探して読んでみてください.では今度は、日本に生まれた写真雑誌のことでも書くことにしますので楽しみにして下さい.
掲載:2007年5月30日
この記事は、以前私が開設していたブログから、WordPress へ移植しております。